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アラフィフ育児 ケース9−1 「うまく喋れない」 〜幼児の言葉に翻訳する過程で頭が追いつかず、あうあうしか言えない悲しい現実〜

45歳で第一子を授かった。47歳で第二子が誕生した。
そして今、池田テツヒロ、50歳。
目がかすみ、耳が遠くなり、人の名前がすぐに出なくなり、夜中にトイレに起きるし、お酒を飲むと疲れる始末……。
上のムスメは6歳になり。下の娘はまもなく4歳。
ムスメが成長すると、私が老いる。当然も当然の話なのだけど、ああ、もう少し体力が欲しい、俊敏な筋肉が欲しい、よく回る頭が欲しい。
たかいたかいは五十肩で満足にできないし、ジャングルジムへは身体が硬くて入れないし、ゲームの文字は小さくて読めないのだ。
だからああ、ムスメ達よ、父をもっといたわって!

うまく喋れない。
いや、これ、老いたからではない。昔から。

小学生の頃、八重歯ができた。
顎が小さく歯が大きい私は、歯が収まりきらずに、前へと飛び出し、それだけでは収まらず、しまいには内側へ歯が飛び出して逆八重歯のようになった。油断すると舌をその逆八重歯でざっくりと噛む。たまに血がにじむほどに。つまり、ひとりドラキュラ状態(なにそれ)。

そんなもんだから、まあ喋りづらい。
調子にのって軽口を叩くとガブッと自分に咬まれる訳だから、当然おしゃべりが減る。そして次第にコミュニケーションを取るのがおっくうになっていった。

家でもあまり喋らない私に、母がつけたあだ名が「ハードボイルド」だった。(いや、自分の息子に変なあだ名つけるんじゃないよ!)

思春期に突入した私は、上手く喋れない自分を恥じ、それが悪循環になって、どんどん喋れなくなった。

つっかえる、どもる、言葉が滑る。いわゆる吃音症ってヤツ。

「ご馳走様でした」を言う前に、息を整えて、気持ちを落ち着かせる必要があった。それでもちゃんと言えない事があった。
「ゴチソーシャシャレシタッ!」って。

ちゃんと喋れる自信がまったくなかった。どもる自信しかなかった。全ての言葉を言う前に緊張した。電話に出るのも恐怖だった。会話を早く終わらせたい。どもるまえに会話を終わらせたかった。なのでどんどん早口になって、会話の後半がつるつる滑った。「あのさ、きのうシャ、シャシャシャシャシャー!」とこんな感じ。

カーリングのスウィーパーばりに「シャシャシャシャシャー!」なのである。

余談であるが、このシャシャシャシャの内容を、母だけは理解し、普通に会話できていた。母は偉大。

吃音は高校でも治らなかった。

好きな女子に告白した時も見事に噛んだ。
(でも、学生時代の告白は誰だって噛みがち)

今から思うと、吃音症なのに告白できるメンタルが凄い。
若さ故の勢いってヤツ。

しかもその後、大学に入って演劇部に入部して、そのまま成り行きで役者になってしまうのだから、ちょっと勢いが過ぎる。
吃音なのに俳優なんて、一番しんどい選択肢。
なんなの? Mなの? 

その時のいきさつに関しましてこちらをご参照ください↓

役者として舞台に立つようになって、ようやく逆八重歯を抜いた。
急に居住スペースが広くなった舌が、
「わ、わ、こんなに広くって、どうしよう、とりあえず踊る?」
と浮かれ、からまわって、私の吃音障害は加速した。

舞台上に立つ私は、ほとんどなにを喋っているのか分からないほどだった。

キャパシティ30人ほどの劇場は、舞台上から、全てのお客様の顔がはっきりと見えるのだが、その皆様の目が「?」となっていた。そりゃそうだ。なに喋ってるのか分からないのだから「?」となるのは当然で、「アラ、これが不条理劇ってやつネ!」と、楽しんでいただくしかない。

そして、当然の事ながら、舞台に立つのが怖くなった。

『袖』と呼ばれる、客席から見えない場所で、ぶるぶると震えていた。共演者の腕を掴んで耐えていた。舞台上でも、噛みそうな場面になると後ろを向いて、全身を硬直させて、セリフを吐いた。結果はセリフが滑りまくった。「シャシャシャシャシャー!」だった。

怖くて怖くて、酒を飲んで舞台に上がったこともある。(とんでもない結果になった)
催眠療法受けようかとも思った。
演出家から「トランキライザー飲ますぞ」と言われたこともあるし、後輩から「なんだ、あれ?」と陰口も言われたこともあるけど、それでも舞台に立つのを辞めなかった。

なんで?
多分、悔しかったから。
そこで辞めたら、負け犬のままだって思ったから。

いつかこの吃音障害を克服して、1ステージ分、全てのセリフを完璧に言えたら、その時こそ、自分に勝てる。
うん、そうなってから、自分に勝ってから、役者を辞めよう!

そして私の悪戦苦闘の俳優活動は延長される事になった。
しかし、なかなか全セリフを完璧に言う事はできない。

「くうう、次こそは!」
次こそは……次こそは……次こそは……次こそは……
と、そうして、「次こそは」を積み重ねて、50歳。いまだに役者を続けている私なのである。

言えないの! 
51歳になっても、まだちゃんとセリフ言えないの。いや、むしろちゃんと言えない事に平気になってきちゃったの!

30年のリハビリで(俳優活動をリハビリと言うな!)だいぶ喋れるようになったはずなのだが、未だにちょっと油断すると「シャシャシャシャシャー!」なのである。

しかも最近は、老いと育児がそれに拍車をかけるのだが、この続きは次回!
ケース9−2の記事で、皆様のお越しをお待ちしております。


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