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7年半働いたガイアックス(TABICA)を退職し起業します

こんにちは。2020年8月末でガイアックスTABICA)を退職いたしました。

TABICAとは、自分の好きなことをリアルの場でシェアするサービスで、体験を企画・開催する「ホスト」と参加する側である「ゲスト」を繋げます。

ガイアックスには約7年半(TABICAを社内ビジコンで発表させていただいてから約6年)という長いようで短い期間でしたが、僕にとって本当に貴重な時間でした。在籍中、お世話になった一人一人にご挨拶にいきたい気持ちもあったのですが、お時間を取らせず、分かりやすい伝え方として経緯、背景、今後についてブログに書きます。長文で読みづらいと思いますので、太字だけでも読んでいただければ嬉しいです。

ちなみに辞めたからといってTABICAは変わらずファイティングポーズですので関係してくださった方々は引き続きよろしくお願いします。TABICAにて相談がございましたらお問い合わせからご連絡ください。担当へお繋ぎすることもできますので僕まで連絡いただいても問題ないです。


なぜ辞めたのか

なぜ辞めたのか、みんなに聞かれます。TABICAは、自身で立ち上げ、毎日ロゴの入ったTシャツを着るくらい想い入れがあったサービスでした。僕のSNSでの話題もほぼTABICAの話ばっかりでしたし、僕の人間関係の多くはTABICAで出会った人たちで構成されています。辞めるにあたって「この裏切り者!」と半分冗談、半分本気のような意見をもらったりもしました。

理由を一言で言うのは難しいのですが、言うとすれば「生きるとは何か」を見つけたいと思ったからです。もっというと「背水の陣をまたやりたい」「次の挑戦をしたい」「じっとしていられない」というキーワードが出てきます。

ちゃんと誤解の無いように、文脈とともにお伝えてしたいので、そもそもの話から始めたいと思います。

株式会社ガイアックスとの出会い

新卒で株式会社ガイアックスに入社しました。ガイアックスは、「人と人をつなげる」をミッションに、ソーシャルメディアとシェアリングエコノミーのサービスを提供している企業です。

「3年前からフルリモートワーク」「新卒入社からの卒業生の6割が起業(内、3社が上場)」などのエピソードから「自由すぎる企業」「起業家輩出集団」として紹介されることが多いです。

就職活動をしている当時も、ガイアックスにいた社員の方々が一人一人個性的で、何より「社会にインパクトを与えるぞ!」と強い意志を持ちながらビジネスをされていて、カッコよくみえました。自分もそうなりたい、と思い憧れの気持ちで入社をしました。社長である上田さんのお話しは、好きすぎて関西から3回ほどわざわざ説明会に聞きにいっていました(笑)

「占いビジネス」からはじまる社会人、人生

2013年入社後、新人研修を終え、プロモーションマーケティング部に配属されました。僕の最初の担当は「占いビジネス」でした。ソーシャルメディアをやっているIT企業でまさか「占いビジネス」をやるとは思っていませんでした。(笑)

ビジネスモデルは、占いのコンテンツを仕入れ、いろんなWEBサイトやメディアに月額数万円で提供するというものでした。この事業の原型を作ったのが、元ガイアックスで現在AppBank株式会社代表取締役のマックスむらいさんでした。

※32:50〜36:30くらいに「占いビジネス」の事業が説明されています(笑)

配属された直後、事業の過去資料や議事録、商材情報の詳細をみていると、0から事業を立ち上げるハチャメチャさ、何よりスピード感を感じました。「本当にはじめは手作りなんだ!」と、今までにない新しい世界が待っているんだなと感動したことを覚えています。

占いだけでなく、ミニゲームやレシピ、ニュースなどのコンテンツも扱うようになり、最大700社に導入いただき、僕が入社した当時は僕含め4人の少人数体勢でしたので、営業からコンテンツの仕入れ、開発、納品まで、このサービスの流通の全てに関わることができたのもすごくいい経験でした。

TABICAの立ち上げ期『あたたかい小さなコミュニティ』

入社して1年半がたった時、新しい事業を自分で作りたいなぁという気持ちが抑えきれず、2014年10月に社内のビジネスプランコンテストでTABICAについて発表しました。

事業構想の根本は、僕の生まれ故郷(京都府南丹市胡麻)が限界集落で人がどんどん減ってしまっているということです。昔は地域の人が集まってお祭りができていたのだけど、そういった行事がほぼ一切できなくなってしまった現状を目の当たりにして、あの楽しかった地域の集まりがなくなってしまうんだ、、ということを寂しく思ったことがきっかけでした。

そのことを思い出させてくたのは、ガイアックスの先輩に連れられ何人かで山梨に行った日のこと。果物や野菜農家さん、こだわりのワイナリーを作っている方、地域の肉屋さんなどの様々な方が地域を案内してくださって。

※当時の山梨ツアーの時の写真

幼い頃に感じていた人と人とのつながりから生まれるあたたかさを思い出しました。『あたたかい小さなコミュニティ』に迎え入れられることがどれだけ嬉しいことだったか。そういったことを旅行地で感じられたら良いなぁ、一方で僕の生まれ故郷のような地方は人がきて関係性を持ってくれることが非常にありがたいことだよなぁと。そして、それが実現すればビジネスとしてお祭りや行事も継続できるのでは、と思い、TABICAをスタートしました。

事業存続の危機、助けていただいた原田さん

事業をやっていると危機はおとずれるものだと思いますので、その詳細は省略しますが、TABICAにも何度か事業存続があやぶまれる危機がおとずれました。

自分自身に対する不甲斐なさ、悔しさと共に、本当にいろんな人に助けていただいたことを思い出します。助けていただいた皆様、本当にありがとうございますした。その中で、最も助けていただいたなぁと感じるのはTABICA事業責任者の原田 祐二さんです。

※左)原田さんと撮った写真

原田さんは僕の一つ下の代のガイアックス新卒入社です。入社して早々のガイアックスの全体会議で社長にむかって「このままいくと会社として未達だと思うのですが何か考えはありますか?」と発言するほど、心臓に毛の生えたような男で、かつ、一緒に仕事した同僚からは「原田さんは本当に優秀」ということを聞かされていました。

原田さんと話せば話すほど一緒にTABICAをやりたいなと思い、2017年5月の原田さんの仕事の区切りのタイミングで、「原田さんと一緒に働きたい理由」というタイトルの長文ラブレターを書き、送りました。もちろん他の要因もあったと思うのですが、この時、結果的に原田さんのTABICAへの参画が決まりました。

原田さんとのエピソードで最も思い出に残っているのがある会議で「てっせいさんにできて僕にできないことはないです」と怒ったトーンで言われたことがありました。他のメンバーから「てっせいさん、怒った方が良いですよ」と言われ何かを言い返したんですが、本当は怒るなんてとんでもない、原田さんの存在がものすごく頼もしく、そういう気持ちでTABICAをやってくれていることが本当に嬉しかったことを思い出します。

2017年11月から原田さんがTABICAの責任者として着任され、そこからというもの、原田さんが事業におとずれる危機や、事業を伸ばすことに対して逃げることは一度もなかったです。原田さんが責任者をしてくれているおかげで僕も自分の強みを生かして自分の仕事をできたように思います。原田さんに助けられた経験があるからこそ、次僕が何を仕掛けるときは早期から強みで勝負しようと思えています。原田さんには、本当に感謝しかないです。

様々なタイプの人と手を取り合って、コトを起こす

2018年からは、TABICAの中で地方創生室を立ち上げ、総務省地域活性化大賞の賞をいただいたり、総務省、経産省、自治体の皆様と一緒に事業を推進したり、沢山の企業、個人の皆様と一緒にプロジェクトを立ち上げたりしました。

個人としては、内閣官房シェアリングエコノミー伝道師、総務省アドバイザーとしてTABICAでのノウハウを生かして地域課題解決にチャレンジしたり、ADDressという多拠点居住サービスを活用し持ち家をなくして日本全国を転々とするアドレスホッパーになり、2019年は年間100講演・説明・ワークショップをさせていただいたり。コロナ渦では、オンライン体験フェスという大型オンラインイベントでは延べ2万人を動員したり。

社内組織を動かす、というワークスタイルから、社内外いろんな個人や組織と一緒に動く、というワークスタイルに変わり、様々なタイプの人と手を取り合ってコトを起こすことが本当に楽しかったです。このスタイルが非常に自分にあっているように思っています。

※鹿児島県阿久根市との連携協定、提携式

もっと社会に貢献できるのかもしれない

なぜ辞めるのか。理由を一言で言うのは難しいですが、今30才という節目で「次の挑戦をしたくなった」ということだと思います。もっというと「もっと社会に貢献できるのかもしれない、その可能性が1%でもあるならチャレンジしてみたい」と思っています。

今準備中ですが、ライフミッションである地方創生関連で起業を予定しています。とはいえ、特に最初はあまり選り好みせずに、誰かのためになるサービスやプロダクトを実験的にスモールでどんどん出していこうと思っています。

まだゼロベースですが、面白がってくださる方、一緒にやりましょうという方、募集中ですのでぜひお話ししましょう。今まで活動や思考範囲がTABICAのテーマの外を向けなかったので、今後はTABICAの領域を超えて地方創生の社会課題解決していきたいと思っています。

※生まれ故郷「京都府南丹市胡麻」の写真です

ありがとう、ガイアックス。いつか必ず恩返しします。

いろんな学びと出会いがあったガイアックス。本当にかけがえのない時間でした。ガイアックスの好きなところは、"個人の可能性を信じあっている"という空気感があることです。可能性を心底信じられた人たちが未来を切り開いているのが本当にかっこいいんですね。

※ガイアックスの大先輩佐別当さんが代表をされているADDress記者会見

多拠点居住サービスのADDressは何より記者会見がめちゃかっこいいんです。初めて観た時、衝撃が走りました。ブロードウェイのミュージカルよりカッコよく感じたんですね。それは未来を作っていくというこれからはじまる真実のストーリーだから。見に行くだけの価値があるレベルでかっこいいんですよね。僕はこの写真の時、あまりにワクワクしてしまって「よし、家をなくそう!」と決断しました(笑)おかげさまで本当に楽しい未来がその後待っていました

佐別当さんを例にあげましたが、他にも僕が非常に影響を受けた方々は沢山います。みなさん、やり方もタイプも多種多様で本当におもしろいです。僕もガイアックスに今いらっしゃる人たちや、ガイアックスを卒業されている人と同じように、誰かをワクワクさせる、未来を切り開いている、そういう人になりたいなぁと思っています。

世間からはガイアックスは「起業家輩出集団」なんて言われていますが、僕にとってガイアックスは夢を見させてくれる「ヒーロー輩出集団」なのかもしれない。

本当にお世話になりました。恥のないように生きていきたいと思います。

いただいたサポートで僕は「いつか必ずあなたに会いに行く」ことができます!!家を持たない生活をしているので、日本全国どこでも飛んで行きます✈️