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私には文才がない。だから書く。

引っ越してから、ほとんど更新できなかった。書きたいという気持ちはあったのに、時間だけがどんどん過ぎちゃって。


ふと思う。
私は世界の何を見ているんやろ?と。


noteにはいろいろな人がいる。

季節の移ろい・自然を敏感に感じとる人、自身の思考を追求する人、得意分野・専門分野を丁寧に教えてくれる人、日常をおもしろおかしく切り取る人、子どもの成長をあたたかく見守る人……。

どれもこれも本当にすごい。私にはとてもじゃないけど、できない。もちろん他の誰かにならなくてもいいし、真似をする必要もないのだけど、じゃあ私はいったい何を見ているのかな?って。

見ているようで何も見ていない気がする。誰かの投稿を見て初めて、桜が満開だと気づかされるし、金木犀の香りが漂い始めていることを知る。

子どものことだって、なんにもわかっちゃいない。わからないから自分勝手に期待して、うまくいかないことに悲しむ。子どもにとっては、いい迷惑だよね。なんなら、外で働いている旦那の方がよっぽど理解していて、冷静に現実を見極めているように思う。


ここのところ、ずっと思考にもやがかかったようになっている。確かに頭の中で想いはめぐっているのに。何も見ていない中でも、かすかに芽生える感情がわずかに残っているはずなのに。

もっと素直に目の前のことが見たい。見たまま、感じたままを表現したい。指の隙間からぽろぽろ零れ落ちるように、私の中から思考も感情もどんどん消えてゆく気がする。怖い。



2023.4
いつの間にか咲いていた桜



さて、こんな状態で、noteに何を書こう?
ここにきて、確信したことがある。

私には文才がない。


もうね、わかった。
「いまごろ気づいたの?」って言わないで。本当はずっと前からわかってたんだよ。認めるのが嫌だっただけ。

だから、ちょっとかっこつけて、良い感じっぽい文章を書いてみようとした。書けたつもりになった。書けていないくせに。

読ませる文章を書くための感受性も、ユニークさも、言葉のストックも、瞬発力も何もないゼロの私。

それでもね、書くのは好きなんだよ。
才能はないけど、好きなの。


エッセイなんておこがましい。
もはや日記でもなく、ただの作文・記録文かもしれないけど、私は私のために書く。書かせてほしい。これしかできないから。



ではでは、また。

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