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Grey; "タイトル"の必要性と、デザイナーの小さな一歩。

“グラフィックデザイナー のEricoと申します”

自分の名前を書く前にそのタイトルに迷う。
経験されている方も多いと思いますし、ないなら作れとタイトリングが上手い方もたくさんいらっしゃいますよね。

私の場合は、デザイナー、イラストレーター、クリエイター、アーティスト... それぞれの定義は持っているつもりですが、いまだにどれも違うような気もします。

ただ、どのウェートが大きいかと言われれば、今のところ「グラフィックデザイナー」。なので人に対しては、たいていこれを使います。この「主軸」が決まったというのは、小さな一歩ながら、とても大きなことでした。

「仕事」というものが多様化し、(「仕事」の定義すら怪しくなってきたと、私は思っている) 肩書きや境界線なんて関係ない というのもわかります。実際、自身の中では、不便がなければ特に決める必要はないかもしれません。けれどやっぱり相手に自分が何者かを伝えて関係を築くには、「枕詞」も大切。相手に迷わせてはいけない、ですよね。

主軸はわかった方が、自分も生きやすいはずです。

描く人 撮る人 創る人 

私が自身をデザイナーなんて言えるようになったのはつい最近のことで、長年「描く人+撮る人+それをデータでアレンジできるただの人」でした。

もともとアナログで水彩ペン画を描いていたところから、それをウェブで公開したり、のちに商品化するにあたり、否が応でも「デザイン」のプロセスが避けて通れなかったため、独学のところからスタートしています。(ちなみに写真はもともと好きだったので撮影は問題ありませんでした)

テイストを気に入ってくださった方々から少しずつ「デザイン」のご依頼をいただくことが増え、バナー、フライヤー、ポップ等を制作しているうちにいつの間にかデザイナーが職となっていきました。

しかしその中で、「デザインというものは相手ありきのクリエーションだから、“自分らしさ” は捨てねばならない」という固定概念 (もちろん、半分は正論)があり、ずいぶん苦しかった。できなかったから。

原点回帰してみる

少し話がずれますが、なにかを創るなら、枠は超えたほうがいい。引き出しパターンは多いほうが絶対にいい。けれど同時に、「自分ができるパターン」は、磨いて尖らせていくべきです。私にとってのそれは水彩ペン画を使ったもので、それでいいんだと気づいてからずいぶんラクになりました。

いいものが創れない、生み出せないと思ったら、いちばん最初に好きだったこと、得意だという自覚すらもなかったようなことを、「今の自分」が扱ったらどうなるだろう、というチャレンジをしてみる価値はあります。​

これらのロゴデザイン制作においては、「イラストレーターとアーティストとデザイナーの私」がプロセスによって混在し、最終的に「クリエーターとしてまとめ上げた」という感覚がいちばん近いです。いろんな狭間で迷うからこそ、そういうことができる。

自分を何者とするかは、刻々変化する雲のようなグレーでいい。決めなくてもいいし、変えてもいいんです。その全部を少しずつを、誰もが持っているはずだから。

でも、目の前にいる人には雲をどけ、その人がいちばん頼りにしたいと思う肩書きを、使ってあげましょう。魅せたいところを、晴れやかに見せてみましょう。



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