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大袈裟教の功罪
見えない世界というのは、あくまでも現実的な部分に活かすためのものなのに、その見えない良い世界に逃避して戻ってこない一部の宗教が問題でした。
ユングさまも病んだ人が安楽の状態に入って癒されるということについては述べていますから、癒しまではもちろんやるべきだと思います。
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しかし、癒されれば、本来の日常で復活して活躍すれば良いのに、そのまま戻ってこないようでは本末転倒としか言えませんね。
さらにタチの悪いところでは、そこから戻れないように脅しをかけていきます。
例えば、日常で何かしらのトラブルに見舞われたり病気になることもあるでしょう。
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そういう些細なことをバチが当たったのだと脅すのです。
神様に無礼なことをしたとか、良くない行いをしたとか、それらしいことを言います。
ところが、一般に生きていれば、そんなにバチなんて当たりません。
多少のトラブルは単に本人が気を付けていなかっただけで、そんな天罰ということではありません。
バチというのは修行中の人が受けるものです。
バチで苦しんだ後、そこからどう脱出するかというのが、レベルアップにつながるからです。
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ですから、修行を頑張っている人にとって、バチが当たって一人前というようなものですから、何でも神罰のせいにしてくる人は気をつけましょう。
色々厄介な目にもあって、見えない世界を軽んじたり、疎まれてしまうのはとても悲しいと思い、このように見えない世界について伝えております。
わたしのところでは、神罰を受けるような急に難易度をあげるようなことはなく、きちんと段階を経てやっていっております。
ボリュームの多さが神罰級かもしれませんが、見えない世界をやっていこうというのは途方もない道のりなのです。
頑張ろうと思う方は一緒に学びましょう。
これからも良い記事を書いていきます。