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百鬼夜行と対峙してしまったら

平安時代には多くの鬼がいた時代です。

今昔物語にも887年の8月17日に武徳殿で容姿端麗の鬼が女性を惨殺しました。

玄象という琵琶が羅生門で鬼に盗まれたこともありました。

鬼が楽器を奏でるのかと思われた方もいるでしょう。
しかし、朱雀門には笛を吹く鬼が住んでいましたし、決しておかしなことではないのです。

羅生門は京都の入り口ですから、ここから大量の鬼が都へ入ってこようとするわけです。
小野篁や藤原高藤が羅生門で百鬼夜行を目撃することになるも、高藤の服には尊勝陀羅尼が籠められていたために難を逃れたという話がありますが、場所が場所だったわけです。

九条師輔も百鬼夜行に遭遇した際に、尊勝陀羅尼を唱えることで難を逃れています。

安倍晴明も若い頃に、賀茂忠行と下京に行った帰り道で百鬼夜行に追いかけられています。忠行が姿を消す隠形の術でやり過ごしました。
息子の安倍保憲も鬼が見えましたから、この親子の才能を買った忠行は二人を陰陽師として育てました。

その教えもあって、安倍晴明は平安最大の鬼と言われた酒呑童子の居場所を占いで突き止めたり、渡辺綱が一条戻橋で鬼女に襲われた際もその正体が橋姫だと見抜いたりと、多大な活躍につながったのです。

百鬼夜行は一般の方には見えませんが、見えないから存在しないというのではありません。
皆さまもなぜかうまくいかないとか、そういう悲しい思いをされたことも多いでしょう。
そういう時には大概見えないものが絡んでいるものです。
だからこそ、対処をしていくということは大切なのです。


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