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平安時代の魚料理を再現した

ちはやふるを見て思いました。

「かるたにはあれだけ多くの歌人が出てくるのだから、一人くらい魚好きがいるのでは?」

調べたところ該当者がいました。「あらざらむ...」を詠んだ和泉式部という女性です。歌の名手として知られますが、大変ないわし好きという話も残っています。

猿源氏草子という室町時代の本には、和泉式部がいわしを食べていたところを見つかり、恥ずかしくなって慌てて隠すといわれるシーンがあります(諸説あるものの)。当時いわしは庶民の食べる魚で、高貴な方が口にするのは卑しいとされていたようですが、きっと好きでたまらなかったのでしょう。

ところで彼女はどうやっていわしを食べていたのでしょうか?当時の流通では塩味の干物で主に食されていたと考えられます。でもいくらいわし好きとはいえ塩味だけでは飽きるでしょう。何かアレンジをしていたのではと想像してしまいます。今回は当時の調味料を組み合わせていくことで、和泉式部が愛した平安時代のいわしの味を探ってみました

資料によると、主に醤(ひしお)、塩、酢、酒+αから調味料は構成されていたそうです。今回はこれらを揃えて焼いたいわしと食べてみました。平安時代の醤作りには失敗したので、銚子山十さんのひ志おを用いました(水飴とオリゴ糖が入りますが工程はほぼ同じです)

いわしと調味料をあわせる。気分は平安貴族(?)だがいわしは数十円で財布に優しい。赤っぽいのが梅ひ志お。

塩味は王道として、酢はさっぱり味。酒は加熱して塩を少し混ぜましたが、旨味が入ります。ひ志おは食べる醤油/味噌と醤油のご先祖さまという感じでいわしにいいアクセントを与えてくれます。

また、平安時代には既にあったという梅干しをひ志おとあわせる「梅ひ志お」も旨味とすっぱさが爽やかでした。全て美味しく平らげましたが、塩分が気になる味ですね。平安時代は塩分過多による生活習慣病も多かったという話があるのももっともです。いずれにせよ、和泉式部もこんな感じでいろいろと試しながらいわしを食べていたのかもしれません。

もう一歩想像して、彼女を現代にお招きしたときに、いわしについてどういう話をしようかと考えていました。流通・技術が進歩し、全国で新鮮ないわしを色々な味で食べられるようになったこと。そしてレジームシフトや人間の活動によりいわしは「いくらとっても無くならない魚」ではなくなり、卑しいどころか人間が永く付き合っていくべき大切な魚だという認識がより広まっていったことあたりでしょうか。

和泉式部もたいそう驚かれると思うのですが、一方でほっとするのではないでしょうか。好きないわしを食べても、もう後ろ指をさされないどころか、食と健康を大切にする人だとも思ってもらえる世になったのですから。東京にお越しの際には、いわし料理のだるまやさんにお連れするのもいいかもしれません。

舌鼓を打っていただけると思いますが、きっと「故郷の味」も恋しくなるはずです。その時は、今回試した調味料たちをそっとすすめようと思います。


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