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Wisdom2.0で出会った、2つの自分


カシューナッツがおいしいです。どうも、可能性を最大限に活かして生きる、マインドフルネスコーチのてるいです。


今日も昨日に引き続き、オンライン開催しているWisdom2.0に参加しました。今日も多くの方々が登壇され、気づきや学びをいただきました!昨日は鼻息荒いまま、ぐっと来た言葉と感じたことをnoteにつらつらをまとめたわけですが、今日参加してお話しをお聞きして、何といいますか出会った自分や出来事について手が動くままに、記していこうと思います。


「いい子になりたかった自分」との出会い


「答えは○○です。なぜならば△△だからです」


こんな風に答えることが当たり前の世界で育ってきた学生時代。答えられるとたくさんの人に褒められ、なんだか嬉しくなる。点数までついて、頑張ったら頑張った分だけ褒められる。そして繰り返す。それを「いい子」と呼ぶのかもしれません。

無意識的にそんな「いい子になりたかった自分」という経験を繰り返してきた過去が、今の自分を形成している一部、というか大半で、今の自分に影響しているんですね。いろんな方のお話しの中で、定義、つまりある種の答えのようなもののお話しになった時。耳がダンボになったのでしょうかと感じるくらい、自動的に集中力がグーっと高まっているのを感じました。


例えば、ジョン・カバットジン博士への問の中で「あなたにとって、マインドフルネスとは何ですか」「瞑想とは何ですか」というお話が出たとき。ちらっと紹介すると、こんなことをおっしゃっていました。以下内容は、聞きながらメモを取っていたので正確ではないかもしれません。ご了承ください。

ここであえて強調したいのは非常にシンプルなものを複雑に考えないようにすることです。瞑想的アウェアネスを理解するためには、たくさんの言葉を使ったら理解できると思うかもしれませんが、私は言葉を一つも使わずに説明するかもしれません。そうすると頭がおかしいと思うでしょう。日本に道元さんが持ち帰った瞑想の教えが、日本文化に1000年以上根付いている思想です。仏教でも非仏教でもなく、ただ人間であるものです。英語では感性、センションズといいますが、人間として存在するそのものへの理解。人間としてのあらゆる意識に気づくことは難しい。日々の疲れや疲労に追われていて、私たちは思考の能力を使って解決しようとする。思考は人間の最も強い力ではありません。思考より強い力を持つインテリジェンス。思考を超える能力です。その隠れた能力を思い出さないと、ブレーキなしで運転するようなものです。
人間であることをあきらめてはいけない。人間の本質に気づくことが瞑想です。それは時間もかかりません。瞑想で気づく今は、永遠に続く今なので。
マインドフルネスは何ですか?と聞かれたら一言でアウェアネスと答えます。それは狭い意味での「何かに気づく」ことではありません。中国語のしんえんという言葉に相当する現代語がないのであれば、言葉を超えた言葉をつかう必要があるでしょう。
瞑想は考えないことや、黙想をすること、特別な心の状態を会得する、自己啓発の手段だとも言われますが、いずれの定義も間違っています。本来は心を開放する、苦しみから解脱することが目的です。自分で作りだした苦しみから自由になること。自分を知らないため、自分を見つけようとするけど見つからなくて、自分のしっぽを自分で追いかけている犬のような状態から目覚めることが目的です。瞑想は何だろうと悩むのではなく、今すぐ目を覚ますのが大事です。子供たちはみんなマインドフルネスの先生、禅の老子のような存在です。いろんなチャレンジを投げかけてくれて修行の機会をくれます。それは人間であることの貴重な学びの機会です。人間関係も非常に貴重な修行の機会です。これもマインドフルネスの一つの捉え方で、アウェアネスともいえるし関係性でもあります。自分の関係性を見つめること。古いものでも新しいものでもありません、時を超えたものが瞑想です。
一人一人大体は同じ存在です。自我だと思っているものがどれだけ空虚であるか、知らないことが叡智。知らないことを知らないといえるのが叡智でありコンパッションなのです。
この道を導くのは自分だということ。本来の自分に気づくことが必要なんです


ははは笑 書いているうちに大切に感じて大半を乗せるという…それが今の私であり、自分のしっぽを追いかけてぐるぐるしている自分なのかもしれません。


そして、私が気にしている明確な答えはいつだって、ジョンカバットジン博士がおっしゃっていたように言葉を超えたもの、なのかもしれません。それはおそらく経験を通じて湧きおこってくる感覚に近いようなものかもしれませんね。


「家電時代の豊かな自分」との出会い



私が幼かったころ、スマホなんてありませんでした。友達との連絡も、家にある固定電話でしていたので、友達にかけているはずが、友達のお母さんが出るというのは当たり前でした。しかも、家の電話は通話量が高かったので、家にいて長話もできず。


そんなわけで、小さいころ何をして過ごしていたかというと、「暇だから散歩してくるー!」「畑行ってくるねー!」こんな感じでした。


今日、トリスタン・ハリスさんのお話し(以下一部記載)を聞いていて、そんな家電時代の自分を思い出しました。今私たちの生活の一部になっている1人1台のスマホ。便利な世の中になったなぁと感じる一方で、目線が常に手のひらサイズの四角い物体に向けられている。開けばいつも面白い情報に触れることが出来る。もう少し言うと、常に誰かと比較できる世の中になったんだなぁと。


家電時代は、完全に自分一人でいられる時間がたくさんありました。もし何かの比較が生まれるとしたら、誰かと合っている時。現在は、会ってない時に「今、どこで、だれが、どんなことをして、どんな気持ちなのか」が良くも悪くもわかる世の中になりました。それはそれで楽しかったり、新たな何かに出会えることもありますが、自分と何かを比較する回数や、もっと言うと、自分を否定する回数が増えているということなのかもしれません。もちろんそれは自分自身がどう使うか、どう意識するかによって変わるわけですが・・・。


トリスタン・ハリスさんはこんなことをお話しされていました。


テクノロジーはハイジャック、私たちが気づいていないようなところまで選択できないようにしているといえます。例えば100コメントもらって99ポジで1はネガだとしたら、注意はどこに行きます?ネガティブバイアス、これが心をハイジャックさせるわけです。

自分が何を感じているか、自分が何者であるのかということ、心がジャックされることによって本来であれば、セルフアウェアネスすることが阻まれてしまうということなんです。これは私たちの選択肢が失われているということなんですね。私たちはテクノロジーが知っているよりも、自分を知らないといけないのです


自分を知れる、自分に触れて自分に気づける時間を、自分でなくしているんですね。自分を知ろうとおもって、自分の知り方をたくさんの情報に触れようとしているけど、たった一人で何もせず、座って自分と対話する時間を持っている人は少ないのかもしれません。


自分のことは自分しか知らないのに、どこかに答えを求めようとする。自分を知るために、意識の矢印を常に外側に向けたり、過去や未来に行く自動操縦モードの自分から、自分で自分のスイッチを切り替えて、意図的にそのモードを手放し今の自分に、本来の自分に帰っていく時間を、マインドフルネスとともに、瞑想とともにつくっていきたいと思いました。


2日間、本当にありがたい時間でした!ありがとうございました!


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家電のお話し


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