北斗七星と祭り
伊勢神宮において天における南北の星が天照大神と豊受大神を表していました。
実際にお祭りを見ると星と神々が同一されていることがよく分かります。
たとえば神嘗祭では旧暦9月16日と17日の24時(子の刻)に二神に大御餞が捧げられ、12時(午の刻)に巫女によって玉串と奉幣の儀が行われます。
実は方角においても子と午は南北を表します。
さらには星も同様に9月16日と17日の24時頃というのは、北斗七星の剣先は北を向いているのです。
16日と17日の12時頃というのは北斗七星の剣先は南を向いているのです。
神嘗祭の日取りは北斗七星の動きを元にして設定されているわけです。
そして、ここでは五節舞というがあります。
この舞を作ったのは日本において陰陽道を発展させた天武天皇であるということも重要なのです。
そして6月と12月に月次祭がありますね。
旧暦6月17日の子の刻には北斗七星の剣先が西を向き、午の刻には東を向いています。
12月では向きが逆になり、12月17日の子の刻には北斗七星の剣先が東を向き、午の刻には北斗七星の剣先が西を向いています。
もちろん偶然なはずがありません。
天照大神の乗り物である北斗七星が南北軸と東西軸を描く時にお祭りを行ったということです。
北極星が中央に鎮座し、北斗七星が四方にあり、東西南北中央の五行論が成り立つのです。
星の動きがお祭りとなって日本を見えない世界から守ってきたというのは、伊勢神宮にも痕跡があるわけです。
見えない世界といっても、暦や星の動きなど自然哲学とは密接に関係しています。
自然哲学はロジックでもありますから、これをきちんと学ぶことで見えない世界に対する背景です。
背景も含めた学びというのが大切です。
これからも良い記事を書いていきます。