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グラデーションにいる人たちへ/舗装された道を眺めながら林の中へ進む事を決めた

ご覧いただきありがとうございます。
本日は2021/4/5

文化服装学院時代からの意識の変異の話。

私が洋服に興味を持ったのは高校2年の頃だった。
たまたまTwitterのタイムラインに流れてきたfashion.snap.comの記事でマルジェラのアーカイブを観たときに衝撃が走った。

なんだこれは。

服なのか?まあ人が着ているから服なんだろうけど、
グローブ手袋をつぎはぎに合わせて身頃が出来ており、服の形をしているなにかだと思った。
これ人が着るものなの?売り物なの?かっこいいのこれ?


疑問、疑問、疑問の連続だった。
自分がいままで来ていた洋服の数々(当時wegoが高校生の間ではやっていた)と明らかに違う異質な雰囲気。恐怖や不安の中にある神秘的なわけのわからない魅力に一瞬で虜にされた。

洋服の意味ががらんと変わった。着るだけの用途とは考えられない服。
まるで美術品の様で、建造物の様で、わからないけど意味があるものに思えた。

そこからメゾンマルタンマルジェラにどっぷりと惹かれた私はすぐに今までのコレクションやデザイナー自身の事について調べたおした。

洋服に意味があるなんて考えた事もなかった。テーマがあるなんて考えた事もなかった。世の中への反発や提唱を洋服で表現できるなんて思ってもいなかった。

そこからだ。そんなマルジェラとの出会いから、私は洋服のブランドと言われる世界をとても好きになっていった。

それからの高校の日々はバイト尽くしで、高くて買えないブランド品をバイトして買う日々。いつしか私は洋服自体を作りたいと考え始めていた。

洋服を作る専門学校があることを知った私は、いろいろな学校を調べ、見学し、文化服装学院に入学することになる。(本題に入るため省略)

いよいよ洋服が作れるのか、と思うとわくわくして仕方がなかった。
登校すると個性爆発の同級生達。それが浮かない校風。
私は高校の時一番この学校(高校)で洋服を好きな自信があったけれど、すぐさまその自信は打ち砕かれる。
私よりも洋服を好きな人達はたくさんいて、表現することが好きな人たちはたくさんいて、何よりも興味を持つのが早かった人たちがたくさんいた。

自分の知らない事をたくさん知っている友達がたくさんできた。

私の良かった点はそこに劣等感という感情を覚えてからの切り替えが早かったことだろう。すぐにこの場を機会だと思うことが出来たため、たくさん吸収することが出来る場へと変えることが出来た。

そんな私は案の定マルジェラのような服を作りたいと思っていた。
なにか意味のある服、コンセプトのある服、考えさせられる服。
そんなものが作りたいと思い作った一つがこの作品だ。

コンセプトは「あなたが拒絶するそれは、あなたのことを拒絶するとは限らない」

自身の嫌いな側面やコンプレックスを垂れ下がったシャツで表現している。
自分の嫌いなところを切り離したいと人は思うけれど、その側面からみると(コンプレックス側からみると)あなたは切り離したい対象ではない。
切り離そうとしても切り離せない。そんな側面があなたになんとかしがみついているのを胸から垂れている袖で再現。
それも含めあなたで、共存しているのが人間で、バランスを保って生きていくのが人間なんだと。そういうメッセージを込めた。


これは一例だけれど、こんな洋服をたくさん作ってきた。

話は少しずれるけれど、文化服装学院の授業はとにかく量を作らせていた。とてもありがたかった。数多くのパターンをならった、ポケットやスリット開きの種類もたくさんやったし、部分縫いもたくさんやった。

基本と言われるほとんどをやれたと思う。

流れは、例えばシャツ。シャツの場合いくつかの襟の基本の作図や身頃の作図をやったあと、各々がデザインをし、自分の作品を作るというものだった。

しかしそこには制限がいくつか設けられていた。生地の指定や丈の指定、仕様の指定など。そんななかで自分を表現するのは難しかったと思う。

文化服装学院には、技術の授業はあってもデザインの授業が圧倒的に少なかった。
自分が何が好きなのか、どんな生い立ちなのか、何に感動し、何に影響を受けてきたのか。
周りの人は何が好きで、どんなことを考えてそのデザインにし、何にこだわってきたのか、を知る機会もなかった。

当時思ったのは、技術者を目指すにはいい学校だけど、デザイナーを目指すにはここじゃなくても良いな、というものだった。

なので私は、(私含めそれに気づいた友達は)学校外での活動を大切にしていった。
たくさんの人と会う、画廊へ行く、博物館へ行く、デザイン展へ行く、など。

感性は学校では学べない。

いや、教えてもらうのを待っていてはだめだと思った。
自分が動かなければ、自分で興味をもち、自分で歩かなければと思った。


そんなこんなで外での活動や、自主的にSNSで情報を見ていた時に、ある事を思った。

デザイナーズブランドと言われるブランド達は、洋服好きに向けてしか発信をしていない。
スタイリッシュで、格好いいけれど、ブランド物の存在すら知らない人たちへ一切手を伸ばそうとしていない。
それがブランディングなんだろうけど。そもそもそんな狙いはしていないんだろうけど。
アパレルが衰退していき、ファストファッションが拡大しつづけブランドが狭くなっていっているのに、
新しいお客さんに手を伸ばそうとしていないんじゃないか、と。
格好いいスタイリッシュなブランディングによりもたらされるのは、洋服好きが洋服好きであり続けることはできるという事だけ。
けれどそのブランディングという鎖国ともいえる現状は、このアパレルの衰退の一つの要因なんじゃないか、と。

否定的な言い方をしてしまいましたが、一意見であり、そういったブランドがあることは良いことだと思っています。

洋服を好きな人達が、さらなるわくわくを感じれる。

けれど私自身はそうじゃない道を行くべきだ、と思いました。
私がその道を目指さなくても、かっこいいブランドを作っていくだろう尊敬する友達達がたくさんいるから。彼らはきっととんでもなくかっこいいブランドを作るに違いありません。

私の気持ちは入学する前と変わりました。
デザイナーズブランドやコレクションブランドを好きになり、憧れ目指し入った学校で、
私はデザイナーズブランドを作らない、と決めました。

私なりの、洋服の楽しさをまだ知らない人たちが洋服の世界へ入るきっかけになるような形にしようと。

物事は2つに分断されがちですが、そこにはグラデーションが確かに存在しています。
・洋服に興味がない人
・ブランドに手をだすほど洋服が好きな人
の間には、
「あんな洋服着てみたいけど、挑戦するの緊張するな…」
と思っている層がいると思っています。

洋服は個性だ、というけれど、いきなりその世界には飛び込めない。

そんな人達のための形。
どうしたらわからない未知な世界へ飛び込めるだろうか。
そう考えた結果、入口としてコンテンツと共に洋服を発表するのはどうだろうか、と思いました。

前の記事に書きましたが、例えば絵本×洋服。
絵本も作り、その中の登場人物が着ている洋服も作る。
絵本が好きで絵本だけを見てくれても良いし、洋服だけを見てくれてもいい。

この形の中で、
「絵本が好きで見に来たけど、実際に洋服を見てみたらとてもすてきだ!
少しだけ変わっているけど、このキャラクターが着ている洋服なら買ってみたい!」


そう思っていただけだら、私が作った入口大作戦は成功です。

入口は洋服じゃなくても良い。きっかけは洋服じゃなくても良い。ですがその絵本というきっかけのおかげで、いつもなら挑戦しない洋服を買ってみることにした。

そこにお客様の素敵な勇気があり、そんな勇気に応えられるコンテンツをしっかりと作り上げたい。

絵本だけを見に来た人が洋服に興味を持ち、
洋服を見に来た人が絵本に興味をもったら、そのお二人に縁が生まれるかもしれない。
お互いに知らなかった世界が、悪くは無いな、と思い合えるかもしれない。

簡単な言い方にしてしまうと、洋服のグッズ化になりますかね。

私はそれを定期的な発表の仕方としてできるブランドにしたいと思っています。

入口を洋服にせず、洋服業界を盛り上げることができるのではと思っています。

デザイナーズブランドの様になる道は、偉大な先輩方が作り上げてくれています。
安全かはわからないし、確実に成功する手段でもない、たくさんの人が脱落するだろうし、歩くのをやめる人もいるかもしれない。

けれどそこには確かに先人たちが歩いた道が出来ています。

私はそんな道を眺めながら、林の中へ歩いていくことを決めました。
だれもしてきたことのない道。なにがあるかはわからないけれど、
わくわくしています。

そこで新しい人と人が繋がれるきっかけを生めるかもしれない。

私は学生時代と考えが大きく変わりましたが、いまはそんなことを目指しています。

今現在は毎月2型新作を発表するブランドという形で活動していますが、準備が出来次第すぐにとりかかります。


楽しみにしていてください。


by Atre'ju

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