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研究のきせき2

 前回、何故あのような前置きをしたかと言うと、私が携わっている潜水に関する研究は、独りで行うことが可能なものもありますが、大半の場合は共同研究者がいて、複数人で違うアプローチの研究をしている場合が多いのです。外部に調査や作業に行く場合は、必ず現地に協力者やダイビングサービスがなければ潜ることが出来ません。また、現地までの交通費や宿泊代、ボンベ代、ガス代、用船費用など少なくない経費が掛かりますので、外部資金の獲得は必須になります。只で潜れて、それが研究や仕事として認められて給料がもらえる訳ですから、自分にとってこんなに幸せなことはありません(もちろん通常時は授業をやっています)。ある意味で、職場からも家庭からも遊んでいるとしか思われていません(笑)ので、肩身が狭いこともありますが、学会発表や論文、研究報告などの結果に確実にコミットしていますので、誰からも文句を言われません。数が少ないとお小言を言われたこともありますが、以前の私の上司から「年に1回の学会発表と年に1本の論文のAcceptは研究者としての最低限の仕事である。あなたも研究者の末席に座るのならば覚悟を形でみせなさい」と言われたことがあり、それを忠実に守っています。今年は、この約束を果たせるか心配な状況ではありますが、Zoomを使って口頭発表をやらせてもらえるのならば、喜んで参加します。

 さて、今回もまた前置きが長くなりましたが、一体東北でダイビングの何を研究目的に調査を行ったのかと言う話の続きです。

 まだ、未発表部分の話をする訳にはいきませんので、既に学会での口頭発表やポスター発表が行われた範囲と既知の事実を含めて記述したいと考えます(2012年沖縄、2013年京都で開催された日本野外教育学会のポスター発表と2013年、2014年台湾で開催されたInternational conference of Sport,Leisure and Hospitality Management における口頭発表、2015年、2018年東京で開催された日本海洋人間学会における口頭発表とポスター発表)。

 現地には、2012年の7月下旬に共同研究者と共に初めて行き、調査だけでなく瓦礫の撤去などのボランティアダイビング活動にも参加しました。それまでにも必要な物資の供給や所属するガイド会が主催するチャリティイベントを通じて金銭的な支援のお手伝いもしてきましたので、東日本大震災には少なからず貢献をしてきた自負はありました。なので、この研究に着手することには何の違和感もありませんでした。しかし、それまで取り組んできた研究とは規模も内容も異なり、加えてデリケートな背景があることから、研究を行うに際して学内の倫理審査に合格してから取り組むことになりました。今となっては、当たり前の通過儀礼でしかありませんが、当時はこんなことをして研究は行われているのかと驚きの連続でした。

 現地では、NPO三陸ボランティアダイバーズの代表である佐藤さんが調査をバックアップしてくれたお陰でスムーズに進みました。ここには、潜水に必要な空気ボンベに高圧空気を充填するコンプレッサーを彼が以前所属していたタイのBigBlueを通じて被災後の早い段階で現地に送ることができましたので、そんな縁もあったのでした。

 あ、またもや目的に到達しないで次回にその文章を先送りしてしまうのか、それは上手くないですねぇ。初期の段階の研究は、被災後にそれまでダイビングをしていた場所で潜れなくなったダイバーがどのような経緯で戻って来るのかを調査していました。また、その間に潜れなかったダイバーはダイビングをしていなかったのか、あるいは何処かに代替え海を求めて凌いでいたのかといった疑問から研究をしておりました。予測としては、太平洋側に潜れなければ日本海側と考え佐渡島はどうだろうか?と言うことで陸前高田の調査後に横断して佐渡島に渡ったのでした。

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