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推古天皇による見えない世界の躍進
継体天皇は日本の見えない世界におけるインフラ整備に尽力しました。
そして、七世紀になり、聖徳太子を右腕に持つ推古天皇の時代へと引き継がれていくのです。
602年に、百済から観勒がやってきたのが大きな転換でした。
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様々な本を朝廷に献上するのですが、ここで重要だったのが遁甲、方術、天文の本でした。
遁甲というのは時空間に配置した干支が時間と共に移動していくことを捉えることで、どの方位やどの日時なら見えない世界のサポートが受けられるかということを探るための兵法です。
方術というのは天地からの気脈を通じ、気を調整することによって、不思議なことを行う方法です。
天文観象術も吉凶を占うことで王政を補佐しました。
Instagramでも紹介していますが、二十八宿などの運行を読み取ります。
推古天皇の時代にはこの観勒によって、日本人にとって最先端の見えない世界を駆使した技術の数々を教えてもらうことで、日本はさらなる飛躍を遂げたわけです。
その後も海外との交流は続き、唐に留学していた僧旻は周易を日本に持ち帰りましたが、これを学んで力を得ていったのが中臣鎌足や蘇我入鹿というわけです。
時の権力者になるために、多くの叡智を海外から得てきました。
見えない世界の力を用いるということはそれだけ意味があるということです。
そういうものに興味のある方はぜひ一緒に学びましょう。
これからも良い記事を書いていきます。