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続・スラムダンクについて

THE FIRST SLAM DUNKをようやく観た

バスケットボール漫画の頂点とも言っても過言ではない「SLAM DUNK」。その映画が、2022年12月3日に公開されました。「THE FIRST SLAM DUNK」と題された映画を、2023年1月10日にようやく映画館に行って観ました。

約4年前に漫画「SLAM DUNK」の新装版が出た際、自分なりのスラムダンク論をnote書いていました。映画「THE FIRST SLAM DUNK」を見た上で、改めて自分なりのスラムダンク論を考えてみたいと思います。

ちなみに過去のスラムダンク論は、こちらになります。

本記事はネタバレを含むので、気になる人はこちらで閉じていただけると幸いです。映画を観ていなくても楽しめる内容かもしれませんが、映画を観てから読んでいただくと、より楽しめると思います。

「過去」「枠外」と向き合うことが、「イマココ」を輝かしくにする

映画「THE FIRST SLAM DUNK」ではスラムダンク史上イチバンの名シーンと評されることも多い「山王工業戦」が物語の背骨になっています。
ただ、漫画「SLAM DUNK」の焼き直しではなく「過去」と「枠外」に焦点が当てられている印象を持ちました。

「過去」とは、漫画の「時間軸」にはない物語のことです。
「枠外」とは、漫画の「空間軸」にはない物語のことです。

原作・脚本・監督の井上雄彦さんも、公式サイトのつれずれ記でこんなことを仰っていました。ここで仰っている「視点」が、「過去」「枠外」に表現されている気がしました。

自分が歳を重ねるにつれてキャラクターたちをとらえる視点の数も少しずつ増えていく。こいつはこんなヤツだったのか、こんなことがあったのかと、いろいろな視点が浮かんで、その度にメモが少しずつ増えていきました。更新されてきました。昔、30年前には見えなかった視点もあれば、連載中からあったけどその時には描けなかった視点もあります。

https://itplanning.co.jp/inoue/i221020/

漫画「SLAM DUNK」の「山王工業戦」が名シーンたる理由の1つとして、ラストの「無音」の演出があげられると思います。そしてこの「無音」の演出は、「イマココ」の魅力を読者に感じさせるものになっていたと、読んだ当初から感じていました。

「イマココ」とはスポーツの魅力になっているプレーの刹那に現れる競技的技術の高さや、身体的能力の素晴らしさや、精神的変化の目まぐるしさが、ないまぜとなっている状態です。
実際にスポーツで勝ち負けにこだわったことがある人は、その瞬間でしか感じることが出来ない自身のゾーン的なパフォーマンスの高さや、逆に絶望の淵に陥るようなスランプ状態、そして自身にも仲間にもチームにも抑えきれない喜怒哀楽の感情を知っていると思います。

漫画なのに固唾を飲んで手に汗を握り応援してしまう迫力と緊迫感は、昨年2022年の後半のサッカーW杯、年明け2023年のお正月に箱根駅伝で多くの人が経験をしたこと、そして今年控えている野球WBCやラグビーワールドカップで経験するであろうことが、見事に再現されたとんでもなく凄い演出だったと思います。

「THE FIRST SLAM DUNK」という映画のテーマは、「イマココ」が輝かしく見える人にも、「過去」や「枠外」には推し測りきれないような物語がある、ということだと思います。

そのテーマに沿って、日本人がスラムダンクに持っている共通の幻想のような「イマココ」を後景化させて、「過去」「枠外」を前景化させることで、「山王工業戦」は漫画の焼き直しではなく、新たな「山王工業戦」として、古参新規を問わず多くの人が楽しめる映画になったのだと思います。

今回は、「過去」「枠外」がそれぞれ、どんな役割を果たしていたのか、ということを自分なりに振り返ってみたいと思います。

過去

今作品で一番多くの時間「過去」に焦点が当たっていたのは、湘北高校のポイントガードの宮城リョータでした。高校に入るまでの宮城リョータには何があったのか、その経験が彼にどんなトラウマや引け目をもたらしているのか、ということが描かれていました。

映画「THE FIRST SLAM DUNK」は父を亡くした沖縄在住の宮城家から始まる。兄の宮城ソータが一家のキャプテンを担うことをリョータに宣言するが、そんな矢先に兄のソータも事故に遭い亡くなってしまう。兄は、地元では有数なバスケットマンだったのだが、弟のリョータは、母を筆頭に比較され続け、引け目を感じつづけてしまう。

宮城リョータは、兄のソータや神奈川県の屈指のポイントガードと自分を比較し、プレイスタイル・身体特徴や能力に不安を感じている、ということが映画では丁寧にそして克明に描かれていたと思います。チビという言葉に怒るのは、身長を気にしていただではなく、兄のソータという憧れのプレーヤーや牧などのスーパープレイヤーと比較をした時に、自分には何があるのかという過去のトラウマや引け目と戦っていた証だったということが分かります。

「山王工業戦」への勝利を手繰り寄せていく中で、宮城リョータは「過去」のトラウマや引け目と共に今後を生きていき、その中で自分がやるべきこと、自分にしかできないことを掴んでいき、プレイヤーとして人間として成長をを遂げていました。そうして、宮城リョータは「過去」の宮城リョータと共に「イマココ」を輝かしいものとし、「未来」へ進むことができるようになったと感じました。

一方で、山王工業の沢北は神様にお祈りをした必要な経験が「負けたこと」であり、この過去とのトラウマや引け目との向き合いが始まるということが、映画の最後のシーンの表現につながっていると思います。アメリカでの、沢北がマッチアップをした宮城リョータは、宮城リョータ本人というよりは、敗北の亡霊とでもいうべき「過去」のトラウマや引け目の象徴として描かれているのではないでしょうか。そしてのゲームの結末は語られないままにエンドロールを迎える。
以前のスラムダンク論での自分の結論と同様にりますが、物語の続きは鑑賞者自身に委ねられており、映画を観たそれぞれ人が、自分の過去のトラウマや引け目と向き合うことで、現在を輝かしいものにして欲しい、という願いが込められているんではないだとうか。

枠外

枠外とは、漫画のコマの外、もしくは枠の中にいる人の精神面の状態と言い換えてもいいと思います。漫画「SLUM DANK」を読んだことがない人でも、聞いたことがある名言や名シーンと同タイミングで、その人は心の中で何を考えてたのか、他の人はどう動いていたか、ということが鮮明にもボンヤリにも描かれていた印象です。

コマとは同空間の異なる視点からの景色、コマとは異空間の同じ視点からの景色が追加されることで、その人「イマココ」が輝く直前直後には何があったのか、ということが描かれ直されていました。

コマとは同空間の異なる視点からの景色:コマの中にいない登場人物が、何をしていたのか
コマとは異空間の同じ視点からの景色;コマの中にいる登場人物の、精神面の変化

例えば、山王工業の河田との対決でコテンパンにやられてしまう赤木のシーン。漫画「SLAM DUNK」のように魚住が登場するというシーンは省かれていますが、倒れた赤木の心の中では、悪魔の囁きが流れていました。赤木があそこまでトラウマを感じていたということを表現するには、コートではなく精神面の異空間で表現をしてこそ、赤木の再帰を描き直し、よりリアルなものとして伝えることが出来たのではないでしょうか。ゴリとも称される赤木にも、あんな心が弱ってしまうことがあるのは意外でした。

また、流川がパスという選択肢を身につけた際に、漫画にはないイーグルアイのような視点でのカメラカットが入っていました。これは、パスという選択肢を身につけた流川の視野の変化までを表現したものになっているのだと思います。

その他にも、各登場人物にフォーカスがあたっている、画面の端では他の選手が肩で息を切らしたり、何かを思いついた表情をしたり、何かを誘うような動きをしたりと「山王工業戦」という奇跡は、漫画のコマの中だけの「枠内」の物語だけではなし得なかったことが伝わってきます。

僕たち現代人は、どうしても「枠内」に注目を集めがちで、そこに対する憧れや嫉妬を抱きやすくなってしまっています。例えば、SNSの投稿の「枠内」でのその人の活躍や成功。そして、投稿という気軽な方法だからこそ、その「枠内」に対して、気軽な感想を持ってしまうことが多いと思います。でも本当は、その「枠外」では信じられないような血の滲むような努力をしていることもあれば、逆に「枠内」を上手に見せることに長けているケースもあるんではないでしょうか。

そういった「枠内」を読み取るときに「枠外」を感じとる熟慮が、現代で物語を読みとく上で重要だよ、ということを湘北高校の皆は伝えてくれているんじゃないでしょうか。


最後に

以前のスラムダンク論で、僕はこのような言葉で締め括っていました。

僕自身は宮城リョータのような人生を歩めたらいいなと思っている。
その辺はココでは割愛するけれど。

改めて宮城リョータになりたい

これは、「真面目に不真面目」というスタンスで居続けることをモットーにしている自分として、スポーツ漫画で1番近い登場人物がリョーチンだったからです。ですが、リョーチンがこのスタンスやプレースタイルに至った、「過去」と「枠外」を熟慮しなかった軽はずみな発言だったことを反省し、ここで訂正したいと思います。

"改めて、僕は宮城リョータのようなプレースタイルを表現できるようになりたいと思っています。その辺はココでは割愛するけれど。"

参考資料



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