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わたしのレッスンノート*足裏*

・今日のおはなし

今ここにイキイキと生きる。

アレクサンダーテクニーク
を分かち合いたく、綴っています。

足裏が床と仲好くなってきて〜
(わたしの重さが足裏に下りています)

すこぶる調子がいいンです。

起き抜けに
足裏と床との関係を思うとき

今のコンディションが何となく分かります。

あまり足裏がついていなかったり
(足・脚を引き上げています)

左右の足裏で不均等だったり、
変に違和感があったり(痛みや重み)と。

足裏と床との仲が好い状態だと

何が起こるのか

安心安全・安定。
わたしという“存在”を感じることで、
“今ここ”に在るということ。

不安定さや所在なさ、
先のことばかりみる習慣が減りました。

アレクサンダー・テクニークでは
始まりはあたま・首・胴体(あたま・脊椎)の関係性を調えることで

プライマリー・コントロール
(初源的協調作用・統合機能)が
活性化されますが、

同時に重さは下におりていくことを
思う(thinking)ことは大切です。

足元のことはナカナカ気づきにくいものです。

アレクサンダー氏も

鏡の観察で分かったこと、朗誦のために立っているとき、私はこれらの部位までも間違ったつかい方をしていて、それが私の誤った頭、首、咽頭、声と呼吸の器官のつかわれ方と同調して起こっていたことにより、
身体中の筋肉の緊張状態を伴っていたことであった。
つま先は強張り、下向きに曲げられ、その結果、過度にアーチができていて、私の体重が足の外側によりかかりすぎているようになり、私のバランスは阻害されていた。

一般的に、もし私たちが何か間違ったやり方を正すよう、何かをやれば良いかと言われれば、私たちはそれを遂行することができ、
それをやっている「感じ」があれば、すべてうまくいってると思っている。
しかし私の経験では、そんな信心は全くの欺瞞(ぎまん)にすぎない。

「自分のつかい方」より

このことをアレクサンダー氏は

感覚的評価は当てにならない

といいました。


わたしの場合でいうと
安心安全、安定した「感じ」を
捉えようとしても、当てにならないけれど

足裏に重さを下ろすと思うと

安心安全、安定した「感覚」が起こってきた。

この“感覚”は当てになります。

「やった感」は当てにならないンです。

感情・感覚は
何か起こって
あとからついてくるもの。

先におくものではないんですね。

ただ、わたしが努めることは

足裏に重さは下りていきます。

とくり返し、思うこと。


30/4/2022,mayumi@kyoto

ひつようなひとにもとどきますように :)











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