自分に遠慮はいらない。自分を幸せにするのは「自分」
あー誰か幸せにしてくれないかなー。
たった数年前の「あの頃の私」という私
いつものファミレスに到着。今日は何食べよっかなーと悩んだふりをして結局「いつもの」を注文して、「いつもの」をいう。
あーぁ、誰か幸せにしてくれないかなー。
たった数年前のあの頃の自分が、ふと今の自分の目の前に現れた。あの頃の自分を否定する気はさらさらないのですが、今思い返すとかわいいなとも思えます。それは「いつもの」を手放すのが怖かった、いや、自分の人生を自分で舵取りすることが怖かったのかもしれません。
幸せを「他力本願」にすることは何を意味するのか
今でも「だーれかー!」ともちろん思う時もありますが、自分の幸せを誰かにお願いする、他力本願的に祈り続けるということは何を意味していたのでしょうか。それは自分の人生ではなく、誰か次第の人生になるということなのかもしれません。そもそも、待っていても来ないかもしれないですしね笑。ただひたすら自分がコントロールできない幸せを待ち望んでいた私は、自分の人生は自分で選べるということに気づいていなかったのかもしれません。
なんでもない日を幸せにするのは「自分」
あたたかい日差し、頬にあたるまだ少し冷たい風、鳥が軽やかに駆け抜けていく高く広く透き通るような青い空、通り過ぎる人が歩いているという奇跡。このありふれた日常を「暇でつまらない」と感じていたあの頃の私。
有名なあのお店に行けたら、あの有名な企業に勤められたら、ブランドの服を着れたら。誰かが幸せにしてくれたら。一生懸命掴んではまたほしくなる、一瞬だけ満たされる幸せの上澄みを飲んでもどこか満たされなかった「あの頃の私」。
でもあの頃のおかげで今の私があるんだなぁと、思うわけです。きっとあの頃の私に今の自分が何かを言ってもそれを選択できなかった。人は受け取るタイミングで受け取るのだということも、あの頃の私が教えてくれました。
どんなことが好きなのか、どんな時に満たされるのか、どんな人といると幸せを感じるのか、どんなものを見ると心が弾むのか。それは「誰か」じゃなくて、自分だけが知っていること。つまり自分を知らない限り自分を幸せにすることは出来ないのかもしれません。
自分の幸せに遠慮はいらない。だれかの好きや誰かのおススメもいいけど、一歩立ち止まって矢印を内側に向け、自分に聴いてみる。
自分に気づき、自分を幸せにするのはいつだって「今ここ自分」からなのかもしれません。
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