自由人の自由詩


この記事を読んでコメントしたくなった内容。



 あやのんさんは、自由詩は書かないんですか?

 短歌は、まあ、形式詩ですよね。
 形式詩は、わたしは、おおむね文語でないと成り立たないといふ気がしてます。
 でも、一般に、最近の短歌は口語が多いですね。
 あやのんさんの短歌、そして今後の日本の短歌が、どんなふうになっていくのか、楽しみにしてゐます。

 形式主義者のわたしは短歌・長歌などが大好きですが、
自由人の自由詩って、読んでみたい気もします。

 近代詩の場合、現代語、口語でも芸術になると思ふ。

 「芸術」なんてたいそうなものは考へてないと言はれるかもしれませんが、その場合は「伝達可能な表現」と言ひ換へてもいいです。

 わざわざ小説にしろ短歌にしろ詩にしろ、何かの形式に(小説や自由詩にも暗黙の形式はある←持論といふか妄念といふかわたしの見方です)心が惹かれるのは、
ふつうに
「ねえ、聞いて聞いて」と言って親友や恋人に話しても、
さすがにこれは通じない、わかってもらへないだらうなと思ふ、その人だけの気持ちや体験や考へがあるからだと思ひます。

 自由人とは、その人がその人独自の、宇宙で他にかけがへのない存在として生を享受(う)けたといふ自覚。・・・かなと思ってゐます。

 つまりは、自由人であるといふことの悟りが、伝達可能な表現形式に対する模索を誘ふのではないかとわたしは感じます。

 追記
 いや、むしろ、自由人だからこそ、短歌なのかな?

 短歌と文章と、これで一つのセットになってる。
 かういふ表現形式、短歌日記みたいなものもあるんだ!

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