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いまだからこそ、新たにはじめる。コンポントムで暮らすように旅する場を生み出す、吉川舞さんに、これからのことを聞いてみた。

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2014年にコンポントムの地元の人と旅する人をつなぐ旅行会社、Napura Worksを設立した吉川舞さん。Napura Worksの活動については、是非、彼女の記事を読んでみて下さいね。

そんな吉川舞さん(以下、舞さん)が、2020年9月、コロナ禍まっただ中のカンボジアでヴィラホテルのオーナーになるというお話が耳に飛び込んできました。

カンボジアは、早い段階で海外からの旅行客受け入れをストップ。コロナ罹患者はとても少ない状況ですが、主要産業である観光業は壊滅状態。2020年の半ばまでは、大型連休以外はほとんどのホテルは一時休業。多くの観光施設も閉業に追い込まれています。

そんな中での新たな出発。

大きな枠ではなく、小さな枠で丁寧に丁寧に、お客さんと周囲の人をつないできた舞さんの旅は、いつも心惹かれてきました。そうしたNapura Worksとは違う、コンポントムという特に有名ではない地方都市のヴィラホテルの施設という大きな枠のオーナーになるという事は、どういう気持ちと行先の変化があったのだろう?

今までの事と、これからの事をじっくりお話を聞いてみました。


1.カンボジアという国とのつながりについて

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ー舞さんとカンボジアの出会いって、いつ、どんなかたちだったんでしょうか?

ちょうど16年前の2004年に、当時、大学の先生がアンコールワット遺跡群とサンボ―プレイクック(注1)の両方を研究していたんです。ちょうど私の在学中は、大学が積極的に学生を海外に出していて、その流れで夏休みの時期に大学の先生が活動している地域に2週間学生を派遣するっていうプログラムがあって、それに応募したんです。

カンボジアを選んだのは、もう完全にフィーリングで。
はじめはヨーロッパの方で文化財の現場で働きたいと思って、それで実際ヨーロッパに行ってみたんですけど、ここっていうみたいなものが見えてこなくて。さーっと文化財を見ることはできるんだけど、ここだっていうピンと来るところが見つからなくて、働きたいのに出会えないなって、実は思ってたんです。果たしてこのままでいいんだろうかって考えていました。

そんな時に、たまたま高校・大学が同じ先輩がいて、その人から大学の先生が学生を海外に連れて行くプログラムが面白いぞっていう話を聞いたんです。その先輩はラオスに行っていたんだけど、その授業のシラバス(授業計画書)を開いてラオスを探したら、たまたまその下にカンボジアって書いてあって…
授業のタイトルが、「文化遺産の保全と村づくり」って書いてあって、内容が文化財そのものというよりも、その周りに住んでいる人だとか、守っていく環境だとか、そういう内容だったんです。

もともと、文化財を観光客がどう見るかではない方に興味が向いていたみたいで、その村づくりっていう事に、パチーンって興味が一気に湧いて、気がついたら申し込みのための志望動機を書いていました。

ーカンボジアを選んだのは、本当に直観だったんですね。

はい、他にも選択肢はたくさんあったのに、検討したという記憶がほとんどなくて…
その後、すぐに先生と一緒にカンボジアでのフィールドワークに参加することになりました。

ーきっかけは大学のプログラムということでしたが、1回のこのプログラムから、更に16年活動が続いていくほどに、興味が湧いたということなんでしょうか?

はい、その最初のきっかけのプログラムが、プノンペン(注2)3日、サンボ―プレイクック7日、残りが数日シェムリアップ(注3)で、プログラムでのサンボ―プレイクックの比重が大きかったんです。スタディーツアーという形でしたが、今から16年前の、サンボ―プレイクック遺跡の近くの村の人たちのあり方みたいなものに、すごく惹かれて、とにかく新鮮で面白かったんです。

ー当時と今とでは村の様子など、全然違ったんでしょうか?

今と一番違うのが、自分たちがスマホを持っていないことですね。もちろん、携帯電話は持っていましたが、インターネットやWifiも全然普及していなくて、現地ではほとんど使わなかったです。
そうなると、もう目の前のことに集中する以外ないんですよね。今だと、どこでも電波が通じちゃうので、ハンモックでのんびりしていても、どこか別の場所の情報を見たりしてしまう。そうすると、目の前とは違う世界のことに頭を持って行かれちゃうんです、メール返さなきゃ、とか。当時は、そういうことが全然なかったんです。

サンボ―プレイクックでは、現地の高校生と一緒に7日間まるまる過ごす機会があって。お互いの存在が、エンターテイメントというか、目の前にいる人そのものと過ごすことが、すごく幸せな時間だったんです。

お互いを通して、高校生たちは私の中に日本っていう世界を見て、私はみんなの人柄を通して、彼らの生きる村に出会う。それぞれの世界を直感で感じて、感じさせてくれることに夢中になったんです。


覚えているのは、村の中の道をみんなでぶらぶらと歩いて行って、各家庭のお話を聞きにいくんですけど、その道すがら、男の子のひとりがパッと実を取ってくれて、これトロバイ(グアバ)って差し出してくれて。ただ、その時彼はグアバっていう英単語を知らなくて、私もグアバを見たことがないから、何の実かよくわからない。そうすると、そうか、これがトロバイかって感じるだけで。もちろんGoogleとかで検索もしない。”そうか、トロバイだって”、”食べれるんだ!”、食べたら、”甘くておいしい~!”みたいな。

目の前のことを感じながら、生身の人と触れ合う面白さみたいなものとか、彼らの、村の暮らしにどっぷり浸らせてもらうことで、すごく感じることができたんです。

その時、先生が村の家庭の家計状況の調査を計画していて、それの一部を私たちがお手伝いすることになって、高校生たちと一緒に村の各家をまわって聞いたんです。ある家で、お父さん収入いくらですか?とか聞いたんですけど、家の中を見回したら驚くほど物が何にもないというか。日本だと、イスとかテーブルとか家電製品とか、何かしらあるじゃないですか。そういったものがほとんどなくて、大きな空間がドーンってあって、壁に色んなものがかかっているんです。カンボジアって、小さい荷物はみんな壁に掛けるんですよね。最初は、ここでお父さん入れて8人で暮らしているの!?って驚いて。当時は全く想像つかなかったんです、自分の見てきた世界とはあまりにも違いすぎて。

ただ、2日、3日と村で過ごすうちに色んなことが見えてくるんです。
行く先々のお宅で、生活している様子を垣間見させてもらって、そうすると、カンボジアの高床の家での暮らしって、ほとんどが床下の部分で生活しているんです。家財道具とかもみんな下にあって、お料理も下でするから鍋とかも全部下。テレビなんかは、ハンモックがかかっているところから見えやすい場所に置いてあったり(笑)

そうした暮らしがどんどん見えてくると同時に、村の人たちの日々の生活に対しての姿勢というか、ものはそんなに持っていないのに、とても力強く過ごしている様子が見えてくるんです。カンボジアの人たちの変わらない部分て、特にそこだなぁと思います。

ここ10年、逆にすごく大きな変化を感じるのは、タイに働きに行きますという人が増えたり、みんなスマホでYoutubeやFacebookを見ていたり。農村でも、やはり環境が徐々に変わっていくなぁと実感しています。


ー最初の偶然のきっかけから16年間もカンボジアに係りつづけているのはなぜなのでしょうか?

農村にいると、何かに備えて生きるっていう形じゃなくて、みんな必要なものを、必要な時に、自分たちで揃えて、柔軟に、だけど力強く何かを超えていくみたいな、そういうところが本当にすごくて、そこに感動したんですよ。

それまでは私は19歳で育ってきた北海道から東京に出てきて、大学で過ごして、いったい何に人生をかけたらいいんだろうかと、考えていて。
もともと、幕末や歴史小説の大ファンなんですよ。平安頃とか、主に武士の世のストーリーが好きで、そういったストーリーって志と、何に命をささげるか、自分の人生をいかに使うのかっていうのがテーマで、大体どの時代にあってもそうなんです。だから、15歳ごろから、私は何に命をかければいいんだ、何に燃えればいいんだっていう感覚が強くて。

そういうふうに考えていたんですけど、カンボジアに来た時に、なんか自分が何者になるかだけをずっと考えている自分自身が、すごく脆弱というか、頭で考えることばかり先走ってて、足元がついていっていない感じがして。ここコンポントムで出会った人たちは、お相撲さんがしこを踏みながら前に進むように、すごくゆっくりなんだけど足取りは着実でしっかりしていて。自分の脆弱さに比べて、ここの人たちは、なんでこんなに逞しくて力強いんだろうと衝撃を受けたんです。

スタディツアーに行く前に、事前学習でカンボジアのことを調べますよね。ポルポトの歴史とか発展途上国だとか、NGOの支援が多いですとか、小学校が足りないです、とか助けが必要な人たちですという印象が強かったんです。ただ、現地に赴いて、理解していたと思っていたものが、目の前のものと全くマッチしていないというか。

もちろん社会全体の状況としてそういう側面が存在しているっていうことは事実で、否定するつもりはないんです。でも、これとは全く別の表情があるんだ、ということに、すごく心をぎゅっと掴まれて、エネルギーが下から湧き出るような、このパワフルさの源を知りたいっていう欲求が湧いてきてたんです。

そうして、スタディツアーの最終日に、この滞在が自分たちにとってどんな意味があったとか、そいうことをシェアする時間があったんですけど、その時に5、6人の参加者が、もう感極まってボロボロ泣いていて、もちろん私も泣いていて、みんなで帰りたくないですって。ただ、先生が学校のこれはプログラムだし、買えるところまでプログラムだからって(笑)。

でも、その時私を含めてあと2、3人、絶対にもう一度行きたいっていうメンバーがいて、先生にみんなでスタディツアーとは関係なく、自分たちで航空券とって行くので、先生のところに行っていいですかって聞いたら、いいですよって言ってくれたんで、そこから春休み・夏休みは、大学在学中はずーっとカンボジアに通っていました。

カンボジアに出会った後は、大学に戻っても、それまで大して興味がなかったものも、どの授業も急に面白くなって、ああ、学ぶってこういうことなんだろうなって。今までは口をぱかっと開けて、その与えられる時間だったりものだったりをただ受け取るという感じでしたけど、本当はそうじゃなくて、自分が気になると思った事や、その人についていったら面白そうだということを追っていくことが学びなんだと、カンボジアでの体験をとおして実感できたんです。

そうすると、どんどん面白い先生や同級生に出会ったり、機会に巡り合ったり、とか、カンボジアに出会ってすごく大学生活が豊かになったんですよ。周りが変わったんじゃなくて、自分の感覚が変わってくるんでしょうね。見ているものは同じでも、得たいものだったり楽しいと思うことが、どんどん変化していったんです。

例えば、それまで公衆衛生学って1ミリも興味なかったんですけど、カンボジアに行って帰ってきたら、その公衆衛生が社会全体に対してどういう役割を持っているのかとか、考え始めるんですよ。そういう切り口のひとつひとつを、ずーっとカンボジアが私に与えてくれて、カンボジアに来るたびに感じるエネルギーやパワフルさというものを、人類が持ち続けていくにはどうしたらいいのだろう、というすごく大きなところまで問いが向いていったんです。

大学でスタディツアーに参加してから16年、ずっと通って、大学卒業後からは移住して、その問いは熟成されてきた気がするんですけど。今までの長い期間、いろんなものを経てきたフィルターで言葉にすると、やっぱり人間が生きる力って、その能力的な力じゃなくて、今日も元気であるとか、明日に対してポジティブであるかどうかとか、そういう意味での力なんじゃないだろうかと。

大学当時、カンボジアは発展途上国で経済が上向きだから今日より明日がよくなると思うし生きる力も湧いてくるんだよ、みたいなことを耳にする機会が多くて、当時はふーん、そうかなーと思っていたんです。でも長く過ごすうちに、そうではなくて、もちろん経済的な環境はその一面なんだけど、いろんな要素が重層的にからまって、生きる力とか、そういう人間の根源的な力になるんだろうなっていう、意識が向いたのは、カンボジアがきっかけですね。そういう意味で、カンボジアという場に惹かれ続けているんだと思います。


2. コンポントムと、舞さんの考える旅について

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ーカンボジアの中でも、そのコンポントムという地に惹かれたのは、どいうところに惹かれたんでしょうか?

スタディツアーの時に、プノンペン、サンボ―プレイクック、シェムリアップと三つの地域を経て、そのサンボ―プレイクックのあるコンポントムっていう場所に惹かれたのは、その地域の人たちとの濃厚な記憶からだと思います。

さきほどのグアバを取ってくれた男の子、名前がプティカっていうんですけど、当時私が19歳で彼は15歳くらい。そんな彼が今はプノンペンの会社の人事のマネージャーで、すごい出世しているんですけど(笑)。この前、たまたま新年の時にサンボ―プレイクック遺跡に私たちが家族でいたら、目の前から「シスター!!!」って大声で呼びながら走ってくる人がいて、それが彼で。奥さんと一緒にかけ寄ってきてくれたんですけど、後ろにはピカピカの彼の白い車が停めてあって、出世したんだなーって実感しました。

でも、そんな彼との最初の記憶は、村で散歩して、グアバをもぎ取って渡してくれた記憶だったから、今でもその関係性のままで、彼は私をシスターと呼んでくれて、私も血も繋がっていないし頻繁に会うわけじゃないけど、何かしらの思い出を共有している感じで。その原体験の記憶が、ひと際強かったのがコンポントムなんです。

ー人との濃厚な記憶が住むきっかけだったんですね。そこから住むだけではなく、Napura Worksとして、遺跡だけではなくて、コンポントムお客さんに来てもらいたいと思ったのには、何か理由があるのでしょうか?

住むきっかけとも繋がっているんですけど、もう一つは、ヨーロッパを旅していて、世界遺産とか有名な地域がすごく素敵なんですけど、一方で治安が悪かったり、人が多く集まることで生まれる弊害みたいなものがあったんです。文化財の本来持っていた意味合いみたいなものが置き去りにされて、ものとして見られちゃう。

例えば、サグラダファミリアも、なぜこれだけの時間と労力をかけて人々は作り続けているのか?ということを知りたい時に、そのポイントに思いをはせたい、感じたいんだけど、どちらかというと、このステンドグラスがかの有名な○○が制作してものです!みたいな感じになっていて。そのまわりに、どっと人が集まって、皆写真を撮っているんだけど、何のために写真を撮っているんだったっけ?って感じてしまったんです。

もちろん私も写真を撮ってしまうし、ただそれよりも私が知りたいのはこのステンドグラスに込められた意味なんだ!と思っても、なかなかそこに意識を向けることができないということが、たびたびあったんです。

その、言葉にできない違和感があったときに、サンボ―プレイクックに出会ったんです。ここって、当時は年間で五千人くらいしか観光客がいなかったんです。もうほとんど人がいないっていうか、ほぼ0というか。そうした、まっさらのフィールドから何が生まれていくんだろうと、それを近くで見ていたいと思ったんです。

サンボ―プレイクックって、もう、周囲の環境も自然で、植物ということではなくて、周囲の人が自然体で、特別ではなくて。村の人にインタビューしたことがあって、「遺跡ってありますよね?よく行きますか?」って聞いたときに、そのお父さんとお母さんだったんですけど、お父さんが「遺跡ってどこにあるんだ?」って。そうするとお母さんが「ほら!あの森の中に遺跡あるでしょ!」って。そうすると、お父さんが「あ~、あそこね。よく牛をつれて放牧に行く途中に通るよ!」って。それを聞いて、すごく衝撃で。

彼らにとって、意識の距離がすごく遠いかっていうとそうではなくて、本当に日常の一部分だったんです。そんな壮絶な日常感が本当にいろんな意味でまっさらだなと感じたんです。

その後、シェムリアップに行った時に、ガイドさんにお話を聞く機会もあったんですが、彼らは自分の職業に繋がっているということもあるし、誰かに説明する必要があるから、自分で意味を確かめて、遺跡の存在が大事なんだということが練り上げられているんです。コンポントムではそいういうのとは全く違って、毎日見ている日常の風景の中に、そのまま1400年前が存在しているんです。それって、すごいことですよね。

そういう、それまでの私の知っている文化財のあり方のどれとも違う、全く別次元の光景がひろがっていたんです。ちゃんと保存する、保護するっていうこともすごく大切なことなんですけど、日常の風景とそう変わらない距離感で遺跡が存在しているっていうことが新しくて、感動したんですよ。色付けとか方向付けされていない関係性がここにはあって、それって大事なことなんじゃないかと。


ーNapura Worksで生み出す旅も、そんな舞さんの感動が色濃くでていますよね。

そうですね、そういった日常の中に、今度はNapura Worksとして旅を作っていくわけじゃないですか。そうすると、やっぱり人に足を運んでもらえないといけない。その時に、何か、そういう日常の風景に外の人が入ることによって生まれる変化を楽しむと同時に、来る人にもどう係ってほしいかという思いもあって。

それまで、旅行でのサンボ―プレイクック遺跡の立ち寄り方は、長くて半日遺跡を見学してお昼ご飯のみ、ツアーによってはほんの数時間遺跡を見学するだけというのも多くて。自分たちは、それはなるべくやりたくない。そこで、もっと長く滞在してもらうように提案したり、村では普段走っていない大型バスは極力使わないようにしたり。村の風景の中に、違和感だったり、村の人がぎょっとするのを減らして、日常から離れない工夫をしています。

ーNapura Worksのツアーには、カンボジアに住んでいる人が見ても発見があるツアーが多いと感じますが、それは舞さんが村の中で体験したことに基づいているのですか?

そうですね、事柄というより人からきていることが多いと思います。この人に会ってほしいなぁ、私が好きな人に会ってもらいたいなっていう事がツアーに繋がっていっていると思います。ただ、例えばミエンさんに会いに行きましょうって声を掛けても、ミエンさんって誰?っていう事になっちゃう。日本で言うと、鈴木さんに会いに行きましょうっていう事と同じですから。誰?鈴木さんって?ってなってしまうと、その人の良さだったり会ってもらいたいことが伝わらない。

なので、ミエンさんとその仲間が作っているゴマがとっても美味しくて、ゴマの収穫見る機会なんてほとんどないし、良かったら一緒に行きませんか?っていう形をとる。ホームステイも、実はホームステイをお願いしているお宅のソポンさんがお料理上手で素敵な人で、そこでお料理を食べて一緒に暮らしを体験してほしいから、ホームステイというコンテンツが生まれるんです。

結局はその人と出会って、膨らんでいって、ツアーっていう形になっていっていくんです。もちろん、私もめちゃめちゃ楽しいです。しかも、毎回こうかなぁって思っていても、実は参加した人が持ってきてくれるテーマで旅が変化することも多くて、それも楽しい要素の一つなんです。

以前、薬草に興味がある方が参加してくれて、その時たまたまカンボジアではどんなものがあるんだろうねってみんなで話していたら、ホームステイ先のお父さんが、万能薬と呼ばれたポマーっていう生き物の糞があるんだって話してくれて。そうすると、ポマー!?何それってなるじゃないですか(笑)。その時は、偶然雨期で外に出られなくて、ホームステイ先の高床の下でみんなでゆっくり話をしようっていうことになっていたんです。

私たちが旅を提供する時は、基本的に目の前の状況から起こったことを旅にするということを大事にしているので、同じテーマでも、雨期は雨期の、乾期は乾期の過ごし方という風に、生活の流れとともにあるんです。

そんな流れで、みんなで話をする中で、ポマーっていうキーワードが突然現れて。お父さんもポマーの英語名がわからないし、私たちもポマーって聞いたことがないから、何だろう?ってみんなでクエスチョンマークつけて悩んでいたら、お父さんがやおら、目の前の紙に絵を描いてくれて、それがまた可愛らしくて盛り上がって(笑)。絵をみたら、どうやらヤマアラシだろうってなったんです。もう、そこから1時間はポマーの話で持ちきりですよ(笑)。

ー薬草からはじまってポマーまで、予想もつかない広がりが面白いですね。

そうなんです。そうすると、いつかポマーに出会ってみたいと思うじゃないですか。Googleでヤマアラシの画像を見るんじゃなくて、ポマーに会いたいんです。そうして、新鮮な驚きと発見してみたい気持ちが絡まっていって、またそういうツアーっていう形になると、楽しいと思うんです。だから、旅に来てくれた人たちと全然話が途切れない。例えばホームステイだと24時間×3日一緒なので、記憶の接点がものすごく多いんです。

さらに、いつかどこかの森で私がたまたまポマーに出会ったとしたら、あの時あの話をした場にいた旅の仲間には、絶対に”ついにポマーに会えました”って送るじゃないですか。そうすると、またあの場にいた人たちの間で、”これかー”って再燃すると思うんです、あの時の空気感が。

だから、私たちはツアーを売っているというより、人生の一瞬をお客さんと共有している、という感覚でずっと続けてきているんです。また、その共有はお客さんと私たちだけではなくて、コンポントムの日常にいる人たちともつながっているんです。

その、ポマーの話の時は、もう一つエピソードがあって。ちょうどその日は雨もあってすごく寒かったんです。なので、みんなでポットにお湯を入れて薄めのお茶を飲んでいたんですけど、その時にお父さんが、そうだって思い立って、庭で育てていたハーブを2、3枚摘んできて、それをパラっとポットに入れてくれたんです。そうしたら、その薄いお茶がものすごく香りのいいミントティーになったんです。そこから、ハーブの話になって、そのハーブの薬効の話になって、そこにポマーの話が繋がっていったんです。

お父さんにとってみれば、庭のハーブを積んでお茶に入れることは、なんてことのない日常の一部分なんですけど、その場にいた人たちにとっては、忘れられない一瞬に繋がっていったんです。

こうした、プログラムにはのせられない体験や出会いがとてもたくさんあるんです。だから、プログラムを事前にガチガチに決めない。どうしても、例えばこの時間じゃないとこの景色が見ることができないなど、必要な時は時間を決めるけど、そういう場合以外は極力その場の空気感とその日の状況を見てなるべく決めていくようにしています。

ー私も、以前子どもと一緒に案内してもらったことがまりましたが、その時も事前に相談していた内容とは全然別の旅になりましたね。

そうでしたね、うちのオフィスで、お子さんがずっとうちの犬たちと遊んでしましたね。

ーええ、遺跡もほとんど見てませんね(笑)。なので子どもたちの旅の記憶は、当初の”コンポントムを見に行く”から”舞さんのワンちゃんたちと出会った”ということになっています。ただ、その時は”カンボジアに来て一番楽しかった”と言っていました(笑)。

そう、それがツアーとして本当にいいものかと言われると、必ずしもそうじゃない事もあると思うんです。だけど、その場に一緒にいて、お母さんとともにその場を見ながら、今、この状況で子どもたちは一番楽しそうだから、もうちょっと放っておいてみようか、みていな意思決定を一緒にできることを大事にした方が、よりみんなにとって記憶に残る時間になるんじゃないかと思って。

もう、時間だからここでワンちゃんと遊ぶの終わりにしましょうって言うと、なんかこう、子どもたちががっかりした寂しい気持ちが残ってしまうようなきがして。それはその場にいた誰も望んでいないし、結果として見れるものは少なくても、うちの犬たちと楽しい時間を過ごしたことは、子どもたちの中にずーっと残ってくれると思うんです。

今、犬は、老後のセカンドライフで村に移住して、さらに元気に暮らしているんですけど、その話を子どもたちが聞いたら、もしかしたら、今度は村に会いに行こうかっていう話をできるかもしれない。それもこれも、体に残る記憶としてしっかり残らないと続いていかないんですよね。だから、私たちの提供する旅の中では、どんなテーマでもどんな方でも、これはよくてこれはダメっていうのは少ないんです。


3.サンボ―ビレッジまでのお話と、コンポントムでのこれからについて

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ー記憶に残る旅を提供し続けてきた舞さんですが、サンボ―ビレッジのオーナーになるということは、旅を提供する事とはまた、大きく違った面が多いと思います。また、この難しい時期に引き継ぐことになったと思うのですが、どういった経緯で引き継ぐことになったんでしょうか?

すごい急な話で、サンボ―ビレッジが売られるという事を聞いたのが、昨年の8月だったんですけど、そこから2週間くらい、やるの?本当にやるの?やるか!いやちょっと待って…っていうやり取りを3回くらい繰り返して(笑)、先方からもういい加減決めてくれないと困るっていう段階で、じゃあやりますと(笑)。

もう、その時は全然、条件とかそういうのは全部横に置いておいて、カンで判断して決めたんだと思います。もともと、カンで決断して、自分に対する推測が後からついてくるタイプなんです。なので、その後いろいろ考えたことは、単にやろうという決心をつけるために後から付け加えたことだったと。ただ、その時、もういろんな波が来ていたことは確かだったんです。

以前、「開け!社会の窓!」という対談でも話したのですが、Napura Worksって、器としてとても小さかったんですね。自分一人でやっていますし、日本人のお客さんだけだったですし。しかも、Napura Worksの旅に共感してくれるお客さんばかりでしたし。年間トータルで200人くらいの小さな規模で、丹念に向き合っていくということをやってきたんです。ただ、これから先、本当はもっと社会が変化してくのは早くなっていくとも思っていて、特にカンボジアは。だから今目の前で大事にしたいことがあっても、この規模感でどう伝えていくんだろうって。ただ、これから先、本当はもっと社会が変化してくのは早くなっていくとも思っていて、特にカンボジアは。だから今目の前で大事にしたいことがあっても、この規模感でどう伝えていくんだろうって。

それに加えて、コンポントムの大事で、素敵だなと思っている人たちもどんどん年齢があがっていくんですよね。顕著なのは、ホームステイをお願いしているお宅のお父さんが、コロナが始まった頃から、最近疲れたなーって言うようになってきたんですよ。もう57歳だから、あと3年くらいたったら引退だしって、すごく言われるようになってきたんです。今まで、あまりそういうことを感じなかったんですけど、やはりみんな歳は取っていくわけだし、今のまま、素敵な人たちがここにいるって私が思っていても、その人たちはずっと存在するわけじゃないんだと実感したんです。

この中で、私は何をしたらいいんだろうとか、なにができるんだろうなとか考えて、でもNapura Worksのあり方を否定するのは想像できないなと。そんなふうに思っていたところに、コロナで旅がすごく変わっていくのを感じたんです。私たちの旅って物語の連続で、事前に全ては決められない、その場で生まれていくもので。今、コロナになってから先の計画が立てられなくなったじゃないですか。1か月先がよくわからないから、予定が立てられない。今、世界がどんどん変化しているなと。そして、変化から何が生まれていくんだろうかって。そんなふうにいろいろ考えていて、空白だったんですよね、旅も今どこにむかっているんだろうって。

同時に、私たち家族もどこに向かっているんだろうって考えていて、自分たち自身は元気で、やる気とかエネルギーも悪く状態なのに、それを向ける先はどこなんだろうと。そんな風に思っていた時に、このサンボ―ビレッジのお話がポーンって飛び込んできたんですよ、もうタイミングだったんですね。

オーナーになることは、私たちにとって大ジャンプで大チャレンジで。タイミングだとひとことで言っていますが、その時に至るまでのいろんな思考だったり、周りの人の変化だったり、いろんなものが絡まってそのタイミングで決断だったんだと思います。

人間の人生の物語は、ひとりで紡いでいるんじゃないって、ここ数年ずっと感じていたんですけど、余計にそれを感じる機会が、このサンボ―ビレッジのオーナーになることだったと思います。

このホテルは、今までコンポントムで西洋人のお客さんを数多く、長期間受け入れてきたホテルなんです。また、ここのスタッフには、このホテルで長期間働いてきた人たちが存在していて、そのことは彼らの中に数多くの経験が蓄積されているってことなんです。

観光業って、本当に人間がそのまま出るので、特にサービスについては、その人柄だったり、チーム柄だったりがとても出ると思います。それを、どの人が行っても同じサービスを提供するという手法もあって、それはその良さもあると思うんです。だけど、それと同時にコミュニケーションに人柄が出て、心と心の触れ合いが多いと、記憶に残るんですよね。

スタッフとどう会話したとか、そういう小さなひとつひとつの体験が、その場で過ごした時間の記憶として残っていくと思うんです。そういう意味で、観光業の人にとって、目の前でお客さんと重ねていく時間がすごく大事で、それをコロナの影響でホテルがなくなるという理由で、10人近いスタッフの長い経験の蓄積がなくなってしまうのは、もったいないなと思たんです。

今、話したのはどちらかというと保守的な意味での理由ですけど、もう一方で、今までNapura Worksとして地域の中で色んな心の袖のすり合いを濃厚にしてきた時間は、私が一緒に滞在して行ってきたんですけど、私だけじゃない、もう少し広い受け皿ができることで、もっとチャレンジできることが増えていくのかもっていうのが、ふわっと頭に浮かんで、その可能性を追いかけたいと思いましたね。

ーふわっとした思いとは逆に、とても大きなチャレンジだというお話ですが、そうした思いの裏には誰かの助力があったんでしょうか?

助力というか、思いの下地としては、このコロナの期間中って州の外に出られない時間がおおかったじゃないですか、ラッキーなことに(笑)。そんな時に、コンポントムでいつも仲良くお付き合いしているメンバーで、これからのコンポントムの5年後ってどうなるよっていう話をしていたんですね。それで、やっぱり、もうこれはプノンペンだとかシェムリアップの後を追って、観光地として成長させようとしてもダメで、コンポントムでしかできないことを追求していこうよっていう話をしていたんですよ。

コンポントムのコンポントム民と一緒に、そういう話をしていく時間がたくさんあった。そういう時間があったから、自分たちが感じている、コンポントムの普通の暮らし、普通の田舎、何の変哲もないカンボジアの地方が持っている限りない魅力をわかってもらうには、やはり街に泊まってもらうのがいいんじゃないかと。

大きな観光地のようにアトラクションをいくつも用意できないけど、まぁ、まず来てくださいよ、そしてちょっと泊まってくださいよ、そしたら、ぶらぶら歩きながら市場にでも行きましょうか?とか、そういう時間を重ねていくのがいいんじゃないかと。また、どうやったらこういう時間を作り出せるのかっていうことを、コンポントムの友人たちと話をしていたんです。

その中で、何か街に泊まる施設があったらいいよね、AirBNBみたいに、日常と近い距離間で、日常を感じれるようなものがあったらいいよねって。そうしたら、AirBNBではなくて、サンボ―ビレッジが転がってきちゃったんですけど(笑)。

ー大分規模がおおきくなりましたね(笑)。

そうですね、規模も大きくなったし性質も違うのですが、ただ、はっきりとはわかっていませんが、何か大事な階段のひとつが今、ここにありそうな気がするっていう気がしています。

実は、私たち以外にもサンボ―ビレッジを見学に来ていた人は3、4組いたそうですが、コンポントムという場所でこの箱で採算が取れる気がしないという理由で、みなさん手を出さなかったそうです。ただ、私たちにとっては、コンポントムじゃなきゃいけない理由があって、コンポントムだからやりたいっていう気持ちがある。

コンポントムがこれだけ好きで、これだけ時間を共にしていて、もう他人とは思えないコンポントムで、そこを引き受けられる可能性がある人は多くはないんじゃないかなと思って、だから私たちには理由があるからやりたいと。

ーコンポントムという場所もそうですが、サンボ―ビレッジで働く人たちの人柄も大きな理由だったんでしょうね。

そうですね、相当大きいです。クラウドファウンディングの最後の活動報告をしたんですけど、もともと私自身もお客さんとしてスタッフと接したことがあって。彼らの接客って、なんというかすごくフェアで気持ちがいいんです。お客様に対して、へりくだる感じもなく、ドライに機械的に接している感じもなく、すごくいい関係だったんですよね。

ー今後、何かとサンボ―ビレッジなど、未来への展望や計画みたいなものはありますか?

ずーっとこの16年、冒頭の長ーい(笑)前振りの中に何度も出てきていた、人間が人間として生きる力、明日を思いながら生きていくために必要なことって、経済的な明るさもあると思うんですけど、何か、今日一日よかったなーっていう気持ちとか、近くにいる人たちと何かを分かち合って、あー今日も安心したなっていう事とか、意識されないけど実はすごく大事な要素だと思うんです。そして、それは、人と人との付き合いの中ではじめて生まれると思うんです。

今まではサンボ―ビレッジでは、国外からのお客さんが90%ぐらいを占めているようなホテルで、そういう外からのお客様とどういう風に過ごしていくかっていうのをテーマにしたホテルだったんです。でも、この時期に国外からのお客さんがほとんど来れなくなって、私たちは大きく方向転換をしようとしているんです。

これからは、カンボジア国内に住んでいるカンボジア人や外国人のお客様に、今までより少し長く、2泊とか3泊とか、長く滞在をしてもらって、自分たちの心にスペースを作ってもらったり、日常にある、だけどお客さんにとって新しい世界や、新しい体験、新しい出来事に出会ってもらおうと思っています。

いつも家族と毎日一緒にいるんだけど、じつはみんな別々にスマホ見ていたりして、同じ空間にいるのに、一緒にいないかんじがする時ってありますよね。そんな時、サンボ―ビレッジに滞在してもらって、プールサイドでワーッと遊んでいたら、気がついたらスマホを1日見ていなかったよね、たっぷり遊んだねっていう記憶とか。200頭くらい水牛が歩いてくる場所があるんですけど、その光景を見て、家族全員でひとつの事に向かって、わーって驚いて、そういうのを体験してもらえたらと思います。

あとは、コロナの影響で、自分たちもどうやって生きていこうかとか、このままの働き方でいいのかなとか、カンボジア人の同世代の友人たちと話をすることがあるんです。今は都会で固定給のある仕事をしているけど、果たしてこのままずっといけるのかなとか、田舎でもちゃんと暮らせるようにシフトしていったらいいのかなとか。そうした変化の時を、相談しながら一緒に歩いて行ける場所にもできたらなと。

のんびりとしたサンボ―ビレッジでゆっくり考えながら、ここの空間から繋がっていく思考だったり、人だったり、人との係わりを体験してほしいですね。

Napura Worksというライフワークをやってきて、今回ホテルをやるにあたっても、例えばこのオプションとオプションから選べますというスタイルじゃなくて、心がどう動くか、意識がどう向くかっていう動線を丁寧に考えていきたいんです。

例えば、ホテルで出しているライムジャムがあるんですけど、大量に作るので、以前は市場で材料のライムを仕入れてたんです。ただ、せっかくだからホームステイをしている村で採れるライムで作りたいなぁと思って。今までは街の人にも、村だと量がないとかいいのものが揃わないとか先入観があって、定期的に仕入れるのが難しいと思っていたんです。ただ、村の事を知っている人がいて、その人に相談したらいいライムが大量に仕入れることができるようになったんです。

そうすると、お客さんに朝食で出しているライムジャムが美味しいなっていう感動が生まれたときに、じゃあ、このライムのふるさとに行ってみますか?っていう物語に繋がるんです。食べることって、すごくいいんですよね。美味しいって頭で考えるんじゃなくて感性なので。

こういった小さな物語を大事にできるっていうのが、私たちがホテルをやる意味だよと思うんです。私たちがこの地域で小さくちいさく今までやってきたことと、ホテルと重なっている部分を、これからはじりじりと大きくしていきたいと思います。

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(注1)サンボ―プレイクック:6世紀末から8世紀にできた都市で、2017年にカンボジア国内3番目の世界遺産に登録された。
(注2)プノンペン:カンボジアの首都。都市化が進み、中心部にはホテル、ショッピングモール、レストランなど数多くの商業施設が立ち並ぶ。
(注3)シェムリアップ:アンコールワット遺跡群の玄関口となる観光都市。コンポントムは、このシェムリアップとプノンペンのちょうど中間地点に位置する。


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舞さんには、これから紡がれるサンボ―ビレッジの物語がとても楽しみになれるお話をたくさんお聞かせいただきました。

まだまだ、移動が難しい状況ですが、コンポントムという日常の風景の中に立てる日を楽しみに。

これからのサンボ―ビレッジの普段の姿はホテルのFacebookページで見ることができます。

今後の舞さんとNapura Worksの活動はnoteのページからどうぞ。


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