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《自己存在探求の旅路》無意識、宇宙、他者、霊性

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生きている事、死ぬ事、死後の世界、神話、意識、無意識、魂、霊性、宇宙、星、素粒子、自己と他者。自分が生きてる意味とその存在、その世界について探求していくマガジンです💫💫💫💫
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2024年1月の記事一覧

ワタシの自我と魂の見つめ方💫ヌーソロジーの意識地図。(初投稿☀全くもって正月っぽくないけどこんな感じで今年も、いや今年はさらにバリバリ、ヌーソロジー道を進んで行きます!💫☀💫🌕💫と、思ったけど初日の出も入るので正月テイスト有りになりました。投稿間隔空いた間に思ったけど何のために記事書いて投稿するのかって一番は自分のためなんだよな。うん、自分の為。と書いてるうちに地震、飛行機。北陸地震にて亡くなられた方々のご冥福と被災された皆様にお祈り申し上げます。)

皆様、明けまして御目出度うございます。 復習と今年の目標。 ヌーソロジーの意識階梯、次元をもう一度確認するべく(自分の頭の整理のため)、イラストで人間の活動領域を書いてみました。ご興味のある方は新年早々ですが、こたつに入っておせち食べすぎて怠けた頭を刺激して頂けたら幸いです。 新年早々、元旦初日、驚きの地震がありましたが 自分が信頼できる形の支援体制が整ったら募金や支援物資送らせていただこうと思います。 洪水で住居、田畑が大被害にあったぼくがお米を買ってる山田野菜さん🌾↓

ものの履歴

ものには履歴がある。 寒い冬の朝 うっすらと雪化粧した外の氣配を 視界の隅に感じながら、 手のひらの中にあるおむすびを まじまじと眺める。 冬の空氣に溶けながら 窓辺から柔らかく差し込む光が ちりめん山椒のじゃこ達の 透き通った亜麻色を映し出す。 無数の米粒とともに そのひとつひとつが キラキラと輝いてみえた朝 ちりめんじゃこ達のストーリーに想いを馳せる。 彼らのひとつひとつがこの世界のどこかのメスとオスから生を享け、かたちを持って世界へと送り出される。 彼ら

深海より インナーチャイルドみっーけ🌟ヨガと瞑想とヌーソロジー🧘‍♂ 末尾今後のnote活動のお知らせあります📒🖊ズバリ言ってnoteの海の更に深く深く冬眠中なり😴🐙🦑←冬眠終わりました(2月26日記)

40歳から始めたヨガ、瞑想。 去年から始めたヌーソロジー。 この2つがぼくの世界で上手く混じり合ってきてる氣がする。 3次元に居ると思い込んで続けていたヨガをヌーソロジーが見せてくれる4次元意識で行っていく。出来てるかはわからないけど、本氣でそういう意識で世界認識で続けていけば何か掴み取れる時が来るのはわかる。その時は突然来る。今までもそうだったのだ。 同一性宇宙、自己と宇宙という世界から相対性宇宙、自己と他者の宇宙という世界で生きていき、その中でヨガも行っていくのだ。

独り言のネタを3つ程、徒然と書いてみます

①見える人はグラデーションを Xを眺めていると、攻撃系の人はグラデーションが見えない人なのかな?と思います。ここでのグラデーションとは、側面であり、傾きであり、物事の回転のようなものです。(個人的な解釈) つまり私たちの出す答えは常に瞬間性のものでしか無いと言う事。 仕組みや構造を知らないと、人の求める真理やファイナルアンサーと呼ばれるものは探せない…、そんな感じがします。 このグラデーションの世界で物事見た時、正誤や争いはあまり意味を持たない感じがします。 と言うのも

インナーチャイルドをデコる

ずっと体の中にあると思っていたインナーチャイルド。 自分の中の? 内なる? どこ? どれ? 東日本大震災の後アダルトチルドレンとわかってからも、インナーチャイルドは見つけられないままでした。 ところが、 先月、↓のヌーソロジーのVoicyを聞きながら「だからね、インナーチャイルドって何だかわからないのよー」と、勾当台公園を歩いていると、突然、体の前に意識体が! インナーって言葉に、てっきり中と思い込んでいたわ。 早速、家族に報告すると、 「人によって色々あっていい

48音

「球の魔方陣」と「カメの甲羅の魔方陣」48数 辻麻里子さんの本に 48音 と書かれており 48の数字を追っているつもりが 48の音という一面も か〜 どころか カーン     五七調リズム 言葉のリズムは「5・7・5」「5・7・5・7・7」 短歌や和歌 カタカムナ48声音 なども 和歌についてドキッとしたことがあります。 何気につぶやく たった二文字が、不意に送信され 詠み人知らず「わ・・・か」を 行く方知らずの女雛さまが受信 今、そんなくじら 頭上に 月と木

沈黙のちから

元旦の震災に多くの方と同様に私自身も無力感を味わった。 金沢に住む俳句仲間の顔が先ず浮かんだので、彼にメールを送った。 初期の津波警報には対応し、すぐに家には戻れたが、継続する余震にびくびく過ごしているとの返信があった。  きしくも年末から読んでいる若松英輔氏の「沈黙のちから」という本の冒頭の「悲しみに出会う」の章の最初の六行が、とても象徴的であったので、その文章を引用させていただいた。 本書のタイトルにもなっている沈黙のちからという言葉にも詩形から生まれる余情、情緒の