失われていない三十年

 先日、フランスの漫画喫茶に張りついた番組で、そこにやってきたお客の一人が「日本は今、世界で最も影響力の強い国だ」と発言しているのを聞いた。それはそうだろうな、と思う。漫画、アニメ、音楽、ファッション……どれも世界に大きな影響を与えている。

 ぼくらは、漫画やアニメをずっと大切に育ててきた。つげ義春を大切にし、永島慎二を愛おしんだ。白土三平を尊敬し、水木しげるに馴染んだ。手塚治虫にも甘くしなかったし、山上たつひこという異端児を一線に押し上げもした。ジャンプもガロも同等に評価されるような国は、世界に一つもない。

 鳥山明も高橋陽一も大友克洋も坂口尚も、そのような土壌から生まれた。ぼくらはどれをも楽しんだ、坂口尚が好きだからといって、鳥山明を否定したり、高橋陽一を笑ったりしなかった。ちばてつやも業田義家も藤子不二雄も一冊の漫画本のなかで同居していた。

 漫画は人生を写した、芸術的なものだというフランス的漫画観も、日常生活を楽しむものだというアジア的漫画観も、日本の深く幅広い漫画分野から見ると一部にすぎない。この三十年の間、漫画は成長し続け完成には至らない。

 この三十年のことを、誰が何をもって「失われた」などと言うのか。たかが経済のことではないか。世界はまだ漫画の一部分しか知らない。漫画が本当の意味で発見されるのは、まだまだこれからだ。

 きっとぼくらは、もう経済には興味がないのだ。テレビやマスコミが喧伝するように、ぼくらは欲張りではない。「世界で何番目にお金持ちの国」だからといって、生活は何も変わらないということを、あのバブルの時代にぼくらは充分学んだ。

 ぼくらは「漫画」という括りの中に、さまざまな価値や意思や芸術観や文学や哲学までを盛り込み、互いに否定することのない分野を作りあげている。それもすべてこの三十年(本当はもっとずっと長いけれど)の仕事だ。ぼくらは、この三十年間の日本を誇っていい。もちろん、それはGNPやGDPのような他国比の話、他を貶めて自らを誇るもの、ではない。

 アニメーションもそうだ。スタジオジブリの仕事は、もちろん宮崎駿と高畑勲という二人の天才なしには語れない仕事だが、彼らを見出し、育み、大きく成長させたのは、ぼくらだということを忘れてはならない。

 ぼくらは自身のお財布を豊かにするのも嫌いじゃないけれど、みんなで笑いながら漫画を回し読みすることの方が好きだ。

 この三十年間の日本の成長を、ぼくらはもっと誇っていい。




 

 

   

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