プロゲーマー契約解除問題:キャンセル・カルチャーと表現規制の問題点
ゆっくりしていってね!!!!
YANAMi先生のおかげで新しい身体を得て、東方Projectとはそれほど関係がなくなったゆっくり生命体、てっしーよ!(※手嶋の略)
ねえ、鏡よ鏡……世界でいちばん美しいのは――私よ!!!!
YES, I am beautiful.
さて。「無機物である鏡には、判断能力がない」「また、容姿を他人がジャッジするのは性的搾取であり、違法」「よって自分で判断するしかない」という当たりまえの前提とロジックを確認したところで、本日のテーマに行きましょう。
本題としては、プロゲーマー・たぬかなさんの契約解除の件なんだけど、その前に、そもそもの表現規制反対の原理・原則について説明させて頂くわね。
ツイートでは、「契約解除は仕方ない・当然だ」という意見の人に対して、かなりキツい非難もしてしまったけれど、私自身にも同様の趣旨の話に賛同していた経験はあるから、正直気持ちは分かるのよ。そのあたりで不快な思いをされていたらごめんなさい。"表現自由戦士は単なるフェミ憎しで、自由には興味ないみたい"は言いすぎたわ。
この件では怒りや失望感といった感情も入っているから、表現には気をつけるにしても、加減できていない箇所は出ると思うわ。論旨を明確に伝えることには全力を尽くすから、読んで頂ければ幸いよ。
表現規制反対の原理・原則
おそらく、このnoteを読まれている多くの方は、自分の好きなクリエイターさんや、そのクリエイターさんがいるジャンル(いわゆるオタク文化)に、いちファンとして憤っている方が多いんじゃないかしら。
それはもちろん全然悪いことじゃないのだけれど、やっぱり実際にキャンセル被害、表現の自由が奪われた『当事者』としての経験があるかどうかで、危機感というか、切迫感は変わると思うのよ。
そこで、実際に表現当事者としてキャンセル被害を受けており、「表現の自由」に関する知見も深いとつげき東北さんと話し合って、表現規制反対の原理・原則について次のようにまとめたわ。
「どんな表現であれ、規制されることなく表現されるべきだ」
これが原理・原則。
もちろん、原理だけに従うと、伝統的な運用における「殺人予告」や「脅迫」等の違法行為に該当する表現も全部問題なし、となるから行き過ぎにもなるわね。
ただし、ここ15~20年くらいで性急に強まった表現規制(喫煙者への抑圧や、表現弾圧型フェミニスト関連・キャンセルカルチャーなど)はどうなの、本当に大丈夫なの、と疑う姿勢が基本よ。怪しくなったら原理・原則に戻って考え直すと踏み外さないで済むわ。「非実在青少年」の人権が……と言われたら「ちょっと待った」と踏みとどまれるようにしておくのが大切よ。
【注記】
「表現」には様々な意味があるけれど、ここでは「特定の思想信教に基づく発言をすること」「絵や動画、音楽など、作品を公開すること」くらいにするのだわ。日本国憲法でいうところの「表現の自由」の範囲になりうるもので考えましょう。
常にこのあたりまで戻って考え直さないと、どこからが恣意的な線引きなのかが分からなくなってしまうわ。分からない状態で、なんとなく「ここまでは表現して良い」「ここからは迷惑だと思う」と勝手に決めちゃうと、表現規制派のやっていることそのものになりかねないわよ。
そして、それが本当に一方的な力を持ってしまい、キャンセル(取り下げ、解雇、契約解除)に繋がるものをキャンセル・カルチャーと呼ぶわ。
もとより、「表現の自由」は憲法で保障されている基本的人権なんだから、みんなに等しく与えられているわ。プロゲーマーだった場合に限り、「表現の自由」は少し減らしていいとか、そんな話は憲法における「人権思想上は」有り得ないのよ。
「プロゲーマーの表現の自由」が奪われているなら、国家がそれを取り返さないといけないわ。国家は、犯罪や自然災害などで国民の生存権が脅かされていたら警察や自衛隊を派遣しなきゃいけないし、サービス残業などで財産権が侵害されていたら正規の支払いをさせる措置を取らないといけない。「国民の基本的人権を保障する」というのはそういうことよ。
「表現の自由」に関しても話は同じ。契約書に「表現の自由を制約します」と書いてあっても、基本的人権を侵害するような抽象的禁止事項による契約は無効よ。
実例としては、「アイドルだから恋愛禁止」と契約書であらかじめ示されていて同意していても、アイドルさんがいざ違反した時、企業による損害賠償請求は認められなかったケースがあるわ。(認められたケースもあるから運のみではあるんだけど)
もちろん、日本の実態としては、基本的人権なんて保障されていなくて、不当なキャンセルがあろうと、「まあ、仕方ないよね」と消極的に肯定されていたり、「当然だ」と積極的に支持されていたりするわ。
人権侵害が横行している状態を現実として認識することと、「今後もこのままで仕方ない」「むしろこのままの方がいい」と言うことは別よ。「明らかにおかしいけど妥協するしかない」と理解したり、実際に少しでも人権が取り戻せるように抵抗することとは全然違うわ。
たぬかなさんのキャンセル問題
原理・原則を踏まえたうえで、メインテーマに入りましょう。
格闘ゲーム『鉄拳』でプロとして活躍している「たぬかな」さんが、配信で不適切な発言をしたとネット炎上した後、所属企業チームやスポンサー企業から契約を解除されたというお話よ。
不適切な発言で怒りを買ったためか、Twitterでも企業擁護・たぬかなさん非難の論調が目立っているわね。
それ自体はある種「いつものこと」だけれど、今回、表現の自由を擁護している人たちまでキャンセルカルチャーの流れに乗ってしまっているわ。
このことに、私は非常に大きな問題意識と危機意識を感じているのよ。
表現の自由を擁護する人たちは、様々な表現物・表現者のキャンセルに反対してきたわ。
戸定梨香さんの動画掲載キャンセル、呉座勇一さんのオープンレター問題によるキャンセル、本多平直議員の「14歳と性交」発言でのキャンセル、不確かな過去のいじめを理由とした小山田圭吾さんのキャンセル、あいちトリエンナーレ『表現の不自由展』のキャンセル……。
挙げればキリがないほどね。
原理・原則に基づき一貫した姿勢で表現規制に反対しているなら、本件でも「同様の事例」として反対に回るのが当然だろうと思っていたわ。
あるいは、慎重な姿勢として、たぬかなさんが本当に悪質な契約違反をした可能性は考えられるから(※以下のコーナーで説明)、「待ち」に回る人もいるかな、くらい。
【表現規制を契約しても権利侵害にならないケース】
たぬかなさんが契約時に「こういう発言をしてはならない」と具体的な説明を受け、合意して契約した上で、「契約違反」が指摘されたのなら、表現の自由の侵害もなく、契約解除も正当な行為になるわ。
「契約違反」と言うためには、「社会的信用を失墜されるおそれ」などのような抽象的事項への違反ではなく、例えば「チビ・ハゲ・デブなど身体的特徴を指した悪口を言ってはならない」レベルで十分に具体的で予見性がある事項への違反でなければならないわ。さらにその上で、信義則があるから、通常はいきなり契約解除ではなく、厳重注意や協議からにすべきよ。場合によっては、「被害がある」ことを示す損失額なども合理的に算出した上で裁判にかけなければならないわ。処罰するにしても、その相場観というものはあるしね。
会社員が仕事に失敗して「損害」を出したからといって、いきなり解雇できないのと同じよ。
(※ただし、厳密に「正当な契約解除だった」かは裁判結果が出るまで分からないうえ、判決はかなり運のみよ!)
上のコーナーで述べたように、契約違反で「正当な理由で契約解除された」可能性はあるのだけれど、現状、その判断に至れるだけの詳細な事実を把握できている人は、当事者以外にはいないわ。よって、「表現規制反対派」ならば、現時点で積極的にスポンサーや所属チーム側の擁護に回れる理由はほとんどないでしょう。
けれど、フタを開けてみれば、まず「仕方ない」という消極的肯定の声が多数あがり、「当然だ」「自業自得」といった積極的賛成の声もかなり見られたわ。
じゃあ、上で挙げたすべてのキャンセル事例についても、「仕方ない」または「当然だ」「自業自得」で良かったじゃないの。
私が原理・原則に基づいてこう言うと、始まるのが「これは表現規制ではない」「これはキャンセル・カルチャーではない」というオリジナル線引き発表会よ。要は「これだけはAという理由により、セーフ(アウト)なんだ」という細かい場合分け・条件分岐ね。
でも、皆さんのオリジナル線引きは、いずれも根本的に次のような理屈と同じよ。
・これは性的搾取だからイラストといえどもアウト
・女性が男性に向けるヘイトは、権力の弱い方から強い方への抗議だからヘイトスピーチは成立せず、セーフ
・民間企業ならセーフだけど、公的機関だったからアウト
・不特定多数が行き来する公共の場というTPOに合っていないから、アウト
・税金・公金が使われているから、アウト
・性犯罪を誘発するおそれがあるから、アウト
実際に寄せられた、たぬかなさんのキャンセルを擁護する線引きとしては、こういう感じの内容だったわ。
・スポンサー契約であり、雇用契約ではなかったから。
・スポンサー企業のイメージアップを図るというプロ契約選手の一般的責務に違反しているから。
・個人の表現の自由よりも、企業側の契約自由の原則が優先されるから。
・たぬかなさんの発言は、他人の人権を軽視・否定する内容であり差別発言だったから。
・たぬかなさんの発言は、(「人権ない」は言葉のあやとしても)誹謗中傷として酷かったから。
・たぬかなさんは、不適切な発言を「繰り返して」いたから。(うっかりの失言ならともかく、そうではないから)
・契約書に「不適切な発言をしてはいけない」旨の記載がおそらく存在し、たぬかなさんはそれに同意した上で違反したと推察されるから。
・「キャンセル・カルチャー」は問題だが、この言葉は定義に「"昔の"発言であること」が含まれており、たぬかなさんの発言は「昔」とは言えないから(≒不当なキャンセルではない)。
並べてみると、線引きがかなり異なる事が明らかね。
今回のたぬかなさんの件ではない他のケースだったら、こうした人たちの見解は一致しなくなるでしょう。(加えて、複数条件を設定した上で、「すべて満たされた場合のみ」としている人や、「少なくともいずれか1つ」としている人もいたわね。)
場合分け・条件分岐で対応したくなる気持ち自体は分かるのよ。いずれも一般常識的なところよね。私も昔は「あれ、そうなのかな……?」と迷ったりもしたわ。でも、やっぱり表現の自由という原理・原則に戻って考えて、曖昧な一般常識を基準にしてはいけないと改めたの。
それぞれの線引きの内容を検討すると、例えば、「契約形態が問題だった」人と、「発言内容が問題だった」人とは、雇用契約者(例えば正社員雇用のスポーツ選手)で同様の不適切な発言があった場合、異なる結論を出すことになるわね。
また、上のそれぞれの線引きで、本記事ではじめに例示した他のキャンセル事例どう判断されるか考えてみてもいいわ。処罰の重さも含めてね。
おそらく皆さんは、自分の線引きが他より妥当であると信じて提示しているのでしょうけど……。
そういう自分勝手な線引きで、特定の表現物およびその表現者を排除する文化やそれを目的とした試みこそが、キャンセル・カルチャーよ……。
特に「差別発言をしたから」なんていうのは、キャンセル・カルチャーの支持者が出してくる理由の一番手に近いものでしょう。
そりゃ「差別発言に該当するかどうか」を常に「私たち」が一方的に決定できるならいいわよ? でも、実際には違う。「世間の風潮」という曖昧なものや、ともすればフェミ議連などの特定の思想団体が「差別発言かどうか」を事実上決定してしまう。
「差別発言認定からのキャンセルコンボは有り」にしたら、表現規制派は全員堂々とその道を通るだけよ。
まあ加えて、「しかし、それもあなたの勝手な線引きによるキャンセル・カルチャーの定義ではないのか?」と反論してくる人がいそうね。
「契約解除における正当な線引き」は、先ほど説明した「ちゃんと契約違反だと指摘できるケース」だけよ。そうだという確証もないまま、「ちゃんと契約違反だと立証されているはず!」と憶測でキャンセルを擁護するのは、不当な表現規制を推進してしまっているキャンセル・カルチャーよ。
「容疑者」を「たぶん犯罪者」で断罪するのと同じでしょう。
また、実際にアメリカ発でキャンセル・カルチャーとして認識されている事例を観察するなら、スポンサー契約選手でも正社員雇用選手でも、大学の先生でも学生さんでも、大企業の役員さんでも平社員でも、とにかく「何らかの線引きを超えた」とみなされた人が、その社会的地位や生活基盤を失っているわよね。(つまり、キャンセルされている)
「何らかの線引き」が具体的に何かは完全にその時・その場での運のみよ。同じ発言でも、騒ぎにならなければスルーされるし、今まで他の人が言ってて問題なかった内容でも、その時「盛り上がれば」キャンセルは発動する。
このように現実の観察に基づくと、キャンセル・カルチャーには統一された基準が存在せず、「これを守っていればキャンセルされない」なんて予想が成り立たないのが特徴だと分かるわ。
次に何が問題になるか予想できないがゆえに「過度の自主規制」を生み、どんどん実質的に享有できる表現の自由が削られていくのよ。
【キャンセル・カルチャーではないのではないか? とのご指摘について】
一部、冷静な観点から「これはキャンセル・カルチャーに該当しないのではないか」という見解もあったわ。2つ頂いているのでご紹介させて頂きましょう。
まず、「契約解除が正当な理由による可能性がまだ残っており、不当性が厳密に成り立つかまだ不明である」という慎重論に基づくご指摘(白饅頭さんより)。私としてもごもっともと思うのだけれど、現状、証拠不十分・検証不十分なままスポンサー擁護・たぬかなさん非難が先行していることが「キャンセル・カルチャー」の本質的な問題だと感じているわ。
次に、「炎上から契約解除までが先例と比べて早く、スポンサー契約を解除しろという声がSNS等で本格的にあがる前に、つまり『キャンセル・カルチャー』の動きが出る前にキャンセルされているのではないか」というご指摘(ぼっかんしゃさんより)。これに関してはキャンセル・カルチャーの背景が前提にある事象とは言えると考えていて、今のところ私は「含める」と判断しているわね。また、本件に伴い他のプロゲーマーの過去発言を漁る動き(こちらは、まさにキャンセル・カルチャー)が既に起きていることも重視したわ。
ただし、どちらのご指摘にせよ妥当なお話で、論がここまで精密な方向に進むなら「手嶋海嶺の勝手な線引き」問題も検討しなければならないでしょう。
一般的なスポンサー契約書の文面を見つめても、何をどこまで言えばアウトになるのかは、たいてい判然としないわ(参照:eスポーツチームのスポンサー契約書の条項例(ひな型):弁護士監修)。
「社会的信用を失墜させるおそれのある事を言ってはならない」と書かれていたとして、そんな抽象的な禁止事項をどうやったら守れるのかしら? いつでも「当該禁止事項に違反した」と言えるようにしているに過ぎないわ。
たぬかなさんの件でも、「"低身長男性は嫌い"だったらセーフだった。"低身長男性に人権は無い"まで言ってしまったからアウトになった。」と言っている人が複数名いらっしゃったけど、いやそんなの分からないわよマジで。どういう検証を経た仮説なの?
一応「お気持ち」や「自作の謎めいた概念」「抽象的な禁止事項」でなく、「法的根拠」とやらに基づいているはずの警察の線引きすら、運でブレまくるのが現実よ。
とつげき東北さんがnote記事にて次のように説明しているわ。
警察組織や司法組織の判断は極めて曖昧です。
今まで違法ではなかったものが、1地方警察署の内部的な「〇〇防止強化キャンペーン」によって違法になります。
急に捕まります(※警察組織の暴走について、後に補足します)。
ちなみに都道府県の条例違反も地方自治法違反ですから、刑事罰が下る可能性があります。
「迷惑防止条例」などがそれにあたります。
いったい「どんな表現が社会一般にとって何が迷惑か」「どこまでが迷惑か」。これらは絶対に客観的に示されたりなどしません。
実運用では、せいぜいその時の風潮だの、警察署のキャンペーンだの、マスコミの騒ぎ方だの、世論だの、担当警察官のむしゃくしゃした気分などといった曖昧なものによって決定されます。
それだけではありません。
法令等に何ら触れていなくとも、「著しく良識に欠ける」「TPOとしてどうか」「実在しない少年の人権を奪っているのではないか」といった、おおよそ全く未定義で何の議論もされていない、幻想的で虚妄めいた何かすら、平気で表現者に牙をむいてくるのが実情です。
とつげき東北『【オープンレター】表現の自由などない問題を共有したい』
私は、このキャンセル・カルチャーを含めた表現規制の社会的進行に反対するゆっくりよ。
表現の自由を守ると公言している方でも、自分なりの正義観に引っかかってしまうような事例だと、「こればかりは特別に違うんじゃないか?」と考え込むのはよく分かるわ。そして、考えてみると、場合分け・条件分岐で切り抜けるような理屈は、絶対に何かしら見つかるのよ。
私も原理・原則は無視する前提で、「どうにかしてこの結論を正当化してください」と言われたら、即座に3パターンくらいは出せるのだわ(なお、この能力は、会社で半期ごとに「役員方針が"正しかった"ことにしてくれ」というご依頼を受けるたびにガチ実用しているわ)。
例えば、「呉座勇一さんのキャンセルは問題だったけど、たぬかなさんのキャンセルは問題なかった」とか、その逆とか。
やり方はとても簡単で、何か一つでも「共通していない点」を探してそれを理由にすればいいだけよ。
ただ、この方法は、1件2件なら対処できるんだけど、色々な案件について「判断」を示していくうちに、フェミニストさんのように破綻してしまうわ。「性犯罪を誘発するかどうか」だったのが、「性的搾取かどうか」になり、「性的対象化表現かどうか」になり、「主体が民間か公的機関か」になり、「TPOに合っているかどうか」になり……。
「持っていきたい結論」に合わせて理屈を後付けすると破綻するのよ。
「破綻」には2つの意味があるわ。
1つ目は、縦方向の時系列的な破綻。「アウト判定(セーフ判定)を出す理由が、前回と今回で違う」が頻発する。さらに「なぜ前回と今回で違うか」を何か新しい理屈をつけて区別せざるを得ず、コントロールできなくなっていく。フェミニストさんが過去ツイートとの矛盾をスクリーンショットで晒されている現象ね。
2つ目は、横横方向の整合性の破綻。「アウト判定(セーフ判定)を出す理由が、私とあなたで違う」が頻発する。「○○フェミニズム」や「表現規制反対派」といった思想単位での整合性・統一性が崩れていき、最後には「この思想は一人一派だ」という自己破産手続きを取らざるを得なくなる。
この時、自分ではむしろ細かく厳密に、多角的な視点で検討しているつもりになってしまうのが危ないのよ。場合分け・条件分岐を増やしても、必ずしも解像度は上がらないわ。やるのなら、ご都合主義に陥るリスクを意識しながらやることね。(私にも経験があるから、偉そうなことばかり言えないけれど)
自分の善悪的な判断をメタ視点で俯瞰して、「自分にとって嫌だし不快だし、追い出すことに正当な理屈が述べられる気はするけれど、そういう表現こそ、守らなければならない」と踏み止まれるといいわね。
当然ながら、あくまでも「追い出す」「消す」のが問題であって、このラインさえ踏み越えないなら、言論による批判・非難はやりまくっていいのだわ!
たぬかなさんの発言内容に関しては、過去に「容姿批判をするのはよくないことだ」という旨で発言していた上でのことだし、いつものようにボロカスに言論で叩くのはガンガンやっていいと思うわ。
【2022年2月22日追記】
頂いたご批判の中で、「企業の自由は"無い"というのか?」「選手側が"何をしても"スポンサーは金を出し続けろというのか?」という解釈が目立ったわ。
まず端的な回答としては、私はそのような主張はしてないわ。企業側の自由はあるし、選手側が何をしてもお金を払い続けなければならない訳じゃない。
個別具体的な「たぬかなさんの件」としては、契約解除は正当でも不当でもありうる。本文で「たぬかなさんが本当に悪質な契約違反をした可能性は考えられる」と明記した通りよ。
例えば、「再三に渡って具体的な注意勧告をしていたにも関わらず、問題発言を繰り返した」場合、その契約解除は正当でしょう。一方で、「承知の上で黙認していたが、急に炎上したので、トカゲのしっぽ切り的に解除した」なら相当に不当でしょう。
加えて、後者のケースであっても、「何があっても払い続けろ」にはならないわ。今回の件で厳重注意や指導を実施して、「以後やったら解除ですからね」とすれば次は正当に解除できるもの。
私が問題視しているのは、契約解除が正当か不当か分からないまま、第三者が「契約解除は仕方ない、当然だ」と論じてキャンセル・カルチャーを事実上推し進めてしまうことよ。そうではなく、普通にたぬかなさんの発言内容の批判をすればいい。
私はこの記事で「外部の人間(第三者)が推定有罪でキャンセルOKの雰囲気を作ることの危険性」(byヒトシンカさん)を述べているわ。
なお、「たぬかな氏は謝罪文を公開したから、契約解除が正当であったことが証明されている」という説を唱える人がいるけれど、それを採用するなら、今後、何らかのキャンセルがあった際に、「自ら謝罪を告知した以上は否を認めた」論が自分の身に返ってくる可能性はあるわ。そのうえで、慎重に判断してちょうだい。
「表現の自由を守れるか?」という試金石
本件では、普段「表現の自由を守ろう」という、いわゆる「表現の自由戦士」的な界隈でも反応が分かれたわ。
ただ、キャンセル擁護に回った人の線引きは上で述べたように見事にバラバラなんだけど、キャンセル批判に回った人の線引きは不思議と一定の同一性があるのよね。
「人権に反する発言は正していこう」って話はわかりますよ。人権意識がコモンセンスとして共有されていることは、私たちの社会にとって重要なことです。でも、それならまず批判や、所属組織における教導があるべきであって、なにか炎上したらある日唐突にアウト、というのはおかしいでしょう。
(青識亜論, 午後4:48 · 2022年2月19日ツイートより引用)
個人的には不適切発言が即座に本人の職や社会的立場にまで波及する「キャンセル・カルチャー」の流れには断固として反対するし、これを無邪気に肯定している人間は法治国家の住人としてのメンバーシップに値しないとさえ考えている(北朝鮮やアフガニスタンがお似合いだ)。
(白饅頭, 「プロゲームオーバー事件についての雑感」より引用)
(※白饅頭氏は、個別具体的なたぬかな氏の件がキャンセル・カルチャーに該当するかは「異なる可能性もある」と慎重な姿勢です)
たしかに現在のキャンセルカルチャー、本当にどうしようもない暴力的なもんに成り下がってますけど、
あれだって初めは至って高潔で常識的な道徳を掲げて「こんな発言は許せない」ってやってたんだから、
自分が同じこと言ってたらやばいと落ち着いてもらいたいんですけどね…無理なんでしょうね…
(YANAMi, 午前2:28 · 2022年2月20日ツイートより引用)
「品位を落とす」のラインそのものを決めてるのは気分で動くネットなわけ。要するにフェミがどのおっぱいを許すかと大して変わらない。
それを「当然だろ?」と周囲に思わせてるのは、フェミやBLMをはじめとするキャンセルカルチャーが作ってきた前例に他ならないと思う。それでいいの?
(ヒトシンカ, 午後0:46 · 2022年2月20日ツイートより引用)
ツイートに関しては引用の仕方が難しくて、多少切り抜き的にはなるけれど、本件周辺でのご発言も含めて参照すると、
① たぬかなさんの発言内容に関しては批判されて良い。(それは自由だ)
② 現状で、今回のキャンセルを正当化するべきではない。(表現の自由への脅威にあたる)
という基本的な認識は一致しているわ。
間違う人の間違い方にはいろいろあるけれど、原理・原則に基づいた答えはブレないという構造が見て取れるわね。
毒舌文化はどこへいく?
「ポリコレで窮屈だ、息苦しい」「あれもこれもゾーニングしろというが、不快な表現だからといって追い出すのは間違っている」と言っていた自由戦士たちの一部が、「こんな暴言は、社会的に許されない」というポリコレ礼賛・ゾーニング論を事実上肯定しはじめているわ。
また、宇崎ちゃん献血ポスター騒動の際、「ポスターに描かれた宇崎ちゃんだけを表面的に見るのではなく、そのキャラクターの性格やマンガの世界観といった文脈情報を読み取れ」とも言われていたわね。
けれど、たぬかなさんの件で、ゲームセンター文化に由来する「煽り・罵倒」といった文脈を参照しつつ、「こういう芸風が好きな人もいるのだから、その人たちの好みを大事にして、部外者は口を挟まないでいよう」という寛容精神や多様性主義に基づく慎みを発揮できる人は今回とても少なかったわ。(いるにはいたわ)
むしろ、「この場合は、寛容さや多様性の例外として、表現規制してもいい理由」を探すことに夢中になっている人の方が目立った。
「自分の価値観で不適切だと思われたり、あるいは単に不快だと感じる表現でも大事にしよう」「その表現ができる場を奪う動きには抵抗していこう」というのは、本来、「表現の自由戦士」的な思想のスタート地点にあたるのではないかしら?
原理・原則に立ち戻った判断を期待するわ。
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オマケコーナーでは、本件での私の所感を述べつつ、「企業の自由を守れ」論や「嫌なら契約せず個人でやればいい」論を批判的に検討するわ。
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