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オキナワの頃 其の三〈島の暮らしⅡ〉

島は観光シーズンは人で溢れる。特にGWとお盆休み。その期間の水牛車の受付はまるで渋谷のスクランブル交差点かって思うくらいに人で溢れかえる。暑い上に忙しさで頭から蒸気が出る。
逆に12月の頭から冬休みに入る前までとGWが終わる頃から始まる梅雨の間、この期間は恐ろしいくらい暇だ。
この会社は島の文化や暮らしを伝えることに関しては厳しかったが、この暇な時期の暇すぎる時間に水牛車の上で三線や島唄の練習をしたり、昼寝したりということには寛大だった。沖縄時間、島時間というやつである。

ぼくは仕事以外にも島の青年会に入った。島の掃除をしたり、ペットボトルの分別をしたり、通夜、葬式の準備を手伝ったり(高齢化でかなり多かった)、修学旅行生のためにエイサーを踊ったり。さらには、集落の事もあるので仕事が終わったあとも仕事がさらに待ってる感じでなかなか忙しかった。

そういうことがないときには、勤め先の社長のお母さんがやってる民宿に三線を持って遊びに行った。お客様相手に三線で島唄を歌って、夕飯を食べさせて貰った。民宿のお客さんは勿論喜んでくれた。
この民宿のお母さんははっちゃんおばさんと呼ばれているのだが、島の神司(かんつかさ)も勤めていた。
小さな島に24もの御嶽があって、6人の神司がいた。そこを守り、それぞれの神様に祈るのが神司の仕事だ。島は毎月何かしらの神事があり、その度にはっちゃんおばさんは白い装束になり顔がキリリとしまり出掛けていく。神事によっては夜通し祈りを捧げるというようなものもあり大変な役割だが、何一つ文句もいわず、いつも元気で歌もうまくて美味しい御飯を食べさせてくれた。

                                                                    つづく

                      

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