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からころセルフワーク*抽象と具体⑶*

・お話のつづき

本来のわたしから、今ここを生きる

アレクサンダーテクニークを
分かち合いたく綴っています。


みどりさん(先生)は“抽象と具体”について
こんなお話をしました。

わたしと世界は
分かれているけれど、ひとつ。
ひとつだけども、分かれている。
パラドックス(逆説)といえます。
抽象と具体も
何をもって、そうするか
で変わってきます。

なるほろん。敦子さん(先生)のように

わたしにとって、具体と抽象は
何をもってそうするか
をみてみるのはいいな。


後日、対面トレーニングクラスにて、
みどりさんに“ことば”は具体的なものと思っていたと気がついたことを話しました。

みどりさんはこの図を見せてくれました。

デールの「経験の三角錐」

この図をみて、わたしが思ったのは、
ユズルさん(恩師)から教わった
一般意味論の“地図と現地”

地図は地図であって、現地ではない

一般意味論より

三角錐の上にあがる程に情報量が
少なくなります。抽象が増しますね。


ああ〜やっとこ繋がりました。
たすかに、“ことば”は現地ではない。

みどりさんは、

「コーヒー豆を挽いて、コーヒーの粉にお湯を注いで、抽出しますよね。
“ことば”とはそういったものです。」

と例えました。

わたしのからだに落ちていきました。
腑に落ちたということです。

“ことば”という抽象的なワードから、
呼び起こしたものを

味わって、体験しました☆


なっと〜く!


おしまい。

25/3/2022,mayumi@kyoto
よんでくださって、ありがとうございます:)




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