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讃岐うどんは小麦粉で作るって誰が決めた? 常識を壊す人、支える人、そして文化は生まれる第11回テラロック

 7月9日、第11回テラロックが高松市で開かれた。テーマは「地域に芽生える新たな文化」。ちょうど4年前、公務員の寺西康博さんが勢いに任せて始めた地域交流会の目的は「多様な価値観に触れ、挑戦する人を応援する」だった。今回登壇したのは目指す方向にぴったりの2人だ。

 デザイン会社代表の村上モリローさんは、小麦粉の代わりに米粉を使う讃岐うどんの店を開く準備を進めている。だしは、いりこではなく植物が原料という。「基本」から逸脱した製造方法を選んだのは、小麦アレルギーの人や菜食主義者も含めて、世界中の人々に味わってほしいから。

 大美光代さんは香川県で初となる市民財団の設立へと奔走する。NPO法人の代表理事として5年活動し、地域の課題解決に取り組むには使い勝手の良い資金が必要だと痛感した。

 常識を壊す人、支える人。両者の力が合わさって新しい文化は生まれる。第11回の様子を報告する。(浜谷栄彦)

株式会社人生は上々だ 代表 村上モリローさん

香川県生まれ。2013年に会社設立。企業商品のブランディングから伝統工芸の再生まで幅広く手掛ける。「SANUKI ReMIX」総合プロデューサー。現在、「NO BORDER UDON」を提供する讃岐うどん店を開く準備を進めている。

文中の写真(最下段2枚を除く)はAyumi Fukuoka撮影
NPO法人わがこと 代表 大美光代さん

香川県生まれ。大手通信会社を退職後、2018年に「NPO法人わがこと」を設立。地域の担い手を発掘するなど暮らしを守る活動を支えてきた。「たかまつ讃岐てらす財団」の設立へと奔走する。


▽きっかけは息子のアレルギー

 村上さんの8歳の息子は、乳製品、牛肉、卵にアレルギーがある。高松から東京に出張した帰り道、お土産の菓子を買うときはいつも選択肢の少なさに悩む。そんな日々の中で、ふと気づいた。「讃岐うどんを食べたくても口にできない人が大勢いるのでは」。小麦アレルギーの人もいれば完全菜食主義者「ビーガン」の人もいる。イスラム教はアルコールの摂取を禁忌としているが、だしに使うしょうゆ、みりんは微量のアルコールを含む。

 村上さんの行動は早かった。植物由来100%を意味する「プラントベース」の和食を提供するレストランが東京にあると聞き、実際に食べてみた。「めちゃくちゃおいしい。讃岐うどんに応用できれば価値が変わる」。シェフに作り方を教わり、クラウドファンディングや借り入れで資金を調達した。12月の開業を目指し、高松市牟礼町の海岸沿いに訪日客の来店を想定したレストランを建設中だ。SNSを通じて見知らぬ人から「米粉で作るのは讃岐うどんではない」と批判されることもあるが意に介さない。 

▽市民財団をつくる意味

 大美さんは高松市のNPO法人「わがこと」の代表理事として、地域の担い手を発掘するなど暮らしを守る活動を支えてきた。「5年やって、課題の解決に取り組む皆さんが人と資金に行き詰まりを感じていることを知った」と話す。行政の助成金は必ずしも使い勝手が良いとは言えず、必要なタイミングで手に入らないこともある。調べてみると、より柔軟で小回りの利く市民財団が全国に約30あった。

 「3~5年後に必要とされる活動がある。資金不足を理由に始められないのは惜しい」。本来は人前に出るタイプではないという大美さんだが、勉強を重ねて自ら「たかまつ讃岐てらす財団」を立ち上げる決心をした。基本財産をつくるため、8月末まで300万円を目標に寄付を募っている。「私はNPOをやるまで地域に興味がなかった。でも、諦めない人たちを見て何かやりたいと。なるべくたくさんの人に地域のことを知ってもらいたい。だから、できれば千人の方々から寄付を募りたい」と呼びかけた。

▽勢い込む主宰者、冷静なゲスト

 財団の設立方針に共感した寺西さんは「千人が主体性を持つといい世の中になる!」と相づちを打ち、持論を展開しようとした。大美さんは「主体性はあるといいなと思うけど、そこにこだわり過ぎたくない」と返し、興奮気味の主宰者を冷静に諭す。地域には、行動派もいれば、後ろで静かに見守る人もいる。さまざまなタイプの人が関心を持ってくれる形が理想だという。

 寺西さんは切り替えが早い。すかさず村上さんに「なぜ人々の既成概念を変えたいのか」と尋ねた。答えは明快だった。「既成概念や定説は何十年も前に僕が知らんところで誰かが勝手に決めた。それが正しいルールならええと思う。だけど、変わった方がええルールに従う理由が分からない」。村上さんは小学1年生の時、答案用紙に黒字で記入することに疑問を感じ、赤鉛筆で書いた。「だって赤のほうがきれいやん」。教諭に「赤で丸をつけるから」と言われ、ようやく合点が行ったという。 

 ただ、讃岐うどんに関しては納得していない。「昔、空海が中国からうどんを持ち帰った時、『原料は小麦以外認めません』と言うたんかい。後で勝手に決まったルールになんで現代になっても従わなあかんねん。テラロックは言うたら共感してくれる。でも普通はそうではない。忙しいのに聞いていられるか、みたいな。だからその距離をアイデアの力で縮めたい」

▽人の気持ちを丁寧につなぎ合わせる

 気炎を吐く村上さんとは対照的に、大美さんはどこまでも控えめだ。寺西さんが発した「なぜコミュニティーは地域に必要か」という問いに対する答えも抑えが効いている。「一番大事にしたいのは、人が育ち、地域が育つこと。その先にプロジェクトが必要。何かやってみることが人々の気持ちを一つにする。壮大な質問に対するど真ん中の回答は持ち合わせていないが(気持ちを)丁寧につなぎ合わせると、面白いことや楽しいことが自然に生まれる土ができるのではないか」

 大美さんが続ける。「こんなことを言ったら人に笑われるかも、という場面は多い。だけど、少なくとも否定されない安心感がもっとあっていいのでは。たとえ賛同は得られなくても。子ども食堂だって最初は小さく始まった。たぶん地域にはそういう種がたくさんある。肩書や性別が偏らない多様な人が寛容に見守ってくれるコミュニティーがあるといいな」 

▽カオスから行動する人が現れ、文化が生まれる 

 寺西さんは今回のテーマ「地域に芽生える新たな文化」を自分で考案しておきながら、実はトークセッションで一度も「文化」という単語を口にしていない。思いついた質問をゲストにぶつけるのみ。当然、話はあちこちに飛ぶ。果たしてレポートを書けるのか…会が終わりに近づき、筆者が現場で頭を抱え始めた頃、村上さんが期待に応えてくれた。

 「僕がやりたいのは(アレルギーや宗教的理由で)世界人口の3分の1が食べられなかった讃岐うどんを全ての人に提供すること。完全菜食主義者ビーガンの人や、アルコールや豚肉を摂取できないイスラム教徒が、地元のおばあちゃんと同じテーブルで食事をする。僕らの店でさまざまな文化を知ることができる。世界の基準が香川にあふれる。そしたら誰も言い訳せんようになる」

 少し解説が必要だろう。村上さんが言いたいのは、こういうことだ。文化的背景の異なる訪日客と香川の住民が交流することで互いの価値観の違いに気づく。それが当たり前になれば、前例や慣習に従わない人を奇異な目で見る狭量さは消えてゆき、常識を覆す挑戦がしやすくなる。

 「誰しも最初は、地方にいるからとか、お金がないから無理やとかは思わなかったはず。誰かに言われてそう思うようになる。だから僕はこの香川にいても『あいつにできるなら、俺にもできる』と思われたい。突飛な行動に寛容になれば文化は勝手に生まれる。テラロックみたいにカオス(混沌)が生まれて、そこから行動する人が現れる。カオスを正そうとする人もいるが、分かりやすいことから新しい文化は生まれない」

 主宰者の思想を代弁するかのような村上さんのメッセージで今回は大団円を迎えた。お株を奪われた形の寺西さんは「自分に正直な人が好き。テラロックは僕が大好きな人を大好きな人につなげることができる。幸せ」と満足そうな表情を浮かべた。予定調和で進まないがゆえに、いつも書き手を困らせる。これぞテラロック。やれやれ。 

【執筆後記】

 寺西さん、丸くなったな。久しぶりにテラロックを取材した筆者の印象である。本人によると、4年前は「挑戦する人を冷笑する空気への怒り」が原動力になった。今は肩の力が抜けたらしい。公務員としての立場も変わった。2022年4月、国の出先機関から東かがわ市に出向し「官民連携マネージャー」を務めている。本業が充実し多忙な日々を送っている分、交流会に割くエネルギーが少し減ったのだろう。熱を期待した参加者にはご容赦いただきたい。とはいえ、今回もゲストの2人から新しい視点を得られる発言がたくさんあった。久しぶりのリアル開催で再会を果たした人も多い。テラロックは依然として価値のある取り組みである。

 報道機関で働く筆者の境遇も変わった。現場の記者から内勤の編集者へ。居場所も高松から大阪に移った。それでも、執筆を通じて地域とつながりを保てるのはありがたいことだ。テラロックが始まって4年。まだ4年。大局的に見ると、変化を嫌う社会の空気は簡単には変わらない。小さな交流会を地道に続けて「行動する人」「応援する人」を増やせば、気がついたときに地域は変わっているのかもしれない。成熟して大人になったテラロックを気長に見守ってほしい。

【主宰者後記】

 テラロックを始めた4年前、「挑戦する人を冷笑する空気を変えたい」と一歩を踏み出しました。思い返すと、公務員が個をさらけだすことに不安を抱いていました。それでも、怒りのエネルギーが不安に勝り、場づくりに身を投じました。

 テラロックがつくり出した領域が、どのような価値を生んでいるかはよくわかりません。しかし、この領域の中で役割を担ってくれる人が現れ、わたし一人では実現できないことができるようになりました。この記事もそうです。

 4年がたち、自分自身のエネルギーが丸くなったように感じています。「前はもっと尖っていたね」と言われます。組織ではなく「人間」を中心に据えて活動するなかで、当初の怒りの感情は、人間への愛でもあると気付きました。怒りや愛というエネルギーの総量は決して減じておらず、少し形を変えたのだと理解しています。

 聞き役に回る大切さも覚えました。その成果は本文に寺西がほぼ登場しないことです。「文化」は固定的な実体があるものでなく、人と人との交流で生まれる流動的な現象です。一人ひとりの考え方や価値観が、相互交流により形を変え、その結果として文化が変わるのだと思います。今日もリスクにおびえながら一歩を踏み出します。