分断される理由


 社会が分断される。
 この頃の流行(はやり)言葉となってる感じがします。

 「それは分断を生むだけですよ」
と、いろんなところでいろんな立場の人に言はれた。
 あまり意味の無い言葉だと思ふ。
「黙れ」
とはっきり言ってほしいなと言ふ気がしました。

 わたしは、分断する理由について考へました。

 今、この日本で一番力を持つのは、
「人権を侵害された、人権を蹂躙された、人権を認めてもらってゐない」
弱者や被害者であることを証明することです。

 トランスの人たちも、これまで人権が侵害され、人権が蹂躙され、人権が無視されてきたからこそ、人々の意識と、社会の制度や道徳観念を変革するべく、立ち上がったわけです。

 かうなると、立ち向へるのは、同じくらい
人権が侵害され、
人権が蹂躙され、
人権が無視される弱者・被害者です。

 そういふ弱者・被害者だけが、この
性別変更に手術要件を科すことが違憲か合憲か
といふ問題において、対等に自己主張できる人々です。

 この場合では、生物学的女性、もしくは、
男性器によって身体的被害を被る可能性を持つ身体を持つ人たちです。
 だから、女の子だけでなく、少年だって、危険なんです。

 分断とされる状況は、それぞれ互ひに譲れない人たちがゐるといふことです。
 民主的に話し合っても合意できない。
 多数決で決めたら、まさに、少数者といふ弱者の切り捨てである。

 こんな次第で、今後も、日本社会の分断は増えていくと思ひます。

 分断して、分解して、崩壊すると思ひます。

 ルソー風の人権思想は、現実の世界をいつかは解体します。
 解体するための、つまり革命のための観念だったからです。

 何が残り、どんな新しい社会になるのか、「子供たちの未来」が気になる人は、ちょっと考へたはうがいいやうな気がします。
 「人権を守れ」と叫んでゐれば、いい社会になると夢見ることのできたのは、わたしたちのやうな老人が若かったときのことです。

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