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100年愛されるブランドへ SKINFONIAはじまりの旅の記録 前編

「これまで20年間、日本とアジアで世界中のブランドと仕事をしてきましたが、昨今の日本のブランドには魂が欠けていると思います。この魂とは創業メンバーの魂。そして技術力であり、本質的なロジックであり、イノベーションです。

日本が世界に誇る技術力はもう終わりでしょうか?アカデミアとビジネス現場は交わらないのでしょうか?

僕は、世界で愛されるヘルスケア・ビューティブランドを、またヘルスケア・テクノロジーカンパニーを創るために、皆さんのようなアカデミアの方々と組みたいと思っています。少しでも興味を持っていただけたら、どうかご連絡をください。」

土下座のような、懇願のような挨拶。
思えばこれが、SKINFONIAとしてのはじまりの日だった。

・・・

少し僕自身の話をしよう。

僕は新卒で入社した総合印刷会社で大手化粧品メーカーの美容機器の店頭販促を担当して以来、美容・化粧品のメディア上場企業の役員として中国子会社を立ち上げたり、グローバルの執行役員を担当しながら、20年以上日本と中国・アジアのコスメマーケットに携わってきた。

日本ブランドが「メイドインジャパン」としてもてはやされていた時代はあっという間に終わり、欧米や中韓ブランドの突破力や資本力、技術力に押され、距離をとられていくさまをつぶさに目撃しながら、当事者の一人としてもどかしさと危機感を強く感じていた。

自分にもっと日本ブランドの支援者としてのバリューがあれば。自分がもっとブランドというものを理解していれば。もう一度日の丸のフラッグシップをもって世界を驚かせ、感動させたい。海外で10年という月日を過ごしながら、日本を世界でもっと輝かせたいという想いが募り、独立を決意した。

2020年3月17日、株式会社TIERRASを設立。『ITと先端技術・テクノロジーを活用し、明日のアジアを照らし続ける時代を創る(Technology×IT×AS(明日)×ASIA×TERASU(照らす)×ERA(時代)』で、TIERRAS(ティエラス)だ。

会社設立当時、株主にもなってくれた親友と(右、吉田)

自分のこれまでの経験をもとに、消費財ブランドの国際インキュベーション支援を立ち上げ、数社の日系ブランドの対アジア販売支援やコンサルティング領域に着手。運良く中国化粧品ブランドの四天王と言われる現地国産メーカーの会長が現地での協力パートナーに指名してくれ、合弁会社を設立して日系ブランドの支援事業に乗り出そうとしていた。

しかし、ときはコロナ真っ只中。日中それぞれで強力な仲間も参加し、いざこれから船出というタイミングで、中国パートナー企業から本体売上の激減により海外ブランドの支援事業から撤退したいという相談を受け、プロジェクトも暗礁に乗り上げることに。

 「自社のみで支援事業を続けるべきか、新しくパートナーを探すべきか。」コロナ規制もどんどん厳しくなり、海外渡航もままならず先行きが不透明な中でチームは疲弊し、仲間が一人また一人と去っていった。皮肉なことに、そこでようやく自分が人生を賭けて取り組みたいことに向きあい直す時間が生まれた。

考えてみれば、ずっとやりたかったことは明白だった。10年来の起業ノートにも何度も何度も書き殴った言葉だ。

「アジア向け消費財ブランドの企画開発。」そして「100年先も語り継がれる本物のブランドを創り、美と健康領域でアジアを豊かにすること。」

2016年から続けているコーチングで、毎回自分の夢として書き殴っていた言葉たち

しかし、僕にはブランド作りもブランドの立場でのマーケティングの経験もない。だから最初は国際事業コンサル、貿易、EC代理からスタートし、経験値を増やしながら商機を伺い、アクセルを踏み込もうと思っていた。

周囲からは「願望だけで起業はするな」「自分の得意領域・経験領域・強みで勝負したほうがいい」とも言われていた。しかし、「なに怖気づいているんだ、やらない理由はなんだ?」と発破をかけてくれる仲間もいた。

家族もいながら、この年で人生を賭けて覚悟を決めるなら、世界を代表する本物のブランドを創りたい。日本の技術で世界を驚かせたい。アジアの発展に貢献したい。心の底から湧き出る感情に嘘は付けず、会社員時代にコツコツと貯金した5000万円を投じ、ついに自社ブランドを立ち上げることを決めた。

「いま、売るための商品」ではなく「100年愛されるブランド」へ

当時の商品企画会議の様子

2020年初夏、渋谷のシェアオフィスに日本と海外のメンバーが集まり、最初の商品企画会議が始まった。テーマは「日本とアジアのお客様に、100年愛されるエイジングケア」

エイジングケアに焦点を当てた理由は、一つはアジアでのトレンドである点。もう一つは自分の夢であり、いち消費者としてもいち経営者としても関心が強かったからだ。

エイジングは人生で誰しもが通る道であり、性別関係なく若年齢から使用する人も急激に増えている。また、化粧品というよりもコアテクノロジーの開発研究とも密接に関わり、ヘルスケア発想でプロダクトを展開していけるのではという仮説があった。もちろん市場には強大な競合も多いが、どこに突破口があるのかを一つ一つ検証していった。

数か月の議論を経て、商品コンセプトを創り、製造パートナーにオリエンをして、テスト品が出てきた。ターゲットはあっている。テクスチャーも初めてのプロトタイプとしてはいい線をいっている。インタビューから導き出したインサイトにマッチする成分も配合している。販売訴求のメッセージングも一本線が見える。

しかし、何と言うかありきたりで普通。突き抜け感がない。ブランドに魂が籠っていない、誰でも作れるものなら、それは自分が人生を賭けたいものではない。自分たち、そしてお客様にとっての明確なRTB(Reason to Believe)が欠けていると感じた。

初期に出てきたプロトタイプのひとつ

自分にとってその理由は明白だった。ユーザーベネフィットの訴求メッセージ、競合との差別化、著名インフルエンサー達とのコラボ開発・・・。「売るための商品」になってしまっていて、魂がないのだ。自分たちが作れるもの(CAN)に縛られるのではなく、本当に作りたいもの(WILL)、作るべきもの(MUST)はなんだ?

本質、本物。世界に一つしかない、流行り廃りではなく世界に誇れるブランドを創るために、お客様や関係するすべての人が100年愛せるRTBを探そうと考えた。これが見つからない限りプロダクトは製品化できない。お客様にも失礼だ。

そこから、商品開発メンバーと製造パートナーにプロジェクト中断のお詫びをし、ブランドのRTB探しという名の旅にでることとなる。

ブランドのRTB(Reason To Believe)探しの旅

そこからの道のりはとにかく長かった。サイエンス系のスタートアップピッチコンテストに参加したり、皮膚科医が集まる学会に参加したり、米国の皮膚科医、日本の大学教授と商談したり。フットワークの軽さと語学力を武器に、世界中の有識者にアプローチをし続けた。

サイエンス系のピッチコンテストで優勝したとき

そして、ついに運命の出会いをすることになる。
外科医としてアメリカのMIT病院に務めていた友人の紹介で、アメリカ在住の皮膚研究者や大学研究教授、製薬メーカー研究者が集まる皮膚オンラインコミュニティの勉強会に参加することになった。

この日、僕は何となく「ここに人生を変えるきっかけがあるかもしれない」と感じ、いつになく力を入れて挨拶をしたのだ。 そして冒頭へ至る。

その日、僕の熱いメッセージなんてなかったかのように勉強会はつつがなく進行し、「やはりオンラインで気持ちを伝えるのは難しいな、次はオフラインの場に参加するか」などと思っていた。

しかし翌日、運命を変える一通のメールが届いた。

「吉田さんのキャリアはユニークですね。また、自己紹介を聞いて感心しました。面白そうなプロジェクトなので、今度東京に行くときに詳しく聞かせてもらえませんか?」

メールをくれたのは、このコミュニティの幹事を務めるカリフォルニア大学サンフランシスコ校の皮膚研究教授、内田良一先生。

内田先生は東京薬科大学を卒業後、大手化粧品メーカーの研究開発部門で脂質生化学研究とスキンケア商品の開発を手掛け、その後東京大学医学部やカリフォルニア大学サンフランシスコ校皮膚科で研究し、皮膚バリア研究の創始者ピーター・エライアス教授のもとで研鑽を深めてきた世界的な皮膚科学者だ。

現在は同大学皮膚科の研究教授として原著論文102報、総説16報を発表。韓国のハリム大学にも研究ラボを持ち、米国と韓国を拠点に皮膚老化研究を継続している。実に37年間、日本とアメリカ、韓国で研究してきた方で、皮膚研究におけるまさに世界的権威であり、肌のスペシャリストなのだ。

コアテクノロジー「肌ストレス調和理論」を体現する、独自美容成分配合プレミックスの開発

独自美容成分配合プレミックス開発の様子

メールをもらってすぐに先生の論文や過去の講演内容を読み漁り、その内容のユニークさとエビデンスの強さに驚いた。

僕は、長く化粧品業界に身を置きながら、1,000件以上もの国内外ブランドの商品説明を聞く中で得た『肌ストレス(=外的刺激)は害だ』という固定概念を持ち、特に紫外線やPM2.5、ブルーライトのような外的刺激はブロックする事が正しいと思っていた。

しかし内田先生が米科学誌「PNAS(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)」に寄稿した理論 ”Harmony between skin and stress generates beauty” は、「それらのストレスと調和して、美しく健やかな肌を生み出す」ことを提唱していた。

感覚的には到底信じがたい一方で、それが「新美肌理論」として、欧米の学会や科学誌で認められていることに、衝撃を受けた。

これはひょっとしたらとてつもなくユニークな発見であり、斬新なコンセプトなのではないか。この理論を提唱している内田先生こそ、僕たちが長く探し求めていたRTBなのではないか。そしてこの理論が、日本人の皮膚科学者によって、さらに37年にも及ぶ長い研究期間を経て導き出された研究成果であることに数奇な運命を感じ、震えが止まらなかった。

「これは未来を変えるイノベーションになるかもしれない。」

それまでの停滞が嘘のように脳内でアドレナリンが爆発し、ブランドや商品の企画・アイデアが無数に閃いた。まだ世の中には無い皮膚へのアプローチ、理論、処方箋。そして消費財にとどまらない今後の展開。先生の研究内容や論文からインスパイアされたエイジングケア開発の先には、たくさんのお客様の笑顔が容易に想像できた。

「先生、ぜひ一緒にブランドを創りませんか?監修ではなく共同開発、弊社CTOとして指揮を執っていただき、世界で100年愛される最高のブランドを一緒に創りませんか?」

そうして、ブランドのコアテクノロジー開発が幕を開けたのだった。

羽田空港にて(左 吉田、右 内田先生)

実は今回一緒に最新のテクノロジーを持ってブランドを作っていくにあたり、僕と内田先生は一つの約束をしていた。それは、「内田先生の研究成果をベースに最適な美容成分をプレミックス配合し、効果性試験によって確かなエビデンスが出たら商品を作る」、逆に言うと「効果が見られなければ、商品は出さない」というものだった。

そこから、内田先生の化粧品メーカー研究職時代のご縁で東京工科大学応用生物学部の吉田教授に研究パートナーになっていただき、「独自美容成分配合プレミックス」の開発と効果性試験実施に向けたプロジェクトがスタートした。

しかしながら、時はコロナ禍真っただ中で外出もままならない時期。ヒトの皮膚を国内で入手する事ができず、急遽フランスの研究機関から輸入するという事態にも見舞われた。そんな小さなトラブルを多々抱えながらも、幾たびの開発テストと検証を経てようやく実験の準備が整い、ついに調印式を執り行った。

効果性試験開始時、関係者全員で撮影

効果性試験を経て、コアテクノロジーとして期待していた「独自美容成分配合プレミックス」の肌に対する影響と効果は如実に見えてきた。数々の要素の中でもとりわけ目を引いたのは「美容成分一つひとつに依存するのではなく、複数の成分が美肌にとってのアクセルとブレーキそれぞれの働きをしながら、相互に作用して最大の効果をもたらす」ことであり、それは従来の化粧品に多い「濃度依存・偏重」のトレンドを否定し得るユニークさを兼ね備えるものだった。

「独自美容成分配合プレミックス」、それはあたかもオーケストラのようだ。オーケストラは一人が最高のチェロ演奏をしても十分ではない。それぞれの楽器が素晴らしい演奏を奏で、そのバランスの中で作用しあうことで、最高の音楽が奏でられる。

先生の論文内でも頻繁に語られていたワードである、「Harmony between skin and stress generates beauty」。そこからインスピレーションを受け、コンセプトを再調整した。肌にかかる様々なストレス(外的刺激)を完全にブロックするのではなく、それらのストレスと調和しながら美肌に導いていく、そんなエイジングケアにできないか。

肌ストレスから「守る」のではなく、肌ストレスと調和し、美肌に導いていくエイジングケア。それは、さまざまな楽器が作用しあって美しい音色を奏でる交響曲=Symphony のように、肌をすこやかに美しく整えていく。

Skin +Symphony(イタリア語でSymphonia)= SKINFONIA

そうして、あらゆる肌ストレスとの調和を実現する事で美肌へと導くプロダクトとしてSKINFONIA(スキンフォニア)の名が決まった。

RTB “Reason to Bilieve”たる世界的な皮膚科学者の参画が決まり、
その皮膚科学者のもとで、コアテクノロジーが開発され、
幾度の効果性試験を経て、コアテクノロジーの効果が証明され
その効果を元にブランドのコンセプトが定義され、
SKINFONIAというブランド名が決まった。

さあ、次はコアテクノロジーの製品化だ。
商品開発プロジェクトが再開の産声を上げた瞬間だった。

ここからプロダクトデザインや製造プロセス、販路拡大などさまざまなチャレンジを乗り越えていくことになるが、それはまた次回。とにもかくにも、こうして僕たちSKINFONIAはようやくスタート地点に立ったのだった。

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