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日本の三蔵法師
自らの手の甲を剃刀で切りつけ、その皮を丁寧になめし、そこに太元帥明王像を描き、金銅塔に治め、仏前に安置。
とても痛々しい加護をもってまで、明王の秘法を日本に伝えようとした人物が霊仙三蔵です。
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三蔵法師という言葉は西遊記のおかげで、馴染みのある言葉です。
しかし、三蔵というのは個人の名前ではありません。
仏教のすべてに精通した僧侶に対して皇帝が授ける位のことです。
つまり、最高の称号ということです。
そのため、三蔵とつく僧侶は何人もいるわけです。
霊仙は日本人で唯一の三蔵を贈られました。
その人生は例に漏れず数奇なものとなっていきます。
749年に滋賀の米原に生まれました。
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生まれた時に、父の刀禰麿が霊山寺の大日如来に祈願した長男でしたから、日来禰と名付けられました。
そんな生まれということで、幼少期から霊山寺で修行をし、773年に奈良の興福寺に入門しました。
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優秀だった日来禰はわずか3年で試験に合格し、正式な僧侶となりました。
優秀さでその存在が知られるようになり、804年の遣唐使に選ばれて留学します。
この時に一緒に留学したのが最澄と空海です。
最澄や空海と比べますと知名度は劣りますが、三蔵の高みにまでのぼった霊仙です。
見えない世界を学ぶと知らないことにどんどん出合いますね。
とても奥の深い世界ですから、長い期間かけてしっかり学んでいきたい方には一生モノのスキルになりますよ。
これからも良い記事を書いていきます。