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江戸時代の魚事典を原文で読んだら心が熱くなった

魚の事典というと、今では本やWebサイトなど多くのところで見ることができる。実は、江戸時代にもそれはあった。魚鑑(うおかがみ)という本である。

国会図書館デジタルアーカイブで読むことができる。サムネイルもここから引用。

挿絵とともに、133魚種分の産地や名前の由来、食べ方、どこが体に良いか悪いかというところまで書いた、実用的な本である。

かつお、真鯛、えび、ふぐ、赤貝の挿絵

ためしに1ページ読んでみよう。試みに「くろだい」の節を書き下してみた(一部文字が出なかったところはカタカナで記した)。

くろだい 倭名抄に出づ。食経にホウ魚と訓す。又弁式立成に海鲫魚和名ちぬ。西国にちぬだい。小なるものを俗にかひづといふ。漢名烏頬魚ミン志にみゆ。形たいに似て、全身灰色なり。古へよりいやしむといへども、その味ひ美し。真鯛に次ぐものなり。気味温毒なし。妊婦食ふときわ堕胎す。蕨とともに食うことを忌む

魚鑑 下巻

倭名類聚抄などの書物に登場していることや、チヌやカイズと呼ばれていたことがわかる(呼び名は現代と同じである)。また、その形はタイに似ており、味も美味と評価されていた一方で、おそらくはその色から卑しまれる対象となっていたらしい。また、妊婦が食べると流産する、とか、ワラビと一緒に食べてはいけない、といった、現代ではあまり残っていないと思われる知見がここには残っている。

他にも、マグロを食べすぎると発疹が出るマテ貝を食べると冷えで下したお腹が直るサンマは京都では「サヨリ」と呼ばれていた眼病を患っている人はサワラを食べてはいけない、など、詳細な記載が続く。本当に?というのはさておき。

疑問なのは、江戸時代にこのような詳細な事典を書いた人物はどんな人だったのか?どうやって魚の知見を集めたのか?ということである。

著者は武井周作という人物だった。魚鑑の序文に経歴が書かれていたので軽く紹介しよう。原文は少し長く、出せない字体も多いことから省略するが、リンク先で読むことができる。

魚鑑 序文。右はイッカクの解説をいれた挿絵。

序文冒頭に「吾幼ニシテ大西ノ医学ニ従事シ。又嘗テ赭鞭ノ学ニ従フ…」とある。大西というのはここではオランダのこと。赭鞭(しゃべん)とは本草学のことを指す。本草学は、ひろく自然界に薬を求める学問であり、今でいう博物学的な要素を持っていた。いわば、武井周作は博物学をたしなむ医者だったのだ。ターヘルアナトミア(解体新書)の翻訳を行った桂川甫周の弟子だったらしい。

ではなぜそんな人がこの事典を作ったのか。その趣旨が残されている。

嘗テ意フ。本邦海国魚蝦頗繁シ。之ヲ彙テ以テ一部通俗ノ書ヲ撰ント欲スルコト久シ…

つまり、海に囲まれ水産資源にすこぶる恵まれているこの国において、日々の食膳にのぼる魚の知識を示すことで市井の人々の養生に資するのだ、という意志のもとで書かれているということらしい。また当時彼は魚市場のある日本橋に住んでいた。日々流通してくる魚について、市場の関係者たちに頻繁にインタビューしにいったそうだ。

武井周作氏のなんと恰好良いことか。当時から日本の水産資源の豊かさを理解し、魚の体への効用を深く理解した上で、それを世間一般の人に広めてその健康に貢献していた。

江戸の魚の事典の先に、一人の人間の強い意志を見た。彼のように…とまではいかないかもしれないが、そういう志をもって自分もものを作っていきたいと思う。

英語版のページはこちら。

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