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1月17日に書いたこと

こんにちは、てしゆりです。
昨日は1月17日。
阪神淡路大震災が起こった日です。あれから、もう26年。

本当は昨日のうちに、震災のことを書いて、更新したかったんです。

実際に普段の記事よりもかなり多い文字数で、いろいろと書いてはみたんですね。

でも、何かが違う気がして、書いては消し、書いては消しを繰り返して、ついに日付が変わってしまいました。

いまだに、震災のことを自分の中で消化できていないのかもしれません。

全然まとまっていないのですが、昨日書きかけた文章の中から抜粋して、最後に記しておきます。おまけのようなものです。

ではでは、本日もお読みいただき、ありがとうございました!


今朝はいつもお世話になっているお寺に行き、犠牲になられた方々や、今もなお悲しみや苦しみを抱えている人たちの心が少しでも癒されるようにと、お祈りをしてきました。

手を合わせて拝んでいる間、当時のことが次々とよみがえってきました。

実際にこの目で見た景色やテレビなどを通じて見た景色、そのときに感じた恐怖不安など。

本当にさまざまな景色が。感情が。

走馬灯のように頭の中を過ぎていくと、なんだかクラクラとして、ふとよろけそうになりました。
震災当時、わたしは神戸の中でも、比較的被害が少なかった地域に住んでいたのですが、かつて経験したことのない大きな揺れと止まらない余震、ところどころにひび割れ、隆起している地面を感じながら、これはただごとではないということを思っていました。

地震直後からライフラインはすべて止まっていましたが、お昼を過ぎて、電気が復旧し、テレビをつけたときの衝撃はいまだに忘れられません。

数日前に訪れた予備校のビルが、倒れている。
何度も利用したことがある駅舎が、高速道路が、倒れている。
あちこちで火の手が上がり、まったくおさまる様子がない。

そこにあるのは、わたしの知らない神戸の姿でした。
震災後、神戸は超非常事態でしたが、他の地域ではいつもと変わりない日常があって、パラレルワールドというか、まるで世界が二分されたような、そんな居心地の悪さを感じながら過ごしていたことを覚えています。
幸いなことに、わたしの家も、身近な人も、みんな無事でした。

ガスと水道はなかなか復旧しませんでしたが、その間、親戚の家にお世話になることができたので、避難所へ行くこともありませんでした。

わたしのこの状況は、“不幸中の幸い”と言えるかもしれませんが、不幸中の幸いに苦しめられることもあるんじゃないかと思うことがあります。

家が無事だったこと、周りの人が誰も犠牲になっていないことが、逆に申し訳なく、重荷になってしまうことがある、ということです。

わたしは家も人も失っていない。避難所暮らしも経験していない。
だから、つらくない。つらいと思ってはいけない。

長年、わたしはそう思って生きてきましたが、昨年知り合った人と、たまたま震災の話題になって、わたしの体験をいろいろと話したところ、

「なに言ってんの?
それって、立派な被災者じゃん!
大変だったんだね・・・」

と言われて、めちゃくちゃ驚きました。
震災から25年経ってはじめて、自分が被災者だったのだということを知りました。

被災者だと認められたことで、なんだか少し重荷を下ろせたような気がしたのです。

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