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祟り王と呼ばれた男

日本史で習いますが、たった10年しか続かなかった長岡京、平安京に移るわずかな歴史です。

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平安京に移った際の天皇は桓武天皇でした。その弟が早良親王でした。

そもそも桓武天皇の即位から流れは怪しかったのです。

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母親の身分が低かったのですから、当初天皇になる予定はなかったのですが、そこに目をつけたのが藤原百川でした。

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身分としては決して高くない人を天皇に担ぎ上げることで都合の良い存在にしようとしたのです。
そこで当初天皇になる予定だった皇后や皇太子を無実の罪で追放し、桓武天皇を即位させたのでした。

元々、道鏡が女性の孝謙上皇をたぶらかし、家を乗っ取ろうとしましたから、仏教と政治を分けようと都を移したのが長岡京でした。(何となく現代も似たような歴史が繰り返さないか心配ですが。)

長岡京プロジェクトを担当していたのが早良親王藤原百川の甥だった種継でした。

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しかしながら、種継は暗殺されます。

首謀者として早良親王は冤罪を着せられて捕らえられてしまうのです。無罪を信じてもらえず、飲食を自ら断ち、餓死したのでした。

その後は祟りが起こります。桓武天皇の母親、妻、息子が次々と病死したのでした。また、洪水などの災害にも見舞われました。
結局、平安京に遷都し、早良親王を御霊神社に祀るなど手厚くしたのです。

たしかに、悪いことが重なったのは偶然だったのかもしれません。手厚く祀ってからおさまったのも偶然かもしれません。しかしながら、見えない力を軽んじるのはいささか違うのではないでしょうか。
皆さまも見えないことだからとないがしろにせず、もし興味がおありでしたら、ぜひ一緒に学んでいきましょう。


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