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世界は始めるために、存在する 〜 永遠の時代から始める時代へ 〜

『人は幽霊を信じられるか、信じられないかで決まる』 松井勇人著


タイトルからは、想像できないが、

コロナ禍以降のポスト資本主義時代を生き伸びねばならない人達には、

必読の本である。 そう断言する!

この著者の松井さんは、学習塾を経営している起業家だ。

しかし、その前に、壮絶な挫折と失敗の経験者でもある。

今、コロナ禍で苦しんで引き篭もっている あなた

思うように行かずに人生の絶望を感じている あなた

この時代の閉塞感に息が出来ずにいる あなた これは、僕だ。笑

そんな私達の大先輩、松井さんは、

先んじて、受難に遭遇し、長い期間ステイホームし、

自らが見つけた光を
 
この著書により、私たちに、蝋燭の火を配るように届けてくれたのです。

 

さあ、本題に入りましょう!!

この松井さんが見出した光明とは

それは、『世界は、始めるために存在する』

この世界の捉え方、見方のことです。

松井さんは、インド人の天才経営学者 サラスバシーの理論に偶然出会い、この世界の見方を見出した。
 
それは、もう布団の中で重度の鬱に引き籠っていた時に、天から光が差して来るような真理に出会う現象『エピファニー』を経験したぐらいですから・・・  これは、前回のレビューに詳しく書きました。

本の内容を一部を意訳して紹介すると、

松井さんは、 この「始める哲学」に光を見出し、重たい布団をひっぱがしで、起き上がった。

自分の中に沸き起こるものを見出し、起業を始めたのである。

ここで、起業という言葉は、サラリーマンの私にとっては、ハードルが高いように感じてしまう。

しかし、松井さんは、脱サラして起業家になれと言っているのではない!

起業家魂を持たなければ、自分と世界が一致する世界は、いつまでたっても始まらない。

誰かが作った価値観・システムに飼いならされて自分の魂は、世界は終わる!

そう言っているのである。

 本の中に、夜間中学校の話が出てくる

当たり前だが、みんな夢や目標が違う。
 
誰かが決めた基準やルールのために学び安心しているのではない。

おばあちゃんと、中学生は、各々の世界を開こうと努力している。

自分の内から沸き起こるもののために、世界を始めている。

一つの小さな夢が叶えば、次の夢がまた始まる。

また、夢を終わらせることも、さらに膨らませるのも自分

誰かと比べるのではない。

これこそが、起業家魂ではないか!!!!!!


だからだ、

始めなければ、始まらないのだーーーー!!!

松井さんは、本の中で、

勇気が出るよね。。 本当に。。

人生の醍醐味は、上手くいくか、いかないかの結果なんかじゃねーってことだな。

新しく、試してみるってことだな。
 
その純粋な経験、ストレートな自分の内なる欲求に従って、その試みをエキサイティングできるかどうか、

人にドキドキして、告白することこそが、せっかくこの世に生まれて生きている甲斐ってもんじゃねえのか。

まだ、6章の内容の1章のところしか紹介できていないけど、

この本を読んで、僕のために書かれた本でないかと思ってしまった。

教会に通っていた頃、牧師の宣教を聞いて、牧師がわざわざ『これは俺に向けて語ってくれているのか?』と同じように思ったことがあった。

「始めなければ、始めらない」 一見、こんな当たり前の言葉が、魂を揺さぶるのは、それが真理だからだ。
そして、この言葉を、多くの人が欲しているはずだ。

松井さんの本の中には他にも、

哲学者の西田幾多郎、仏法の『正法眼蔵』、旧約聖書の「アブラハムとイサクの話など、
先に出た、最先端のサラスバシーの経営理論などは、起業家研究者などでなければ、とても読めないものばかりだけど、

我々が、簡単に読めない本も、英語の論文など原著で読みながら、松井さん流に解釈し、その真理をこの本で私たちに教えてくれている。

実は、すっごい、贅沢な本!!!!

まさに、今、この旧い時代(永続の哲学)と新しい時代(始める哲学)が交錯する踊り場で、
自らが新しい世界を始めたい。自らのハートに小さな炎を宿している人にとっては、

この本は、自分のために、書かれた本だ! と声を発するに違いない。
間違いなく、この本は、今の時代の本だと言える。
 
最後に、

この本のタイトルが、なぜ、『人は幽霊を信じられるか信じないがで決まる』となっているか。

これは、本書では濁して書かれているが、

これは、哲学的な問いである。

この本のもう一つ大事なテーマに、「認知」と「問い」がある。

1、私が誰なのか、知っていますか?
2、誰が私を知っているのかを、知っていますか?
3、私は何を知っているのかを、知っていますか?

自分で世界を始めるためには、この「認知と問い」に向き合うことだと、言葉を尽くして書いている。

そして、幽霊という、見えない存在とどう繋がるのか。

ぜひ、本書を手に取り、この問いかけを味わって欲しいと願っている。


 

<あとがき>

敬愛する松井勇人様へ

大切な本書を世に届けてくれてありがとう。

それを読み終えた感動の余韻のまま、本についての感想を
著者の松井さんにZoomで伝えることができた時間は、なんと贅沢な時間だったでしょうか。

また、本の中に、僕の名前を刻んでくれてありがとう!
永遠の記念になりました。
 
松井さんが、自分の信念に魂に従い、いつも新しく世界を始め続けていることに、改めて敬意を評します。
拙い文書ではありますが、花向けとして、このレビューを書かせていただきました。
 
僕も、あなたに、勇気をもらい、自分の世界を始めようと思います。

よかったら、僕と踊ってください。

魂を共振させ、リズムに乗って、芸術の風をまとって、

神に歌を捧げましょう!


『世界は、終わるために存在する・・』

松井さんの本の中に、

ランボーと並ぶ詩人、ステファヌ・マラメルの言葉が出て来る。

  確かに、そうだとも言える。

過去に世界が5回も終わっていると、ある人類学者は言っていた。
 
前回が6600万年前の恐竜絶滅

6回目の大量絶滅は、もうそこに迫っている

過去5回と違うのは、人類自らの行いが、エゴによる環境破壊が、地球上の生物が共生出来ないほどの世界の終焉に、自ら向かわせているということだ。

話は、地球規模になってしまったが、詩人のステファヌの言葉は、その予言的な嘆きかもしれない。

しかし、僕らは詩人の感傷に浸ってはいられない。

エゴとそれを正統化する正義と権力を、そのシステムを終わらせないといけない。

自らが、新しく世界を始めることができたなら、

その一人ひとりの光り輝く魂が、多くの人と繋がり、その魂の連帯により、世界の意識は変わっていく。

人類の意識が進化する時がきている。

この地球で生まれてきた意味は、愛と調和による世界を創るため。

自分の内なる光を信じて、始めよう! 自らが世界の扉を開こう!

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