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才能の変化

 世界的な騒動が世の中や生活を支配し始めて1年以上が過ぎました。
私生活では最大限に罹患しないような対策を講じ、それも習慣化されて、ひとつのルーティンにまでなりました。これは、節目の1年の備忘録として記述します。
 私は大学で教員をやっていますので、教えることが仕事の一つです。1年前に始まった教え方も定着してきて、教材のアップデートを繰り返しながら、学生の反応を見ながら、今も授業を進めています。2割ほどの変化を感じるのは「対面授業」が始まったことに他なりません。しかしながら、私の授業は実習こそ対面で行いますが、座学の授業に関してはフルオンディマンドです。これは、楽をしたいとか、どこでも授業が配信できるからってことではなく、お互いの送受信環境が整っていない状態で、Moocのようなことは出来ないと考えているからです。オンディマンドの授業は、コロナ禍だから暫定的に許可された方式ではありません。違う側面から見れば、対面で授業をすることが正しいわけではありません。もちろん、対面授業のメリットはあるのだと思いますが、それでは何故?世界中の高等教育はMoocへ舵切をしてその目標へ向かっていたのでしょうか。折角、こんな良い機会に恵まれて、研究者が知の結集をして明るい教育の未来との契約を結ぼうとしているのに、それを妨げようとするのでしょうか。全く意味が分かりませんし、その意図が理解できません。

 私は朧気ながらも、この機会とシステムが与えたメソッドと才能の変化を感じています。もちろん、良いことばかりではないことも理解していますが、そもそも悪いことが一つもない改革ってあるのでしょうか。

 この1年ほどの間、Teamsのチャット、課題の提出、メール、会議システムを通じて、多くの学生とコミュニケーションをとってきました。恥ずかしい話ですが、大学の専任になってからのこれまでの期間で学生と交わした授業におけるコミュニケーションの量に匹敵する多さです。もちろん、昔ながら(笑)の学生も少なからず居ますが、「君は携帯電話も持ていないのかぁ」みたいな子はもぉ居ないのです(いたらゴメンなさい)。対面授業にはリアリティがあるからと言うことを聞きますが、そのリアリティは教員の思い込みと押し付けのことではないのでしょうか。必要最低限のことは、これからも対面で行わなければなりません。また、その対面の質が大学や学部の評価に直結してゆきます。つまり、遠隔授業や大学同士の単位互換によって特徴を失ってゆき、大学の格差が希釈する構造の中では、如何に魅力ある実習を大学の売りとして打ち出せるかで、その大学の価値やプレゼンスは飛躍的に向上すると考えます。

 実際問題として、遠隔における授業資料の配信と課題は、対面授業以上に神経を使います。著作権の問題や授業資料の流出のリスク等、こんな重要な案件を教員個人の裁量に任せてプロテクションを講じない現状はそう長くは続かないと思いますが、ここを何とかしないと対面授業至上主義が覆らないと考えます。
 何らかの形で出席をとる。講義を行う。学生に意見を求める。質問を受け付ける。復習と予習を促す。以上。これが座学の対面授業です。いや、いや先生!グループワークや反転授業もやっていますよ。と言われる方もいるでしょう。
 必要であればグループワークはブレイクアウトルームを使えば可能だし、反転授業は会議システムを繋いで、希望者だけを募ってやっています。

 まだ試行錯誤と試験的な状態なので、段階的な授業資料でしかありませんが、対面授業の時よりも明らかに学生の姿勢に変化が見られます。もちろん全員ではありません。一部に明るい傾向があるとだけ言っておきます。
 これにも否定的な意見があるかも知れませんが、正直に申しますと現状の授業資料に音声を付けていません。何度か試してみましたが、録音状態が良くないのです。聞けないほどのレベルではありませんが、聞きたいほどのレベルでもありません。私が学生であれば、無駄にギガ難民になるくらいなら聞きません(笑)。なので、今のところ用意はしていません。
 ところが、この資料を説明しないことで複数の授業でいくつかの成功例がありました。当然のことながら、説明しない事の弊害もあります。勝手な解釈で、根拠も参照もなく、主観的な意見を展開して終わるパターンです。
 逆に、説明しないことで興味を持った学生は自分で一生懸命に調べるのです。それは提出された回答の熱量を感じれば一目瞭然です。もちろん、そんなことはこれまでの対面授業でもあったのかも知れませんが、これほどの可視化はできませんでした。

 学生からのニーズとしては、ギガ難民説から言えば逆説的ではありますが授業資料の画像を増やして欲しい、動画があると分かり易い、音声で説明が必要、とあります。これは、何らかの補助によって学生の受講環境が整えば応えることができますし、準備もします。つまり、通信環境とPCを受講者が整えていればニーズを満たすことが少なからず出来るのです。日本の高等教育のMooc移行への弊害として、PCをスマートフォンで代替してしまっている点が挙げられます。これまでも授業課題をスマートフォンだけで完結させて回答する学生がおりますが、及第点を与えられる人だけではありません。明らかにスマホの使い方の解釈を誤った方向に捉えている回答もあります。近い将来にはスマホで完結できる教育インフラが整うのだと考えますが、そこまでこのディバイスに依存させるメリットを理解できないのは、私がスマホのユーザーではないからなのでしょうか(笑)。
 しかしながら、このギャップだけは埋めたくないんですよね。私は、現代のQOLの低下の原因がスマホの過剰利用にあると考えております。これ以上の生活の質の低下を望んでいないので、使わずに生涯を閉じたいと考えております。

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