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ニイガタが全国に誇れるものとは?〜フットボールの白地図 【第4回】 新潟県

<新潟県>
・総面積
 約1万2584平方km
・総人口 約220万人
・都道府県庁所在地 新潟市
・隣接する都道府県 山形県、福島県、群馬県、長野県、富山県
・主なサッカークラブ アルビレックス新潟、JAPANサッカーカレッジ
・主な出身サッカー選手 神田勝夫、本間勲、田中亜土夢、酒井高徳、早川史哉

「フットボールの白地図」を塗りつぶしていくプロジェクト。前回は、思い切り西に振り切って長崎を塗ってみた。今回は日本海側を攻略するべく、東北と関東と北陸に接する縦長の新潟県を取り上げることにする。

 新潟といえば「アルビレックス」であり、アルビレックスといえば「新潟」。両者の結び付きは強固そのものと言える。そして私にとっての新潟とは、現在の仕事を考える上で極めて重要な県であったりする。なぜなら「土地とフットボール」という視点を、初めて意識させてくれたのがアルビレックスであり、新潟県であったからだ。

 新潟との最初の縁は、1999年の写真展開催だった。2002年のワールドカップ開催都市となった新潟だが、その頃はまったく盛り上がっていなかった(というよりも、大会が行われること知っている県民自体が少なかった)。少しでも県民に大会のイメージを伝えるべく、前年のフランス大会で撮影した出場32カ国のサポーターのポートレイト作品を、駅前の商業施設PLAKAで展示させていただいた。

 2002年のワールドカップ期間中、残念ながら新潟を訪れることはなかったが、前年の01年のビッグスワンこけら落としは現地で観戦できた。そして翌03年には、J1昇格を目指すアルビレックスと、そのサポーターを追いかけるようになった。書籍化の話は妙な形で梯子を外さることとなったが、それでも「新潟現象」をリアルに体験できたのは、私にとってかけがえのない財産となった。

 今となっては信じ難いことだが、昭和の時代には「裏日本」という言葉がNHKの天気予報でも使用されていた。ワールドカップ開催都市を絞り込むにあたり、愛知県と競っていた新潟県は「日本海側」をあえてアピール。結果として、かつて「裏日本」と呼ばれていた土地に、4万2300人収容の新潟スタジアム(現・デンカビッグスワンスタジアム)が誕生した。

 新潟で行われたワールドカップの試合数は、わずかに3。しかし、幸いにもアルビレックス新潟があったことで、大会後もビッグスワンは地域活性の拠点となった。ピーク時の2005年には、平均入場者数が4万人を突破。「新潟の奇跡」「地方クラブの優等生」と賞賛された。J2に降格して以降、確かに空席が目立つようになったが、それでも昨年までは平均1万4000人台をキープ。これはもちろん、J2ではトップである。

 アルビレックスが誇れるのは、入場者数の数だけではない。アルビレックスチアリーダーズは2001年に結成。現在は第19期のメンバーが活躍している。特徴的なのは、Jリーグの試合でのチアをかなり早い時期から開始していること。クラブから独立した組織として、チアリーディングというスポーツを追求していること。そして、JリーグのみならずBリーグ(新潟アルビレックスBB)の試合にも出演しているため、切れ目なく活動を続けていることである。

 もうひとつ誇れるものを挙げるなら、アルビレックスのクラブマスコットである。白鳥をモティーフにしたアルビくん、その配偶者であるスワンちゃん、そして三つ子のアーくん、ルーちゃん、ビィくん。マスコットのファミリー化は、どのクラブでも見られる現象だが、最も子だくさんなのがアルビくん一家なのである。

 アルビレックス新潟についてもうひとつ、個人的に素晴らしいと感じていることが、新潟県1部に所属するASジャミネイロの存在。ゴール裏で応援していたサポーターが中心となり、2003年に草サッカーチームを結成。翌04年に「アフロスター・ジャミネイロ」の名で県4部に参加し、ゆっくりとステップアップしながら11年には北信越2部にまで上り詰めた。「応援するスポーツ」だけでなく「するスポーツ」での地域密着という点で、注目に値する事例と言えよう。

 新潟県といえば、豪雪地帯としてもつとに有名。それゆえJFAで「シーズン秋春制」が議論されると、必ずといってよいほど反対意見の先頭に立つのが、新潟と山形のサッカーファンである。私も一度、雪の日のビッグスワンを訪れたことはあるが、こんな環境下での試合観戦は本当に御免こうむりたいものだ。

 あらためて考えてみると、新潟県が全国に誇れるものというものは、ことごとくアルビレックス新潟と結びついているように感じられる。ではアルビ以前は、どうだったのだろうか。初めて新潟を訪れた時、地元の人に「新潟県民が最も自慢できるものはなんですか?」と尋ねたことがある。その人は間髪入れずに「夕日です」と答えた。後年、日本代表の取材でビッグスワンの記者席に座ったとき、見上げた夕暮れ空の何と美しかったことか!

 最後に、新潟での食事について。かの地を訪れて必ず食すのが、へぎ蕎麦である。つなぎに布海苔という海藻を使った蕎麦で、へぎ(片木)と呼ばれる器に美しく盛られているのが特徴。ビジュアルが素晴らしく、しかもツルツルしたのどごしもいい。これに天ぷらと地酒があれば言うことなし。新潟の夜は豊かに、ゆったりとふけてゆく。

<第5回につづく>

宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)
写真家・ノンフィクションライター。
1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年に「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追い続ける取材活動を展開中。FIFAワールドカップ取材は98年フランス大会から、全国地域リーグ決勝大会(現地域CL)取材は2005年大会から継続中。
2017年7月より『宇都宮徹壱ウェブマガジン』の配信を開始。
著書多数。『フットボールの犬 欧羅巴1999‐2009』で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』でサッカー本大賞2017を受賞。近著『フットボール風土記 Jクラブが「ある土地」と「ない土地」の物語』。

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