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「悪童日記」から学ぶコロナ渦の生き方

「悪童日記。ラスト3行は忘れられない」…レビューを読んだ時、そう書かれていて壮絶なラストを想像したが、想像以上であった。なんだろうこの気持ち。双子の「ぼくら」の日記を覗き見していたら、それを影で知っている「ぼくら」に、最後にまんまとやられた気分であった。この本は「私が生涯に選ぶ名著30」に勝手にノミネートされた。

この本の一人称は「ぼくら」。舞台は、第二次世界大戦期末〜戦後にかけての(おそらく)ハンガリーの<小さな町>。母に連れられ、<小さな町>にある、魔女と呼ばれるおばあちゃん家に疎開し、そこでしたたかに、たくましく、生き抜いていく双子の男の子の話である。

この本を読んだきっかけは、講演でアートディレクターの北川フラムさんが「私たち一人一人が自分の責任で生き抜かなくてはいけない時代になった」と「悪童日記」をおすすめしていたのがきっかけ。

確かに、「誰かが守ってくれる」。そんなことに、期待してはいけないのかもしれないとコロナ渦を通じて、また年齢を重ねて、身にしみて感じる。

作中に出てくる「従姉」だが、それが自分自身と重なる。彼女は、強制収容所に連れて行かれた両親を思い、悲しみに暮れる。

ぼくらの従姉は、労働も、学習も、練習もしない。彼女はしばしば空を眺め、ときどき涙を流す。   

一方、「ぼくら」にとっては、悲しみに耽る暇もない。母親との再会の希望にも執着しない。むしろ、生き抜くために、それを避ける練習をする。

「私の愛しい子!最愛の子!私の秘蔵っ子!私の大切な、可愛い赤ちゃん!」これらの言葉を思い出すと、ぼくらの目に涙があふれる。これらの言葉を、ぼくらは忘れなくてはならない。なぜなら、今では誰一人、同じたぐいの言葉をかけてはくれないし、それに、これらの言葉の思い出は切なすぎて、この先、とうてい胸に秘めてはいけないからだ。                                                                                                       アゴタ・クリストフ『悪童日記』(pp30-31)

そして、自分の身は自分で護る。知恵を絞り、時には悪事を働き、日々学び、働き、練習する。

ぼくらには護ってくれる人はいない。そこでぼくらは、大きな子から自分で身を護ることを学ぶ。                     アゴタ・クリストフ『悪童日記』(pp76)

コロナ渦にあり、新しい時代への変わり目に不安が付き纏い、つい泣きたくなってしまいたくなる人は多いであろう。私も強制収容所までとはレベルが違うが、会いたい人に会えなく、不安で息苦しく涙が出てくることが多々ある。

もしかしたら、今まであった生活は戻ってこなく、「ぼくら」のように、過去への執着を捨てなければならないのかもしれない。

「政府への不満」「企業への不満」「上司への不満」を口にするぐらいならば、「ぼくら」のように、学び、働き、練習し、何かに没頭し、糸口を見つけた方が、今の時代を生きられるのではないか。

そんな「ぼくら」からのたくましいメッセージを作品全体から、そしてラスト3行から感じ取れる作品であった。

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