加藤さんのこと好きなのに① 2014 出会い

わたしは加藤さんのファンになって間もなく7年になります。

NEWSの加藤シゲアキさん、のことです。

そんなわたしが、最近ふと「あれ、加藤さんってこんな人だっけ」と思ったのです。

ドキリとしました。

こわくて、この題に続く言葉を定めることができませんでしたが、強いていうなら「よくわからない」になります。

え、ファン、なんだよね…?

って思いますよね。

実際そうなので、戸惑っています。
その理由を整理するべく、出会ってからの加藤さんと、分かり得るそれ以降の変化を述べていきます。


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わたしがNEWSを好きになったきっかけのそもそもは『渚のお姉サマー』でした。

たぶん、2013年のTHE MUSIC DAYであのピンクの浴衣?を着て出ていたんですよね。

もともと嵐のファンだったので、嵐見たさで見ていた番組内でのさりげない数分のそれを、翌2014年夏にふと思い出しました。

その歌唱を"見た"というより、もはや"聞いた"に近い視聴をしていた気がします。その証拠に、わたしは彼らがピンクの衣装を着ていた事実を翌年(2014年)に知りました。


2014年夏

近所の夏祭りの帰り道、ひとり歩きながら

「そういえば、去年聞いたNEWSの夏の曲、どんなだっけ、あれ聞きたいな、、、」

このままの通りの言葉が突然頭の中に浮かんだのです。

家に帰り、急いでレコーダーを起動させ、探す。

嵐の歌唱部分以外残っていない。

かろうじて残っていたのは、嵐が他Gのみんなとコラボしたジャニーズ楽曲メドレーみたいなやつ(伝われ〜)だけ。
そこでのNEWSは、ニノと一緒にシブがき隊の『NAI・NAI 16』を披露していました。
のちにわたしはそれしかNEWSを摂取する手段がないことに気づき、ビデオテープだったらもうすり切れてるだろうな…ってぐらいの回数リピします。

でも、そうじゃない!!

いまはそれが見たいんじゃない!わたしはあのキャワでキュンな夏曲を聞きたいんだ!!!

どんな曲だったっけ!!!?


スマホを手に取り急いで検索する。

出てきたのは、YouTubeにあがっていた動画。
少プレで披露された『渚のお姉サマー』でした。

これだ。

この曲だ。


歌詞がどうこうとかじゃなく(失礼)、メロディにときめく。

ぴょんぴょんゆらゆらとしたフリにキュンする。

手越(イッテQで知ってた)の揺れるピアスにドキッとする。

増田さん(テゴマスはMステとかで見たことあった)のこっちむいて〜の甘さにクラっとする。

やばい。これは、こんなにじっくり見てはいけないぞ。わたしは曲を聞きたいんだ。

……あれっ

この青い服の人………


それがわたしと加藤さんのはじまりでした。

(※このとき小山さんについては"全部が細くて長い人"だと思った記憶がある。逆に、それ以外特になかった。この時を含め今日に至るまで、実はいままで1度もドキッとかキュンとかの類でときめいたことがない(ごめん)。)

この当時、NEWSの存在は知っていたけれど、それでも加藤さんの名前や顔を把握していたかは、正直定かではありません。

ただ、その時わたしは「この人、気になる」と、ほんとうにそれだけが、強烈に残っていました。

ちょっとあどけなくて、手指がピンと伸びて可愛らしい踊り方。

「♪いたずらな胸元」のとき、指開けたあとカメラを見つけられず目がキョロキョロ泳いでしまっていたり。

そしてなにより、みんなに比べて少し硬くも感じられた笑顔。


総じて、当時の加藤さんは、わたしにとってあまりアイドルらしくないというか、まだ見習い中のアイドルのような印象に映りました。NEWSというグループの存在は知っていた(嵐の次のWCバレーボールでデビューした、所謂”バレーボール組の後輩”って感じだったかな)のですが、それでもわたしには、この人はまだあまりアイドルじゃないようにも見えていました。

今その当時の『渚のお姉サマー』を見返してみても、正直まだ少年の匂いがするような、青みの残った気配がある。
簡単に言うと、まだ少しトガっている、ような。

わたし自身がもともと "成熟した人より、未熟な人を応援したいの!"という性なわけではなく、きっと、デビューして10年(当時)経ってもなお少し自信なさげな、そんな加藤さんの中に何があるのか、何がそうさせるのかが気になったのではないかと思います。

長ったらしく書きましたが、簡単に言えば、あの加藤さんを見て、”興味を持った”ということです。

その証拠に、数週間後には様々なラジオを聞き漁るようになりました。
土曜の夜、生放送だったゴリさんとのらじらー、翌日のシゲ部に留まらず、当時ランダムにゲスト出演していたKラジ、さらにはテゴマスのらじお、マスヒツもです。加藤さんに関わり得るすべての発言を知っておきたかった (実際これにより、ラジオの中にいたNEWSの4人を知っていくことになり、このグループのことをまるごとどんどん好きになっていくのでした)。
今みたいにタイムフリー再生はできなかったので、毎週アラームつけて律儀に聞いていた、健気な高校時代でした。


話を戻しましょう。


そんなわけで、あの日からわたしは、暇さえあればYouTubeを開き、その『渚のお姉サマー』の再生回数だけを、ただただ、ぐんぐんと伸ばしていきます。

正直、この曲のファンなのかもしれなかった。

"この曲"を歌い踊るNEWSが好きなだけかもしれなかった。

そんなわたしは思いつくのです。

WALKMANにこの曲入れたらいつでも聞けるじゃん。

母さん、TSUTAYA行こう。

それこそが沼の入口だと、その時のわたしは知る由もありませんでした。

例の如く、アルバム『NEWS』をレンタルします。

わたしの耳に入る曲は『渚のお姉サマー』にとどまらず、そのアルバムに及んでしまったのです。

中でも特に、『HIGHER GROUND』『4+FUN』は気に入りました。そう、基本的に楽しい曲が好きなのがわたしです。

そして、そこからわたしは、色濃くNEWSの過去を知ることになります。

「NEWS ジャニーズ」で検索かけまくる。

そう、ラジオを聞き漁るに至る前に、わたしはここを通っていました。
その人たちのことを特に知らぬまま曲を聞いたことを後悔していたし、もうそのとき、既に恥じてすらいました。

どんな歌かだけでなく、どんな人がどんな思いを乗せて歌っているのかが見えた途端、水のように飲み込んでいた音楽が、水飴のように重く、いつまでも口内に残るように、じんわりと頭に溶け入っていきました。
曲には全く関係のないような、「増田くんにはお姉ちゃんがいる」とか「小山さんちには猫がいる」とか「手越はポッキーの日生まれ」とか、どんな情報でも、わたしには必要でした。大人になった今も、知らない人の曲は「ふ〜ん」で止まってしまいます。なんだか、そういう性格なのかもしれません。

NEWSのメンバーたち、元メンバーたち、彼らの歴史を知っていく上で、先程挙げた"好きな曲"たちが持つ言葉がもっと強く光り始めました。

まだその時、ライブ映像に触れてすらいなかったけど、耳で、曲の中だけで、NEWSとファンの繋がり、その愛を見つけました。

のちに、その前年に開催していた10周年のライブのことや、そこで発表された『愛言葉』の存在も知ってしまったわたしは、もう、その愛を欲していました。

好きになってもいいですか??

ってやつです。

下駄箱にラブレター投げ込む気持ちでした。

わたしには嵐だけ、と思っていた小中学生を超えて、当時高校1年生のわたし、大きな決断でした。

この人たちをもっと知りたい。
この人たちの歌を聞きたい。
この人たちの踊る姿を見たい。

なにより、あの時から気になる加藤さんのことだって、もっと見たい。もっと知りたい。


それからというもの、メンバーが出演する番組を追い始め、それにも飽き足らずラジオを聞くに至った、という経緯です。

わたしはラジオを通して加藤さんを、加藤さんを愛してくれたゴリさんを、ゲストに来てくれたボイトレの先生を(お亡くなりになったと聞いた時、真っ先にこのラジオのことを思い出していました。ご冥福をお祈りします。)、井上涼さんを、そしてなによりラジオという媒体を、好きになりました。見えない分、どんな顔で話しているかを想像してしまいます。これほど豊かな時間はありません。

そういえば、加藤さんのおかげで星野源さんにも興味を持ちました。SUNがMJへのレクイエムだって教えてくれたのは加藤さんだったし、わたしは今でもその情報を我が物顔で友人にひけらかしています。そしてありがたいことに、今でも大好きなアーティストのひとりです。

とはいえ、その当時わたしのWALKMANには、嵐とNEWSしかいませんでした。

そんなわたしにとって、"SORASHIGE BOOK"は眩しいラジオでした。厳密には、あのOPのBGMに毎回心が踊っていたし、その奥(上かもしれない)に重なっている低くて優しい声には毎度心が溶かされていたし、眩しいというよりは夜のひだまりのような存在だったのですが、そういうことではなくて。
わたしにはない「あらゆるものへの興味、関心、感動」を、代わりに教えてもらえる時間でした。わたしの知らない世界を楽しそうに熱心に語る彼に、わたしはすっかり惚れていました。 かつ、わたしにとって到底近づけない、理解し得ない、"遠い人"だという実感は、しだいに強くなっていきました。眩しさの正体はそれでした。

遠い存在(心理的も物理的にも)(どうやってFMヨコハマを聞いていたか定かではありませんが、わたしは西日本を代表する田舎に住んでいました)のラジオにメールを送る勇気もなかったし、あの時間に釣り合う内容のメールを考えることすらできませんでした。それでも、時にリスナーさんからの質問にわかる〜〜って頷いたり、それに対する加藤さんの答えにいよいよ泣かされたり励まされることも、何度かありました。

高校2年生、進路に迷っていたとき、同じような境遇の方がメールを送っていました。夢を追うべきか、親の望む安定の道を進むべきか、という内容のそれに、加藤さんは「好きなことじゃないと、頑張れないと思う。失敗したとき、うまくいかなかったとき、誰かのせいにできちゃうのってよくないと思う。」って。それはいつまでもわたしの心に焼きついて、そのまま大人になったわたしは、おかげで大好きなことができる大学へ行き、夢だった仕事ができています。ありがとう。しげかとう。

そんなわけでわたしは、ひとまわり年上の彼を、もっと好きになっていました。

当時アルバイトもしていなかったのにもかかわらず、わたしはどこからかその資金を捻出し、2014年秋、FCに入会することになります。

好きなメンバーの欄はもちろん『加藤シゲアキ』でした。