どんな仕事にも誇りを持てますか
昨日、Twitterでこんなマンガをアップしました。
昔、自分は木工の職人をやっていました。
男に負けたくない、女でも男と同じようにやれるんだと思っていた思考が、職人さんたちによってほぐれていったときの話です。
このマンガは、コミックエッセイのマンガ賞に応募するために描いたもので、最終選考には残ったものの入賞は出来ませんでした。
そしてSNS上にはアップすることもなくただ埋もれていました。
広まり方次第ではかなり燃える内容という自覚はあったので、ちょっと怖かった。
本当は「女の呪いが解けたときの話」とか「お茶をくむ仕事の意義を知ったときの話」みたいのが良かったんですけど、そのタイトルだといらん方向性の人も引き寄せそうな気がして。
表題もちょっとライト目にしました。
そのおかげか、そこまで悪い広がり方はせず、むしろ前向きに受け止めて下さった方が多くて有り難い限りです。
でもやっぱり伸びてくると、出てくると思っていた意見がちらほらと。
「結局なんで女がお茶くみをしなければならないのかがわからない」とか「男のトイレは男が掃除すべき」みたいなやつですね。
私はこの作品で『トイレ掃除やお茶くみが女がしなければいけない仕事だと思ってやろうと思えるようになりました』って話をしたかったわけではないのです。
あくまでもそれがたまたま『この職場で私がやれる仕事』であり、それによって誰かに感謝してもらえる有意義な仕事だ、と気付けたという話です。
それが伝わる話になっていないのは、私の力不足とも言えるので今このnoteを書いているわけですが。
◆◆◆
自分がしたい仕事があった。
でも、やらせてもらえないことが多かった。
やれるとしても、肉体的にどうしても出来ない事が多かった。
危ない仕事も、責任の重い仕事も、自分はやりたいと思っていた。
でもやらせてもらえなかった。悔しかった。ムキになった。
女だからやれないという事が腹立たしかった。
女だからやらされることがあることも嫌だった。
お茶くみもトイレ掃除もくだらない仕事だと思っていた。
女であるだけで、見下されている気がしていた。
◆◆◆
途中で「あんたは女の子なんだから俺たちとおんなじだけ頑張らなくていいんだぞ」と、指のない職人のマツハシさんに飴を渡される描写があります。
あれは、指がないマツハシさんからの言葉だったから殊更響くものがありました。
木工では特別、扱いが危険な機械というのがいくつかあります。
当時工場にあったものでは「昇降板」と「ルーター」という機械が特にそうですが、それらは、指を落とすリスクがとても高い機械です。
ルーターは特に切削抵抗が高く、使い方が下手だと材料ごと手が跳ね飛ばされて、指も一緒に飛んでいったりします(ヒェッ)
それらの機械を、私が使うことは許されませんでした。
ひょろひょろのトミタくんが使うのを見て、ずっと悔しいと思っていました。
でも、マツハシさんもそれらの機械は使いませんでした。
指を落としても使う人はいます。
使えないことはないのです。でも多分、リスクは高い。
そしてそれは、腕力や握力が低い女である、私もそうでした。
マツハシさんは、主にパネルソーという機械で作業する人でした。
ホームセンターとかにある、大きな板を切る機械です。
材料を押さえるのは機械がやるし、ボタン一つ押せば刃物がカバーの内側を走っていくので、多分一番安全な木工機械じゃないかと思います。
ただ、一枚の板からいかに効率的に必要なサイズの板を取り出すかを瞬時に判断して切っていくスキルが必要になるので、パネルソー担当にはパネルソー担当の大変さがあります。
マツハシさんは、一枚の板から無駄なく材料を切り出していくスピードがとんでもなく早かった。その作業を『木取り』というのですが、木取りに関しての判断の速さは工場内にマツハシさんに敵う人はいませんでした。
私は後々、設計や発注の方の業務を任されます。
(それも「力と体力が低い女性である」事が理由だったため最初は強烈に反発したことを覚えてます。。。)
発注するためには材料がどれくらい必要かを設計図から読み取れないといけません。私が必要と判断して発注した板が、マツハシさんが切ると1枚余るとかザラでした。
高い板1枚余分に発注するだけで予算が跳ね上がるので、木取りのセンスは重要です。
自分に出来ない仕事がある代わりに、指が無い自分でも出来る仕事を極めたマツハシさん。指があったころは、違う仕事をしていたんだと思います。
最初からパネルソーなら、おそらく指を落とすことはありません。
そんなマツハシさんが「俺たちみたいに頑張らなくていいんだよ」と言ってくれた言葉、私にはすごく重たかった。
マツハシさんは結婚して子どももいて、確かお孫さんもいました。
男の人は家庭のために、自分が指を落としても、働き続けないといけない。木工しかやれることがないなら、ルーターを使うところからパネルソーに移っても、働かないといけない。
出来ないことがあるからこそ、自分の出来る事を極めていかないといけなかった。そして木取りならマツハシさんに並ぶ人はいないほどに、極めて行った。
マツハシさんはいつもニコニコニコニコ笑っていて、どんなに徹夜が続いていても誰にでも優しくて。でもきっと、たくさん葛藤を抱えてそこまで至ったんだろうなと思いました。
男の人が仕事に抱えた責任は、自分に出来ない仕事があることを悔しいと思うとか、そういう次元では無いところにあるのだと、私は気づきました。
私も、出来ることを、出来るなりにやっていくしか無いのだと思いました。
職場の整理をしたり、材料にやすりをかけつづけたり、男の職人さんたちが作り上げた製品を梱包したりしていく仕事にも誇りを持って取り組むようになっていきました。
自分がやれない仕事をやってくれる人がいること。
その人に対して、自分が返せること。
たった一杯、その人に合わせた飲み物を入れてあげられること、それだけでも、出来ることがあることが私には嬉しかった。
お茶くみなんて女の仕事だよ、ということではなくて。
力が無くて、経験も浅くて、判断も甘い若造が出来ることが、その時はお茶くみでも良かった。トイレ掃除でも、良かったんです。
私がトイレを掃除している時間で、私が出来ない仕事を他の男の人がやれるなら、私はその方がいいと思っていました。(男の人が嫌がるならまたそれは別の話)
「女だからお茶をいれろ」とか「女だから掃除しろ」って頭ごなしに決められていると思うと苦しくなるけど、あくまで、私の勤めた職場はそうではなくて。
危険で大変な仕事は我々がやるから、その代わり、トイレを掃除して欲しい。そういうこともあったんです。
お茶を入れるたびに「ありがとう」と言ってもらえること。
トイレを掃除するたびに「ありがとう」と言ってもらえること。
それらも十分に私にとってはやる意義になったんです。
ちなみに工場長が私を現場に行かせなかった理由。
これも女だから、ということでしたが、これは力の問題だけではありません。
「俺には可愛い可愛い孫がいてな。水谷さんも、今は全く子どもを産む気がなくてもな、もしかしたらこの先、誰かと結婚して子どもを産みたいと思うことがあるかもしらんだろう。
そのとき、この工場で働いていたために、それができなくなるようなことはさせたくないんだよ。わかってほしい」
そして、数日間不眠不休の男の中に、若い女が一人交じる事がどれだけ危険か、という話をされました。ちょっと話しづらいことではあったと思うのですが、話してくれたのは、ちゃんと伝えたかったからだと思います。
まさか、工場の優しいみなさんが、そんなこと。って、当時の私は思いました。
でも、数年後結婚した夫にそのときの話をしたら「限界まで体力削られた男の中に女が一人だけいるのはヤバい」って同じことを言っていたので、男性の本能というものが全然わかってなかったなぁと。
そうやって女性として大切にしてくれる職場だったからこそ、私も誇りを持てたんだろうなと思っています。
そして「自分がやらされる」仕事がある代わりに、他の人が「やらされている」仕事も確かにあるはずで。
ひょろひょろのトミタくんは、本当はルーター作業は怖いからやりたくなかったかもしれません。
「男だろ、若いだろ、頑張れる盛りだろ」と言われながら、トミタくんは色んな仕事を任されていました。マンガで書かれているフラッシュの芯を切る作業も実は結構大変な作業でしたし、数日間一睡もせずに働くこともあると言われる現場取付も、毎回連れ出されていました。
休憩時間、若者同士でぼんやり話すとき。
トミタくんは「女の人はしんどい仕事を任されなくていいよね」と私にいいました。当時の私はその言葉に「やりたいけどやらせてもらえないんだよ」と憤りを感じた気がします。
でも、トミタくんはトミタくんなりにしんどかったんだろうなと今になって思います。
お茶くみ、ルーター作業。
やりたくないけどやらされること。
トイレ掃除、フラッシュの芯切。
やりたくないけどやらされること。
設計や発注、現場取付。
やりたくないけどやらされること。
みんなそれぞれに、そういうものを抱えていて。
実は周りの方がずっと重いことも多かった。
自分がやれないことや、やらされることしか見えていなかったときはいかに視野が狭かったかと。
そしてそれに気づくと、自分がやれない重たいことをやってくれている人に感謝出来るようになる。
感謝される方は嬉しいから、その人に優しくなる。
優しくされたら、また何かを返したくなる。
この意識、私は結婚生活でとても役立ちました。
夫が外で働いてきてくれるから、私は安心して子どもを産んで育てられているんだよと何度言ったかわからない。
私がそう言うと、夫も、俺が外でただ仕事だけしてれば済んでいるのは、君が家のことをやってくれているからだよと返してくれます。
もう、どっちが先に感謝の言葉を述べるかみたいになるときもあります。
そうやってお互いがお互いに感謝を返し続けていたら、それぞれ自分がやっていることに誇りのようなものが持てるようになって、そうしたら、どんな些細なことでも『やらされてる』なんて思わないで済むんじゃないかな。
20代の私はそれがなかなかわからなかった。
でも40代の今の私は、そう思うのです。
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