校則は管理するためのものではない

温泉大学教育学部の小論文です。

(解答例)

 市立の中学校を想定した場合、学校設置者が校則に対して留意しておくべきことは、校則は生徒を管理するためのものではなく、教育的なもので、管理するのは法律である、という認識を持つことである。
 たしかに、設問中にあるように、学校は社会集団であり、一定のルールが必要であると考えるのは必然である。実際に、校則にはルールを守ることを学ぶ教育的効果が大いにあると考えられる。
 しかしながら一方で、その校則によって生徒を管理しようとしているのが実情ではないだろうか。もう少し言及すれば、校則によって反抗的になりそうな子やそういった雰囲気を封じ込め、指示に従いやすい関係や空間を作ろうとしているのではないだろうか。例えば学校での服装の制約は、ルールを守ることを学ぶ以上に生徒を校則に従わせることで反抗的な生徒を押さえ込む狙いを多分に含んでいる。では、なぜ校則がそのような性質のものなのだろうか。
 それは、市立の中学校では学級崩壊や「荒れている」といわれるような、教師の指示が通らないような無秩序な学校が少なからず存在するからである。当然、教師たちはこのような状態を恐れる。その結果、校則は生徒を反抗的にさせない装置として機能させようとしている。
 しかしながら、この手段は本来的には誤っている。学級崩壊や学校が「荒れる」状態になって、多くの生徒の教育的な機会を損なう状態になるのならば、その発信源である生徒に対して、早期に学校長は学校教育法に定められている出席停止の措置をするのが筋である。また、学校内での暴力や盗難などは警察が介入するべきである。
 校則とはそもそも、生徒が学校生活を快適に過ごせるための最低限のルールであり、本来は生徒間での自律的な議論と制定、運用が理想的である。そのような理想的な状態にはできないまでも、少なくとも現在のように教師が上から押し付ける類のものではない。この観点から言えば、現在の学校環境で育つ子どもが社会の形成者としてふさわしい資質、すなわち自律的にルールを構築して運用するような市民性を育めるとは到底思えない。これは、学校の運用上の課題よりもさらに重い。
 以上から、学校秩序を管理するものは本来的に法律であり、校則は最低限度のルールであり教育的なものであるという認識を持つことが、学校設置者の留意すべき点であると考える。

・一応、制限時間を意識して、60分以内には書きました。

・深夜テンションで書いたのでどうなんでしょう?

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