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「戸定梨香」動画削除問題:「抗議は警察へ」まつどポスト土岐氏の論は破綻している

ゆっくりしていってね!!!!
私は頭部だけで生き続ける不可思議な生命体、通称「ゆっくり」に分類される者よ!

さて。ごく最近、まつどポスト土岐さんという方が、

「フェミ議連に抗議するのは間違っている。警察に抗議するべきだった!」

という、わりと戸定梨香さん騒動の開始直後から見たお話を繰り返したみたい。

いまさら何故。

とはいえ、今回はその検討をテーマとするわ。
えーと、それで、発端のツイートはここなんだけど……。

どうでもいい前置きがクッソ長い!
しかも分岐していて流れが追跡しにくい!
誰がまともに読むの、これ!?

…………いや、私が読むのよね。
パソコンモニタの前で上のツイートを読んだ時、私、「何卒最初から最後までお読みいただけるようお願いいたします」の部分で、「嫌ですけど!?」って素で独り言をこぼしたわ。
でも、「これをテーマにします!」ってTwitterで宣言しちゃったのだわ。

ええ、頑張るわよ。頑張るわ。というわけで、順序よくいきましょう!

【ゆっくりコラムのコーナー】
ちゃんと全部読みました。


同意できる部分:松戸警察にも抗議して良い

一応、ごく限定的に同意できるところもある。

動画取り下げに対する抗議は、警察"にも"して良かった。

まあ、まつどポストさんは「警察"にだけ"抗議するべきだった」が意見だから、そのまま認めたのではないけど。

これは表現の自由戦士界隈の中でも、意見が分かれる論点でしょう。
でも、承知の上で言わせて頂くわね。

まず、警察が戸定さんの動画を削除した理由は、「本来の目的と異なる意図でとらえられることへの懸念や、動画の掲載期間が今月17日で終了する予定だったことなどから県警内で検討した結果、削除することを決めました」とのことだったわ。また、戸定梨香の起用についても「不適切ではない」と明言しているわね。
同様の趣旨で、藤末参議院議員もツイートしているから、間違いないでしょう。

この警察の判断が組織体としてやむを得ない面があるのは、私も会社に勤めるゆっくりとして承知しているわ。
けれど、「やむを得なかった」「むしろフェミニストによる被害者だ!」のように積極的に擁護するのは、いかがなものかと考えているのよ。

それは企業や公的機関に対し、「ああ、表現を取り下げても世間は擁護してくれるんだな」と思わせて、ますます「自主規制した方が得」という方向に動機づけしないかしら?

もちろん、警察に対していきなり「署名付き公開抗議文書」レベルでガン詰めするかは別よ。少なくとも、感謝や激励のメッセージを述べつつ、「しかしながら、この度、表現物を取り下げたご判断は非常に残念に思います」くらいに留めた方が(今のところ)安全でしょう。

厄介オタクさんの集団だと思われては、かえって政治的にマイナスになるおそれがあるものね。

しかし、よ。

警察による動画削除という「自主規制」は私たちにとって喜ばしくないのも確かなこと。とりわけ「不適切とは思っていないが、削除はした」という支離滅裂な言行不一致と、経緯はどうあれ結果的に表現規制に加担した事実への問題意識はきちんと持っていたいわ。

…………。

……ん? 何の話してたんだっけ? 

ああ、そうそう。まつどポストさんだっけ。いま一瞬、まつどポストさんの存在が完全にどうでも良くなってたわ。


性的対象化物であると言えるか?

話を戻しましょう。
まず、まつどポストさんは次のように「文句があるなら警察に言え」との旨でツイートしているわ。

なるほど。でも、「判断」について言うなら、警察は別に「戸定梨香さんのデザインは、性犯罪を誘発する懸念のある性的対象化表現だ」とは判断していないわ。むしろ「不適切ではない」という声明を発表しているわね。

したがって、「性的対象化表現」「不適切だ」という判断について、その理由・根拠を尋ねたい場合、フェミ議連を宛先にするしかないでしょう。警察に質問しても、「うちはそうは思ってない」しか返ってこないのだわ。

けれど、まつどポストさんは、性的対象化表現なのは明らかだから、質問する必要もないはずだという立場を採っているわね。

「性的対象化表現として捉える人間が存在しない」と考える人って具体的には誰かしら? 賛同するかは別としても、「性的対象化表現だとレッテルを貼る人間が世の中にいること」なんて、こっちは十分すぎるくらい知っているのだわ。

更にまつどポストさんは、戸定梨香さんが性的対象物・性的対象化表現と考えられる根拠を次の通り述べているのだけど、ここで最もやってはいけないことをやってしまうわ。

残念! そのページ(小宮友根氏の記事)を読むことによって、逆に「交通安全啓発動画における戸定梨香のデザインや振る舞いが、性的対象化表現であること」は余計に成立しなくなるわ。

当該記事における「性的対象化表現」は、マーサ・ヌスバウムの論文を根拠にしていて、そこで挙げられている「性的対象化の定義」からすると、交通安全啓発動画の内容はまったく当てはまらない。(記事では「対象化」ではなく「客体化」という訳が選ばれているけど、これは単なる翻訳の揺れだから無視するわね)

「道具性」:対象を自分の目的達成のための道具とすること。「自律性の否定」:自律性や自己決定能力を欠いたものとして対象を扱うこと。「不活性」:行為者性や活動性を欠いたものとして対象を扱うこと。「交換可能性」:他の対象と交換可能なものとして対象を扱うこと。「毀損可能性」:壊してもよいものとして対象を扱うこと。「所有性」:買ったり売ったりできるような所有物として対象を扱うこと。「主観性の否定」:経験や感情を考慮しなくてよいものとして対象を扱うこと。
(中略)
問題になっているのはやはり「わいせつ」かどうかではありません。

炎上繰り返すポスター、CM…「性的な女性表象」の何が問題なのか
※強調は引用者による。

ヌスバウムさんの話も相当ぼんやりしているけれど(7つの要素、内容的にだいぶ被ってる……)、戸定梨香さんは道具ではないし、自律性が否定されてもいないし、不活性でもなければ交換可能でもない。もちろん、「壊してもよいもの」として扱われておらず、所有物でもなければ主観性も否定されていない。

念の為に言っておくと、「戸定梨香というキャラクターを、交通安全啓発という目的のために使っているから、道具性がある!」のような議論は、さすがにヌスバウムも採用しないでしょう。

これについては、ヒトシンカさんが詳しく説明してくださっているわ。

 当然のことならば、ヌスバウムはこれらを「女の子の絵が描いてある。絵は『道具として』扱える。従って1.道具性に該当し、性的モノ化である」というような馬鹿げた意味で言っているのではない(現代では本当にこんな主張をする馬鹿なフェミニストが大勢実在してしまっている)。それでは女性に限らず写真や絵などのメディアに掲載された時点で、女性であろうがなかろうがあらゆる人が「客体化」「対象化」「モノ化」されてしまうことになり、女性差別でもなんでもなくなってしまうからだ。演説するドナルド・トランプ米大統領の写真を掲載した新聞は、それだけでトランプ大統領の「モノ化」であろうか? と考えれば、そのような解釈がいかに馬鹿馬鹿しいか分かる。
 そうではなくポルノグラフィやそれに類する表現物において、「女性は男の道具に過ぎない(1.道具性)」「女に自己決定の能力なんてない(2.自律性の否定)」「女には自発性も能動性もない(3.不活性)」「どの女も同じだ、誰でもいい(4.代替可能性)」「女性を傷つけても構わない(5.毀損可能性)」「女は男の所有物(6.所有可能性)」「女の気持ちになど配慮しなくていい(7.主観の否定)」といった、これら「女性とは○○だ」という一般的メッセージを伝えているとき、それを性的客体化(対象化・モノ化)と呼ぶと説いているのである。

【性的対象化】-センサイクロペディア(ヒトシンカ)

そしてご丁寧にも、小宮さんによって問題は「わいせつ」かどうかではないと言い切られてしまっているわね。「ミニスカート、へそ出し」「胸がゆれる」は少し性的かどうかでしかないから、性的対象化表現かどうかの判断根拠としては使えないわね。(まつどポストさん、性的表現と性的対象化表現がごっちゃになってない?)

ちなみに、小宮友根さんの記事については、ヒトシンカさんが徹底的に批判しているから、参考にするといいのだわ。


「抗議していい」条件とは何か

なぜか、まつどポストさんは「抗議」をしていい条件にやたら細かいわ。
次のツイートを読んでみましょう。

調べているからこそ、いっそう分からないのだわ。国連女子差別撤廃委員会の勧告文や、「性的対象化」という言葉のヌスバウムの定義からすると、「戸定梨香の交通安全啓発動画」は該当しない。ゆえに私としては「フェミ議連は間違った判断をしている」と考えている。繰り返しになるけど、この場合、宛先はフェミ議連以外にありえない。
(さらに言えば、私は国連女子差別撤廃委員会の勧告文からして非科学的であり、ヌスバウムとかいう人の勝手な話根本的に全くどうでもいいと思っているわ)

「賛同しない」「この意見に異論がある」から「抗議する」って何かおかしいかしら? このプロセスには、何の論理的飛躍もギャップもないわ。「内容に賛同していない」という条件さえ満たしているなら、「抗議する」という行動を起こすには普通は十分でしょう。

「抗議」とは、「相手の発言・決定・行為などを不当として、反対の意見・要求を主張すること。」(デジタル大辞泉)だし、少なくとも辞書的には「異論を言うこと」と「抗議すること」の差ってほとんど無いわよ。

加えてまつどポストさんは似たような趣旨で次のようにもツイートしているわ。

「抗議文の内容が間違っている」→ゆえに→「抗議する」

……何が変なの?
これ、なんか別の条件を満たす必要ある?

マクドナルドでチーズバーガーを頼んだのに、ビッグマックを出されました。だから、店員さんに「注文と違うから、ちゃんとチーズバーガーを出してほしい」と抗議しました――いや、本当に何が変なの?

注記しておけば、まつどポストさんの一連のツイートも『全国フェミニスト議員連盟宛抗議と公開質問状』に対する「抗議活動」よね。まつどポストさんの論理に従うと、たかが内容に賛同できず、間違っていると思うだけで抗議するのは「やるべきでない」のだわ。

個人的には、抗議するのにこれら以外の条件って要らないと思うけど。


「最終的なジャッジをしたから」論の破綻

そして、恒例の「最終的なジャッジをしたのは警察だから」という理屈を、まつどポストさんも支持するわ。(冒頭で紹介したツイートでも出てきていたわね)

ただねえ、これ、私はずっと変だと思っているのよ。

先ほどのチーズバーガーの例を、今回の件にもう少し寄せてみましょう。

マクドナルドでチーズバーガーを頼んだところ、謎の人が現れて「チーズバーガーは健康にとても悪いから食べるな。店側も出すな!」という意見を伝え、注文が受け付けられませんでした。私はそんな人の言いなりになったマクドナルドにも文句を言う。けれど、その横から出てきた頭のおかしい人にも当然ながら抗議する――これ、何が変なの? 「最終的なジャッジをしたのはマクドナルドだから」って理由で、私、この横から出てきた変な人に抗議するのは我慢しなきゃいけないの? 仮にそうだとしたら、なんで?

また、こういう例はどうかしら。

まつどポストさんが仮に就活生だとしましょう。
しかし、「手嶋海嶺」というクソほど頭のおかしい人がいて、その人はまつどポストさんを忌み嫌っているわ。だから、まつどポストさんが面接を受けに行った企業には必ず手紙を送って「まつどポストさんを御社が雇うべきでない理由」を延々と伝えるわ。(この時、法に触れない程度の表現に留める工夫はするでしょう。)

この時、まつどポストさんは、「採用するかどうかの最終的なジャッジをするのは会社だから」という理由で、「手嶋海嶺」に抗議するのは絶対やらない? 

これくらい言えば、「最終的なジャッジをした」というだけでは、そこに全責任があると示せないと分かるかしら。


致命的な欠陥:まつどポストさんは、フェミ議連の抗議状も否定することになる

ともあれ、まつどポストさんは、青識亜論さん・おぎの議員による抗議状の宛先を問題にしているわけね。フェミ議連に送付するのはおかしい、と。
ただ、そんなまつどポストさんの論には致命的な欠陥があるわ。

オマケとして、最後にそれを指摘しておきましょう。


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