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呪術家聖徳太子
日本史において聖徳太子の存在の大きさというのは言うまでも無いでしょう。
しかし、彼もまた偉大なる見えない力の持ち主だったのです。
日本書紀の用明、崇峻天皇紀に聖徳太子は登場しています。
まだ16歳の若き日のことでした。
その頃は仏教の是非において、蘇我馬子と物部守屋が決戦をしていました。
歴史の話ですから、ご存知の方も多いですが、蘇我氏が勝利をおさめます。
しかし、戦いにおいては蘇我氏が劣勢だったのです。
劣勢なところが勝利をおさめるというのは何かがあったということです。
聖徳太子の活躍によるところが大きいです。
味方が劣勢によって混乱していく中、聖徳太子は束ねた髪を振り払い怒髪天となって四天王に念じたのです。
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勝利できたら四天王のための寺を建てますと誓いました。
蘇我馬子も仏、法、僧のための三宝を伝えることを誓いました。
この後、劣勢だった蘇我軍は士気を取り戻し、形勢が逆転したのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1669167661060-TQANm15kCX.png?width=800)
あれだけの人物でしたから、聖徳太子には強力な念呪の力があったのでしょう。
さらに日本書紀の描写からして、この587年という時代にも関わらず、聖徳太子は既にインド密教を心得ていたのでしょう。
空海が多くの経典を日本に持ち帰るのはさらに200年も後のことですからね。
中国に渡っていたインド密教の教えは既に蘇我氏や聖徳太子の手には渡っていたのでしょう。
結局、聖徳太子をも上回る蘇我馬子の毒呪によって、彼は病死してしまうわけですから、蘇我氏の強さと言うのは凄まじいものがあったのでしょう。
大化改新で敗れるに至るまで、蘇我馬子は多くのライバルを呪殺し、崇峻天皇までも暗殺するわけですから。
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見えない力というのは戦局を変えるほどの効果を発揮します。
日本書紀にも書いてあるのに、歴史や古典の教育では隠蔽したいのかほとんど触れません。
また、呪術による効果は見えませんから、誰かに何かをされていても気付けません。
ですから、この世界のことをもっと知り自分を守っていくことが人生においては重要なのです。
これからも良い記事を書いていきます。