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【世界杯紀行】直前で監督が代わり、複雑な思いで代表を応援し、ボランティアが素晴らしかった大会<2018年@ロシア>

 OWL magazineのnoteでの更新が終わった(ご存じない方はこちらをご覧いただきたい)。

 実は以前から、そんな予感は伝わっていた。OWL magazineの主筆である中村慎太郎さんが、西葛西出版を立ち上げて『すたすたぐるぐる』に軸足を移している過程を見ていて、今後は出版事業に専念していく(=ネットでの展開は縮小せざるを得ない)のは必定なんだろうなと思っていた。

 もちろん、そのことについて否定するつもりは毛頭ない。何事かを成し遂げるためには、これまで(何となく)続けていたことをきちんと精査するのは、ビジネスの世界では当然の話。「選択と集中」という言葉は、正直あまり好きではないけれども、われわれフリーランスの立場でもよくある話だ。

 間もなく、カタールでのワールドカップが開幕する。このタイミングでOWL magazineにて、過去のワールドカップ取材について自分なりに振り返ることができたの、今にして思えば非常に意義のある企画であった。

2006年ドイツ大会 
2010年南アフリカ大会
2014年ブラジル大会

 そんなわけで今回は、私のnoteにて2018年のロシア大会を振り返ることにしたい。1998年のフランス大会を含めると、私にとっては6回目のワールドカップ取材。このロシア大会は全般的には楽しめたものの、大会直前での不可解な日本代表監督の交代に、複雑な思いを抱えながらの旅立ちとなった。

 ワールドカップ開幕前日に、モスクワのシェレメーチエヴォ国際空港に到着。荷物を取り出そうと後ろを振り向くと、機内の乗客は正装に着替えていた。メキシコにペルーにコロンビア。中南米のサポーターは、早々にロシアに到着して観光を楽しんでいた。(6月13日@モスクワ)

 開幕戦が行われたのは、モスクワのルジニキ・スタジアム。1980年のモスクワ五輪でのメイン会場は、7万8000人収容のフットボール専用スタジアムに生まれ変わっていた。レーニン像の周辺には、さまざな国の言葉が飛び交い、フットボールの祭典への期待感で満たされていく。(6月14日@モスクワ)

 ロシア対サウジアラビアによる開幕戦を前に演説する、ロシアのウラディミール・プーチン大統領。「スポーツは平和と国家間の相互理解を促する」というスピーチも、4年後の視点から見ると何と空々しく感じられることか。(6月14日@モスクワ)

 エカテリンブルクでのウルグアイとの初戦を観戦する、エジプトのサポーター。前回の出場は1990年、その前は1934年で、いずれもイタリア大会だった。モハメド・サラーという異能のストライカーを擁して挑んだ今大会だったが、今大会も1勝も挙げられずに祖国へ帰っていった。(6月15日@モスクワ)

 この大会のマスコットは、オオカミがモティーフのザビバカ。ロシア語で「ゴールを決める」という意味がある。ゴーグルの雪焼けあとのような顔に、寒い国のマスコットらしさを感じるが、着ぐるみの造形がもっさりしてしまったのが残念。(6月16日@モスクワ)

 世界一広大な国土を持つロシアだが、いわゆる「ご当地料理」というものは極めて限られており、どこに行っても似たようなメニューとなる。そんな中、個人的に気に入っていたのが「МУМУ(ムームー)」というロシア料理チェーン店。セルフサービス方式で、庶民的なメニューを楽しめる。(6月16日@モスクワ)

 日本の初戦となるコロンビア戦が行われたのは、モルダヴィア共和国の首都・サランスク。首都といっても人口は30万人足らずで、ホテルの数も限られていたため、民泊を活用することにする。写真は、同宿していたコロンビアの家族。4年前に対戦した時も、現地観戦していたらしい。(6月19日@サランスク)

 サランスクでの写真をもう1点。こちらは試合会場近くで、民族舞踊を披露していた地元の少女たち。色とりどりの伝統衣装と優雅な舞いを撮影しているうちに、初戦の緊張感はすっかりほぐれていた。(6月19日@サランスク)

 日本の第2戦、セネガルとの試合が行われたのは、今大会で最も東に位置するエカテリンブルク。試合会場のエカテリンブルク・アリーナは、今大会のために両ゴール裏に巨大な仮設スタンドが設けられた。ちなみにスタンドの上部は、外国人は座ることができなかったそうだ。(6月24日@エカテリンブルク)

 第3戦のポーランド戦が行われたボルゴグラード。かつては「スターリングラード」と呼ばれ、独ソ戦の激戦地として知られる。試合当日は40度近い猛暑となり、噴水で水遊びをする地元の子供たちが羨ましかった。(6月29日@ボルゴグラード)

 グループステージを2位で通過した日本は、初めて7月のワールドカップを戦うも、ロストフでのベルギー戦で劇的な終戦を終えることとなる。大会直前での監督交代ショックで、サポーターも葛藤を抱えながらの応援だったことは察するに余りある。まずはお疲れ様でした。(7月2日@ロストフ・ナ・ドヌー)

 日本代表が去っても大会が続く。モスクワのスパルタク・スタジアムで、コロンビア対イングランドを取材していると、負傷欠場していたコロンビアのハメス・ロドリゲスが目の前に座った。写真は、コロンビアが土壇場の同点ゴールを決めた瞬間、喜びを爆発させるハメス。(7月3日@モスクワ)

 開催国のロシアは、大会前の評価は必ずしも高くはなかった。しかしグループステージを2位で通過すると、トーナメント初戦でスペインとのPK戦に競り勝ち、準々決勝でクロアチアに屈した。写真は、カザンのパブリックビューイングで、クロアチアとのPK戦に一喜一憂するロシアの人々。(7月7日@カザン)。

 サンクトペテルブルクで、漫画家の大武ユキさんとウズベキスタン料理をいただきながらサッカー談義。『フットボールネーション』の連載で忙しい彼女は、仕事でいったん帰国するも再びロシアに戻ってきた。大武さんのフットボールへの熱量には、ただただ脱帽するほかない。(7月10日@サンクトペテルブルク)

 準決勝の2試合、そして3位決定戦と決勝は、モスクワとサンクトペテルブルクを行ったり来たり。そこで重宝したのが、両都市間を3時間30分でつなぐロシアの新幹線「サプサン」である。今大会はファンIDやアクレディを持っていれば、鉄道の乗車料金は無料なので助かった。(7月13日@サンクトペテルブルク)

 サンクトペテルブルクで見つけた、カタール大会をプロモーションするモニュメント。ロシアは日本の45倍の国土を誇るが、カタールの面積は秋田県とほぼ同じ。そんな小さな中東の国で、本当にワールドカップが開催できるのか、この当時はまだ半信半疑であった。(7月14日@サンクトペテルブルク)

 フランスとクロアチアとの決勝戦を前に、記者席でメンバー表を配布するボランティアスタッフ。今大会のボランティアは、流暢な英語を話し、献身的に働き、常に笑顔を絶やさない、まさに「新しいロシアの若者たち」であった。あるアンケート調査によれば、彼ら彼女らがボランティアを志望した一番の理由は「ロシアに良いイメージを持ってほしかったから」だそうだ。(7月15日@モスクワ)

 以上が、前回のロシア大会の思い出である。たかだか4年前の話だが、隨分と遠い昔に感じられてしまうのは、その間に世界が激変したからである。世界的なパンデミックが収まったと思ったら、今度はロシア軍によるウクライナ侵攻。最近の動員兵のニュースに接した時、まず思い出したのが、ロシアで出会ったボランティアの若者たちのことであった。

 1930年のウルグアイ大会以降、ワールドカップは4年周期で開催されてきたが、第二次世界大戦の影響で12年間のブランクがある。ワールドカップという大会が、平和裏に開催されることは、決して当たり前のことではない。そのことを銘記しながら、カタールに赴くこととしたい。

 <この稿、了>

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