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好きなことをど真ん中にして生きるという生存戦略 #YouTubeをはじめました

2020年5月、僕はYouTubeをはじめた。

と言っても、YouTuberになりたいんだ!とか、そういう気持ちではじめた訳ではなく。2019年4月から、定住にこだわらず 移動を暮らしの中心において各地を転々としながら生活するスタイルを実践してみている中で、今までの人生では出逢うことがなかったユニークな人との出逢いが増えたことがきっかけだ。

田舎に行けばいくほど、自分とは全く違う感覚で生きているユニークな人たちと出逢う。この出逢いが本当に楽しくて仕方ない病み付きになった。「楽しい」という気持ちと同時に、出逢う人たちの想いや活動を伝えていきたいな、こんな世界観があるなら多くの人に知ってもらった方が良いなと強く思うようになった。

お爺ちゃんの想いを背負った映像制作会社との再会

そんな中、映像制作会社Grandpa Graphics の藤澤浩士(大学の頃からの友人で10年来の親友、以下ひろし)と飲んでいる時にそんな思いの丈を語っていたら「YouTubeやったら?俺編集するよ」と声をかけてくれた。


「YouTubeか、いいね〜!」


ひろしは、大学時代から映画監督になるんだと豪語していて、いつも大学にこもっていた。185cmくらいの長身で、頭はひどい天パで「ブロッコリー」みたいな見た目だ。いつも何かに怒ったり感動したり、とにかく熱いやつで「大きな子ども」と学生時代は呼ばれていた。何かと憎めないやつだ。

大学を卒業後、「アメリカのLAで修行してくる」といって、夢を叶える為に、映像の学校にいくということだった。しばらく連絡を取っていなかったが「東京にいるから会おう!」と2年後くらいに久々に連絡がきた。


「日本に帰ってきたんだ!」


久々に東京にあらわれたひろしは、相変わらずの「ブロッコリー」ヘアーだったが、1点違ったところがあった。みるからに瘦せ細っていた。

「どしたん?」と聞くと、「家、泊めてくれない、、、?」というのが久々の再会の一言目だった。資金が底を突くまでアメリカにいたのだろう。治験をして生活費の足しにしたり、毎日1~2ドルのファストフードで凌いだ話もしてくれた。「アメリカに滞在中に絶対作りたい作品があってその製作費の為にお金を使ってしまった」ということだった。この時、僕はなぜそんなに辛い思いをして、儲からない映画をつくるのか分からなかった。

ちなみに、それがこの、GRANDPA、というショートムービーだ。

内容は、お爺ちゃんっ子だった主人公ハリーが大きくなって、認知症のお爺ちゃんとの関係性に悩んだ中でみつけた人生で最も大事なことを表現したヒューマンドラマだ。

ひろしはこの動画について、なかなか教えてくれなかったが、ある映画祭で流れると聞いて、仲の良い友人と観にいった。野外の会場でいい設備だとは言いきれなかったけれど、無事上映が終わり、みんな感動しているようだった。一緒に観に行っていた仲の良い友人と、GRANDPAを観て、声を押し殺せないほどに泣いていた。

なぜか、、というと、ひろしがずっとお爺ちゃんの写真を財布にしまっていたこと、ひろしがお爺ちゃんをすごく尊敬していること、自分がおじいちゃんっ子だったということをよく話してくれていたからだった。

それが走馬灯のように思い出されて、僕が今まで観たどの映画よりも感動した。これを作る為にお金を使って貧乏をしてたんだ。ひろしにとっては早くに亡くなったお爺ちゃんに対する成仏的な作品だったんだろうなぁとか、深読みしてしまって、なかなか涙がとまらなかった。

そんなひろしが、2年前に創業した会社が「Grandpa Graphics」だ。いつまでお爺ちゃんを追いかけているんだ、ひろし。もうエモにエモすぎて、僕はひろしが代表を勤めるこの会社をずっと応援していきたいと思っている。今は従業員のみなさんが4名ほどいらっしゃるようだ。貧乏ひろしからは想像ができない。相変わらず「大きな子ども」みたいできっと従業員のみなさんを困らせているだろうなとも思う。

そんな、家族のような、お笑い芸人でいうと相方のようなひろしが言ってくれた「YouTubeやったら?俺編集するよ」はなかなかに嬉しかった。だからやろうと決めた。

テーマはいろんな人の感情に寄り添った動画にしたい

そういう訳で、YouTubeをやると決めた。テーマは、もう言わずもがな、「お爺ちゃんだよなぁ」ということだった。ただ、僕の想いとしては、お爺ちゃんだけではなくて、いろんな人の感情に寄り添いたいと思っているので「インターネットにはなかなか上がってこない素敵な人」を対象にインタビューするということろからスタートしようとなった。

いざスタートしよう!となった瞬間、新型コロナウィルスの影響により、なかなか移動が難しくなったという背景がありZoomでインタビューしつつ、以下のようなコンセプトやタイトルでスタートしてる。

SURVIVE by 細川哲星

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「多くの人が戻ることを願っている。だからこそあたらしい世界へ進んでいく。」をテーマに、Withコロナ時代世界2.0の今までと全く違う景色を感じていただくYouTubeチャネルです。
毎週テーマを1つ決め、そのテーマに沿った人生をサバイブしているゲストをお招きし、テーマについての過去・現在をインタビューし、未来についてを議論していきます。番組視聴者も観覧者も議論に参加できる公開ディスカッションです。

これからどんな人に出会えるのか本当に楽しみだ。

第一回目のゲストは、81歳の田中稔子(たなかとしこ)さん

まず、第一回目のゲストは、今年81歳の田中稔子(たなかとしこ)さん。この方、めちゃくちゃ素敵な人だった。

広島市に住む田中稔子さんは1938年(昭和13年)生まれ、金属にガラスや釉薬を焼き付ける工芸「七宝焼き」のアーティスト。広島に原爆が落とされた1945年(昭和20年)8月6日、当時6歳だった田中さんは爆心地からおよそ2キロの場所で、国民学校に向かう途中で被爆しました。世界80ヶ国で戦争体験を現地で講演活動をされてこられました。2020年今年、81歳でいらっしゃって作品はバチカン市国・ローマ法王庁や フランスの美術館にも収蔵されていらっしゃいます。被爆体験を話すなど論外で、家族にも詳しい原爆の話をする事はなかった田中さんが過去についてお話ししてくださいました。
https://www.toshikotanaka.com/

ぜひ、動画をご覧いただければ嬉しい。田中さんも慣れないZoomだったがみっちり原稿を用意してきていただいて、内容も姿勢も素晴らしいものになっている。僕のMCは初めてなので、あらかじめご了承ください(笑)

動画をご覧いただいた方から、コメントをもらえてすごくハッピーでした。

NYやグローバルな日本人のコミュニティーでシェアさせていただきました。田中さんの若さとエネルギー、素晴らしいですね。今の若い世代は高度経済成長もバブルも経験せずに、物心ついた時には下り坂。バイト数件かけ持ちしてやっと生きてる人たちが多い中、どうやって過去の間違いを繰り返さないように情報を共有していったらいいのか、難しい問題だと思います。このような映像を共有していくことがまず第一歩だと思います。これからも若者たちとのコラボ楽しみにしています。どうぞいつまでもお元気でみんなにエネルギーを分け与えてください。New Yorkより、レイチェルClark

ノーベル平和賞受賞者したジョゼ・ラモスさんだったり、菅直人元総理の通訳をされているような素敵な活動家の方です。すごく嬉しい。まだ、閲覧数で行くと300回程度(2020年6月1日現在)なのですが、どんどんユニークな方とお話ししていきます。みなさまどうぞ、今後ともお付き合いください。

いただいたサポートで僕は「いつか必ずあなたに会いに行く」ことができます!!家を持たない生活をしているので、日本全国どこでも飛んで行きます✈️