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刊行企画者の作家、佐藤究に聞く。

●詩人、河村悟との出会い
僕が19歳のころ、1990年代後半にお会いしました。当時、河村さんは家財を手放して、詩を書きながらトランクひとつで友人たちを訪ね歩く、という旅をされていて、僕のいた福岡にまでやってこられたんです。
トランクひとつだけの旅、と言うと、なんだか亡命者みたいですが、あの頃の河村さんは、本当にそんな感じでした。

●師匠なの? その関係は
詩、文章、芸術について、河村さんからはあまりに多くのことを教わりましたが、こちらから「教えを乞う」ことはありませんでした。
そういう意味では、師匠ではないですね。

最初は、河村さんが友人たちと話す場の隅っこに加えてもらって、自分が発言するどころか、みんなが何の話をしているのかさえもよくわかりませんでした。
でも、「これが本物の文学者なのか」とか「これはとても重要な話なんだ」というのは、十代、二十代の年齢でも、感覚でわかるんです。
河村さんが友人たちと語らっている場に、どうにか食らいついていって、いつしか僕も話の輪に加わることができる「友人」の一人になれた、というのが実際のところです。

わかりやすくたとえると、先輩たちの演奏にまったくついていけなかったジャズ・ミュージシャンが、やがて演奏に入れるようになった、という感じでしょうか。そして、ひとたび演奏という「会話」のなかに入ることができたら、先輩も後輩もなく、友人になります。

書いている小説の原稿を見せて、助言をもらうといったことは、一度もやっていません。
これについては、プロの作家になった今でも思うんですが、「詩人」に下書きの原稿を見せる「小説家」なんて、この世にいませんよ。
恐ろしくて、とても見せられません。

●『純粋思考物体』を初めて読んだ時の感想
もうずいぶん前の話になりますね。
まずタイトルの強烈さに打たれました。なんて謎めいたタイトルなんだろう、と。読みはじめると、言いようのない緊張感とポエジーが交錯して、よくわからないけれど、読むのをやめられなくなります。
その感覚こそは、まさに僕が河村さんとはじめて会ったときの心情ですね。

それから、この作品は短いアフォリズムや論考の集積であって、「詩集」ではないわけです。九州の福岡にいたころの僕は、「詩人は詩しか書かない」と思いこんでいたので、驚くと同時に、世界的な文学のなかにおける詩人の位置、その孤絶、その力などを知る契機になりました。

刊行にあたって
河村悟さんについては、いろんなインタビューでも折りに触れて言及してきたのですが、かつて『純粋思考物体』を綴じた書籍ではない形式で、限定5部だけ作ったことを、「作家の読書道 第231回」の取材で、わりとくわしくお話ししたことがあります。

ただやはり、この世に5部しか存在しないので、今回の書物としての刊行で、もう少し多くの人々が読める機会を作ることができました。
前述の「作家の読書道 第231回」では、河村さんとの出会いにも触れているので、このQ&Aの総まとめとして、お読みいただけたらと思います。

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