天皇制は要らない


 この記事を読んでコメントしようと思ったけど、なんか因縁つけてるみたいなので、引用して、わたしの記事で自分の思ったことを書きます。
 論争する気は無いです。
 堀間善憲さんの他の記事も読んでみて。
 こんな賢い人とやっても、絶対負ける。
 
 
 天皇制に関しては、わたしは理屈ではなく、ただ感情的にこだはってゐるだけなんです。
 インパーソナルな天皇といふものに。
 たびたび貼りましたが、また、三島氏の天皇観といふショート動画を貼ります。

 天皇制とは共同幻想なのです。
 日本といふ共同体も吉本隆明氏的には、共同幻想であり、その民族的な共同幻想を土台で支へのが、天皇制といふ共同幻想です。

 かういふ天皇観にどうしてこだはるのか?
 三島由紀夫氏の口真似をすると、「もう妄念ですからね。理屈も何もないんですよ、ぼくには」。
 三島氏は、さう言って、その後、笑ふ。
 この笑ひを、たいていの人は「空虚な高笑ひ」と聞く。
 そして、妄念に憑りつかれた三島氏を気の毒に思ふ。

 わたしのことも気の毒に思ってね。

 さて、わたしの天皇制に対する意見は、いつもどほりのワンパターン。
 コメント欄に書きかけたのは、次のやうな内容です。

・・・・・・・・

 わたしは「陛下の御心」的な話は苦手。
 軍国主義に沸き返る中でも、天皇陛下は、戦争で倒れた敵味方の人々の命と、その家族の悲しみに思ひをはせたまふ。
 勝利に酔ふ人々の中で、ただ独り、うなだれて平和を願はれる、といふ感じの話。
 

 昭和天皇が、小林よしのり氏みたいな爺さんだけでなく若い人たちにも人気があるのも、戦争や軍国主義、つまりは日本的不合理(福沢諭吉が撲滅しようとした東洋文化の蒙昧)が、大嫌ひだったからだと思ひます。
 これはよかったなと思ひます。ヒトラーと意気投合してゐたら、戦後の軍事裁判で絞首刑を言ひ渡されてゐたでせう。

 昭和天皇は、開明的な君主だった。天皇個人のお人柄としては、典型的な二十世紀の科学者でした。手塚治虫氏的な理系思考の、自然の神秘なんかも無害なものは適当に受け入れる、いはゆる「科学的な人」だったと思ひます。だから、狂信的な現人神なぞの観念は、生理的にいやだったと思ふ。

 自分に神の役割を求めた二・二六事件の青年将校たちには、心底、嫌悪をお感じになったと思ひます。
 昭和天皇の二・二六事件の受け取り方は、戦後日本人と同じ感覚なので、今の人には、昭和天皇と共感できる人が多いと思ひます。

 わたしは、天皇陛下が平和主義者の素晴らしい人だったといふ話にはあまり感動しません。
 天皇が個人的に平和主義であることは天皇制とは関係が無い、といふ考へに縛られてゐるので。
 はっきり言って、個人的にはヘンタイでもいいんです。

 こんな偏頗な考へ方なので、皇室のニュースに触れるたびに、
こんなん☆が天皇だったら、もう日本には天皇制は要らん
と思ふこともあります。←それでもネトウヨか?(^^;)


☆「こんなん」っていふのは、これです。
毎日新聞『皇室スケッチ』より

上皇さまは、憲法で「象徴」と位置付けられた天皇として初めて即位し、上皇美智子さまとともに新しい皇室像を求めました。
そして、社会の要請に応えるだけでなく、時にリードしながら皇室と国民の新しい信頼関係を築き上げていきました。
中略
模索の中から、天皇陛下と皇后雅子さまによる「令和流」がこれから本格的に始まることになります。
(引用、終はり)

 どサヨク新聞の毎日さんが、上皇様と今上陛下を、あの(「あの」って何?)雅子さまと共に、絶賛して、今後の支持を宣言してますやん。

 小泉信三氏から始まり、半藤一利氏や保坂正康氏が「イギリス風立憲君主」としての天皇を、丹精込めて、育てて来た。
 それが、大成功したってことだと思ひます。


 これからの皇室がどうなるか?
 それは、イギリス王室をみれば、わかります。
 昔の栄光をしのぶための生きた遺跡。
 個人的には、家柄のいい、おバカな金持ち。

 ああいふふうに、なる。
 
 

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