自分と自分の死について



 露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢
 
 これが、天下をとった豊臣秀吉の辞世の句だと、初めて知ったときは驚きました。
 「やりたいことはやりつくして、ああ、満足」といふ心境ぢゃないんだ。
 死ぬとなると、虚無の風が吹く。
 なんにも残らん、消えてゆくだけ。

 死ぬときにこんな気持ちになるのはいやです。
 これはやばいので、なんか抜け道を探したい。

 太閤さんは、現代の日本人みたいに「自分の夢」を追求したからかうなったんだと考へてはどうだらうか?

 といふのも、上杉謙信の辞世の句は、これださうだからです。

 極楽も地獄も先は有明の月のこころに懸る雲なし

 
戦国武将にしては小柄な上杉さんは、物欲はもちろん色欲も完全に排して戦ったから、「実は女性だったのでは?」と疑はれるくらゐ清廉潔白。 
 大義名分のために生き抜いた。

 当時の戦争は、男にとっては「殺し合ひゲーム(=勝敗を競ふ遊戯)」といふところもあった。上杉謙信には合戦の才能があったから、有能なスポーツマンが競技を楽しめるやうに、戦ふことは面白かったでせう。

 和歌をたしなみ、酒も好きだったらしいから、信仰者とはいっても、無味乾燥に生きたわけではないやうです。

 なんか似たやうなものがあったなと、大石内蔵助の辞世の句を思ひ出しました。

 あら楽や 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし

 ふたりとも、どことなく、明るいニヒリズムを感じます。
 死んだら自分は消えてしまふとは感じてゐる。
 けれども、真っ暗闇の虚無といふのではなく、物理学でいふところの「無」や「真空」などと似たものを感じてゐたのかなと、わたしは、思ってゐます。

 かういふ明るいニヒリズムは、武士としての二人が、自分に対するこだはりを持たないやうに努めてゐたからではないかと思ひます。
 自分のことより、お家や領地安堵のこと。

 自分といふものは、自分の自己目的ではなく、何か、お家とか領地の防衛とか自分以外の目的のための道具だった。


 太閤さんは、今風に言へば、まさに「自分軸の人間」だから、その心境はわたしたちにはわかりやすい。
 徳川家康も同じで、自分の名前をできるだけ広く世界に知らしめて、世界を自分ワールドにしたかった。
 これは、現代の日本人の願ひと同じだと思ひます。

 自分の名前を知らしめること。
 自分の可能性を最大限まで追求すること。
 自分の好む世界にすること。

 それはそれでけっこうなんですが、自分にこだはることの最大の難点は、自分の終はりを受け入れられなくなることだと思ひます。

 自分にとって大切な人の死はいやなものです。
 だから、自分にとって、もっとも大切な存在が自分だとしたら、その自分が死んでしまふこと、これは受け入れがたい。

 もし、夢を追って追って追ひ続けた人生の終はりが、露と落ちて露と消えることなら、まさに、夢を追ふといふ夢が醒めたときが、死である。

 このニヒリズムは、とても暗い。

 自分が道具であった上杉謙信や大石内蔵助は、自分が死ぬにあたっても、何か絶対にそれだけは手放せないものを取り去られるといふ感じは無かったのだらうと思ひます。
 あら楽やは、そのあたりの感じを示す言葉なのかなと思ひました。


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