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《自己存在探求の旅路》無意識、宇宙、他者、霊性

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生きている事、死ぬ事、死後の世界、神話、意識、無意識、魂、霊性、宇宙、星、素粒子、自己と他者。自分が生きてる意味とその存在、その世界について探求していくマガジンです💫💫💫💫
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#読書

最上和子とは何か!?「身体のリアル」押井守(弟)最上和子(姉)を読んで

最上和子とは何か!?仰々しいタイトルを付けてしまったが、結論から言うと(勿論本とネットで見て読んでる印象の結論だ)、 生きながらにして死のうとしてる人 生きながらにして死の空間をこの世に 出現させようとしている人。 「身体」を通して。舞踏という表現で。 それが「最上和子」という人だ。 「見てはならないものを見てしまった」 最上和子は言う。 「身体には内的身体と外的身体がある」と。 舞踏というものを通して内的空間、ヌーソロジーやシュタイナーの言う《反空間》になろうとし

深層の「心」をチューニングして、コトバ(意味)のはじまりと共鳴する -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(64_『神話論理3 食卓作法の起源』-15)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第64回目です。『神話論理3 食卓作法の起源』の第三部「カヌーに乗った月と太陽の旅」を読みます。 これまでの記事は下記からまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 この一連の試みは、レヴィ=ストロース氏による『神話論理』を、レヴィ=ストロース氏がはっきりと明示して書かれていないことまで好き勝手に「ああなんじゃないか」「こうなんじゃないか」と

詩的言語/サンサーラの言葉とニルヴァーナのコトバの二辺を離れる -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む

しばらく前のことである。 「人間は、死ぬと、どうなるの?」 小学三年生になった上の子が不意に問うてきた。 おお、そういうことを考える年齢になってきたのね〜。と思いつつ。 咄嗟に、すかさず、大真面目に応えてしまう。 生と死の二項対立を四句分別する。 念頭にあるのはもちろん空海の「生まれ生まれ生まれて、生のはじめに暗く 、死に死に死に死んで、死のおわりに冥し」である。 こういうのは子どもには”はやい”、という話もある。 が、はやいもおそいもない、というか、はやからずお

”心”の表層を剥がしていくと -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(2)

ひきつづき中沢新一氏の『精神の考古学』を読みつつ、ふと、松長有慶氏による『理趣経』(中公文庫)を手に取ってみる。かの理趣経、大楽金剛不空真実三摩耶経を、かの松長有慶氏が解説してくださる一冊である。 はじめの方にある松長氏の言葉が印象深い。 苦/楽 大/小 何気なく言葉を発したり思ったりする時、「その」言葉の反対、逆、その言葉”ではない”ことを、一体全体他のどの言葉に置き換えることができるのか、できてしまっているのか、やってしまっているのか、ということをいつもいつも、「頭

カタカムナとは何か!?「人間のアタリマエの姿」カタカムナ編パート1💫💫💫

カタカムナ・・・ カタカムナは楢崎皐月から宇野多美恵へと伝えられ宇野多美恵から様々な人へ(正統後継者は天野成美さん)。今では本も多数出版されネットにおいてもオンライン教室もある時代だ。YouTubeを見ればカタカムナ、いくらでも出てくる。 こちら↓BGMにどうぞ♪♪🌟 平十字から楢崎皐月に伝授された金鳥山はあつこつルシャルム🌈さんの記事にて確認できる。 さて、このカタカムナ何を現しているのか。 何を伝えようとしているのか。20代の頃耳にしたカタカムナ、そのままほったらか

カタカムナとカタチとヌーソロジー🌟「カタチとは何か!?」カタカムナ編パート2

前回記事にて関川氏の著作よりカタカムナを紹介したが今回は川ヰ亜矢子氏の書籍より。 またまたヒビイテクルところをピックアップ🌟 こちらの本は初心者向けなので一緒に読んでいきましょう~🌟 BGMはこちらで♪♪🌟 まずは、 カタカムナとは!? カタ 現象 カム 潜象 ナ 結び 1+1=2ではなく 1+1=「繋ぐものが存在しなければ足すことは出来ない」 なかなか素敵な言葉である。 この 「+」は、カタカムナでは「ト」と読み統合するという意味がある。 キリストの十字架

曖昧なボーダー:南方熊楠とわたし(後編)インナーチャイルド乗っ取り事件

前回の記事の続き。言語化しにくい自分の体験を言語化する試み。 「対象と同一化したままでは、狂人となってしまう」「自我の消滅に恐怖する」「他者と近すぎず遠すぎない、適当な距離にとどまれない」、こんな熊楠は今でいう「統合失調症」に近いのでは、と書かれている。(*後述) わたし自身は、統合失調症っぽい部分もありそうな「うつ病」だったことがある(うつ病の治療は受けていた)。そのことと関係あると思うけれど、自身の特殊な体験のうち、最も大きなものを「インナーチャイルド乗っ取り事件」と

ワンネスは何処!? ヌーソロジーとカバラ。生命の樹を修復せよ💫💫💫💫

ワンネス考 私観です。 ワンネス。noteを始めてからよく見るようになった言葉たが、最近殊に見かけるようになった。 ネットを開けば踊っているワンネスという言葉。 ワンネス体験した!とアカウントプロフィール欄にも堂々と書いてある。 はて? ワンネス体験した。 ワンネス体験した!?😳 いつ何処でしたんだろう!? ワンネスというのは宇宙のありとあらゆる全ての存在、意識、生命、物質と一つになるということだ(違う!?)。一人がワンネスになればぼくも勿論ワンネスになってないとおかしい

ハーベストプログラム🌟🌟🌟2025→2037〜2039

皆様、こんにちは!🌸 深海より浮上! 浦島TERUTERUです🐢 お久しぶりでございます!! 冬の間は必死こいて読書やヨガに瞑想に動画閲覧とヒント探しと自己探求自体を深めていました。 復帰第一戦はこちら! 冬眠中のお話し。。。 或日の夕飯後、妻が突如「2039年以降はよくなるって」と、言い出した😳 2025年の話はしてたけどそのあたりの話はしていない(2025年の話は職場でも上司が2025年7月5日で日本が滅ぶって動画がYouTubeで沢山上がってるぞと、作業中に言い出して

見えない氣、オーラ💫ネパール&インドにて《魂の在り処を求める旅・ワタシの成り立ち》②(全5話)

成田からタイを経由してネパールに降り立つ。 カトマンズ、ポカラ。ネパールの首都とヒマラヤの麓の湖畔の町ポカラ。この2つの街で一ヶ月、ほぼぼーっと過ごした。 宿の人がくれる日本では吸えないものを吸ったり(このような文化はブッシュ君が教えてくれていた)、チベットから逃げてきた難民の民族道具を眺めたり。モモやチョウメン、チャパティ、ダルバートといったネパール料理を日々食す。日本で吸えないものを吸った状態だと食欲の抑えがなくなる。効いている時はガブガブ食べた。お店の人はそんな様子を

「死」と死後の世界 〈死は存在しない〉パートⅡ💫 矢作直樹著「魂と肉体のゆくえ」を読みながらヌーソロジーも絡めつつ💫💫💫

10月の或日の事だった。 朝をFBを見ると知人からメッセージが。 「N君が亡くなったって。脳梗塞で今日が告別式」 ぼくは驚いた。N君は同い年。その3日くらい前にどでかい鍋で屋外で大量の落花生を茹でている姿を見ていたからだ。 「えっ!!」 驚きとともに少しの間ショックを受けた。残された奥さんと小さな子ども。彼に取り付けてもらってメンテは彼に頼もうと思ってた我が家のエアコン。 「おーい!まじか〜!!」 ぼくももうそんな年齢なんだな。平均寿命は上がってるとはいえ、ぼくもいつ肉体が終

《魂の在り処を求める旅・ワタシの成り立ち》①(全5話) 入口は『聖なる予言』💫💫💫 

何度か書いてきていることだが、ぼくの20歳過ぎた頃の出来事。アトピーの爆発的悪化とそれを治す過程で知った食品、農薬の真実。さらに入社してすぐの会社の倒産。 この2つの出来事で自分が作っていた自我が揺れ動いた。社会不信。政治を信用出来なくなり、資本主義社会を信用しなくなっていく。 見えてる世界はぐらぐらと揺らいで見える。 何でこんな思いをしなくてはならないんだろう。そしてひかれていたと思ったレールはいとも簡単に崩れ去る脆弱さ。 ぼくは自分で食べ物を作れるようになりたい。と、思い

精神的宇宙な時代の流れ 面白ろ驚愕ヌーソロジー篇🌟ぼくらの意識はシリウス次元に在り!!💫💫💫😆

今回はヌーソロジーというかヌーソロジーの元になった冥王星のオコツト情報を元に記事を書いてみます! 既に怪しい🤣わかるわからないとはまた別のオコツトワールド💫💫 ですが、魅惑的だと思います~🌟😆🌟 ヌーソロジーの面白さはここにあり!? ヌーソロジー関連の本やブログ、動画を見ていると必ず出てくる冥王星のオコツト。 一体全体なんなんだ!? オコツトとは〈真実の人間である〉 ヌーソロジー提唱者半田広宣氏(67歳くらい?)が20代の頃7年間に渡ってチャネリングで交信した冥王星のオ

現代“自我”社会と狩猟社会における言葉の意味「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民」🌳第三部最終回🌳

前回第二部では反省しない人々と題して「ごめんなさい」のないプナンのゆるやかな集団的自我を紹介しました。 最終回は日本社会において大事な大切な「ありがとう」がないというのはどういうことなのか、考えてみたいと思います! レッツ・ゴー トゥ ザ フォレスト🌳🌳🌳 所有。 物欲。 これは人間は本来的に持っているものなのか。 はるか昔の縄文時代、自分のものという概念は持たず人々は分け合って暮らしていたのだろうか。 インドネシア、プナン民族は食べるために生きている。 森や川から狩猟漁労