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イズムにさよなら アレクサンドル・ゲルツェン『向こう岸から』

 『ロシア文学の教室』(奈倉有里)第四講の予習として、アレクサンドル・ゲルツェン『向こう岸から』を読んだ。当然、ロシア文学作品を予想していたぼくは混乱している。これは「文学」なのか? そもそもこれは「ロシア」なのか?

 ロシア人亡命者ゲルツェンによる、フランス二月革命を中心に書かれた一八四八革命論である、らしい。確かにこれは「革命論」だが、哲学書ではないし思想を喧伝する本でもない、まして革命を観察・分析した書でもない。エッセーであったり、対話であったり、書簡であったりするのだが、そのなかで彼はとにかく懸命に論争する。説明したり、教えたりするのではなく、論争する。論争する相手は、何者かに擬装した自分自身だ。

 そしてこれが、まったく決着しない。激しい雨音に会話が中断したり、「混沌と破壊よ、万歳!」とやけっぱちになったり、「なすべきことはたくさんあるでしょう。しかし、それは今ではない!」と放り出したり、「では、アメリカに行きましょうか。/あそこも、とても退屈ですよ。」と夢想したりして論争は終わる。

 これはぼくの(もしかするとぼくらの)姿だ。自由主義とか社会主義とか資本主義とか共産主義とかのイズムが、暴力(直接的・間接的/政治・思想・経済・倫理の)しか生まないことにうんざりしている、でもそれにとって代わるものも見つけられず(見つけたら大変だ、またイズムを生んでしまう!)右往左往している、ぼくの(もしかするとぼくらの)姿だ。

 ロシアや西欧の歴史を何にも知らない(ロシアの農奴制、フランス二月革命から調べました・笑)ぼくをこんな気分にさせるのは、やはりこの作品が文学だってことかもしれない。

 

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