「艦と運命を共にする艦長」と、奇妙な天皇制について
ウィキペディアの記事は、商船や戦艦も含めて「船長」のことですが、ここでは戦闘艦の艦長のことを考へたいと思ってゐます。
沈む戦艦に、艦長が残って艦と運命を共にすること。
ネット情報だが、山本五十六が、ミッドウェー海戦で、戦闘不能となった戦艦に留まり、艦と共に沈んだ艦長や司令官について、次のやうな意味のことを述べたそうだ。(わたしの言葉でまとめてあります)
⓪立派だとは思ふが、今後もこれに倣ふ人が出るのはどうかと思ふ。
①なぜなら、指揮官を養成するには、十年二十年かかる。
②しかるに、戦艦などは、大和級でも、五年もあれば新しいのが造れる。
③また、戦闘機乗りには脱出用としてパラシュートが支給されてゐる。
④退艦すれば、また戦へる。
余談ですが、
山本五十六に、こんな、福沢諭吉みたいな合理主義精神があったのかと不思議に思った。野蛮な精神主義の陸軍を憎むあまり海軍賛美となってしまった作家たちがゐて、さういふ人たちが好んで山本五十六の伝記を書いたらしく、どれを読んでも、どうも、この軍人がどんな人だったのか、よくわからないところがある。素直さに欠けるわたしは、映画に出て来るヒューマニストで民主的で人情家で合理主義者といふ理想のてんこ盛りの五十六氏のイメージはなんとなく信用できない。
余談を終はります。
艦長が、戦闘中などに船が破損して沈没するといふとき、艦長室に入る。
さういふことが、第二次世界大戦では、あった。
わたしは、このことを前の記事で書いた「艦長と権威」に絡めて考へてみたいのです。
集団戦闘行為に於いては、命令系統が必須です。
命令系統は、民主制から生み出すことは不可能で、中心の権力によって成り立つ、求心的な力学的立体構造だと思ひます。
エンジン機関に近い。機関車の疾走のイメージ。
ただし、人間は部品ではない。
各部署に就く、ひとりひとりは、自分の自由意志を持つ人間です。
その人間たちが、参画し調和してそれぞれの役割を命令に応じて果たすことによって、エンジン機関に負けないダイナミズムが生れる。
どうして自由意志と絶対的服従が両立するのか?
それは、艦長に権威があるからです。
権威を持つ艦長は、自分の命が大切だからと言って、或いは、自分の恋人や孫が泣くからと言って、沈みかけた戦艦から、他の乗員を押しのけて逃げ出すことはしない。
最後まで、見守る。
どんなときも、逃げずに、責任を取る。
そんな人の命令だから、自由意志のある人間が、服従できるのです。
艦長が艦と共に運命を共にするのは、艦長となったとき、一人の人間から、それを超えた権威を体現する何者かに変貌したからです。
七つの海を制覇した大英帝国海軍、その海軍のバトルシップ、『プリンスオブウェールズ号』は、日本帝国海軍の航空攻撃によって沈んだのですが、その時、司令官と艦長が退艦の勧めをNo, thank you.と拒んで艦長室に入ったと伝へられてゐます。
乗員や士官ですら個室を持たないのに、艦長だけは自分の部屋を持ち、(船内の部屋にしては)高い天井を眺めて眠れる寝台を独占してゐます。
それは、権威を体現してゐることの象徴でもあるわけです。
政権を握った薩長の武士たちは、国民国家の艦長を求めて、天皇を西洋式の憲法に拘束される・王様といふことにしました。
京都御所で、女官に囲まれて和歌を詠んだり蹴鞠をしてたりしてゐた方を、東京に引きずり出して、江戸城に軟禁したのです。
国家主義が求める権威を、無理やり、背負はされた。
立憲君主と現人神とを無理やりくっつけた・奇妙な王様。
明治天皇といへば、頭に浮かぶ、あの写真。
サーベルを杖つく、西洋の軍服姿の天皇。
日本文化の伝統と歴史に対する、これほどの冒涜があるでせうか?
未だに国家や民族の権威を求めて、天皇制を維持してゐます。
天皇とは、立憲君主制のイギリスの王様のやうに、「君臨すれど統治せず」の権威なのだ、権力ぢゃない、支配者ぢゃない、と保守派なら嬉しそうに言ふでせう。
今の天皇陛下は、そんな、艦長みたいな権威を、ご自分が担ってをられるとは夢にも思ってゐらっしゃらないと思ひます。
上皇陛下以来、天皇に「現人神」としての権威は無い。
その権威を持ってゐた昭和天皇が自ら、その権威をかなぐり捨てたからだ。
今上陛下は、常に「国民の幸せと世界の平和を願って」ゐらっしゃる、なんだか世間知らずだけど、勉強のできる、素直で、とてもいい人みたいだなといふことは、わたしにも、わかります。
でも、天皇とは思へません。
わたしの天皇観は↓こちら。
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