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日常は些細な喜びで溢れている

今から10年前、福島を震源とする大きな地震「東日本大震災」が起きた。

地震が起きた時、私は彼氏と千葉のマザー牧場にいた。
恐らく私が体感した揺れは、起きてから数分経ってからの揺れだったんだろう。
羊のショーか何かが行われる建物の中にいたのだが、天井の照明は少しづつ強く揺れ、スタッフは私たちを安全な場所へ避難するよう連れ出してくれた。

そして外に出た瞬間、不思議な感覚に包まれた。


「え?何この揺れ。目眩?え?どゆこと?」

自分の立っている小高い山全体がゆーっくりと円を描くようにスライドしていた。今まで経験したことの無い揺れ、そして例えようの無い感覚。

その日は帰宅できず近くの体育館に避難し、他の観光客と一緒に一夜を過ごした。スマホの充電を残すために使うのを控え、情報は体育館内で流れるラジオだけ。そのラジオも全然聴こえず、聴こえるのはラジオを聴いた観光客たちの声、そして「津波」という言葉。

なんだかんだで帰宅できたのは翌日の夜中。スマホの充電を確保する為に使うのを我慢していたので、約2日間は何が起こっているのかが分からずに過ごしていた。そして自宅のテレビから流れる映像、音、アナウンサーの声。

ちゃんと知った時には時差があり過ぎて、なんだかフィクションのようだった。

しかも武蔵境の家はほとんど被害がない。

あっちとこっちで起こっている事の違いが大きすぎて、今いる世界が嘘か本当か分からなかった。


誇張した冗談であってくれ

そして、ただただ時間は過ぎてゆく。
“メルトダウン“というワードや津波の映像は否応にもどんどん自分の体内に入ってくる。合わせて身内や友人知人、さらには自分自身が生存してることからくる安心感と、眼や耳から入る現地情報との差。内心パニックだった。
ネットで調べれば調べるほど、別の人が撮った津波の映像や地震発生の様子を知ってしまう。同じ映像を何度も見返し、涙し、また見返し、涙し。
恐らく、冗談であってくれと願いながら見返し続けていたのかもしれない。


私はこの世界で、どう生きればいいんだろう。

恐らくこの想いを抱いた方は多くいて、
みんな声には出さなくても心のどこかには、この想いを抱えているはず。
そう思いながら日常を過ごしていた。

目に焼きついた津波の映像
耳に残る「助けてあげられなくてごめんね」という誰かの声

今自分がいる世界のどこかでは確かに起こっている
画面越しに見ている世界は確実に現実なのだ


東日本大震災に熊本地震

東京で結婚したが、私の地元でもある熊本に拠点を移すことになった。あの「私はこの世界で、どう生きればいいだろう」は一緒に持って帰ってきていた。むしろ、想いは濃くなっていた。

熊本に戻り、自分の在り方を探す日々。

新しい仕事、人、新しい繋がり、久しぶりの再会。
どう生きるか、どう生きれるか、どう楽しむか、どう喜ばせられるか。

そして2016年4月14日。突然、揺れた。

出したことの無いような声が出たが、それを掻き消すほどの轟音が鳴り響く。
東日本大震災の時とは違って、今回はひとりで体験してしまった。

しばらくは余震が続く中、私の想いはどっかに消えてしまっていた。
あれだけ「私はこの世界で、どう生きればいいだろう」と思っていたのに。

新しい仕事、人、新しい繋がり、久しぶりの再会。
どう生きるか、どう生きれるか、どう楽しむか、どう喜ばせれるか。
こんなにワクワクしながら生きていたのに。でも、ワクワクだったから消えてしまっていたのかもしれない。それどころじゃなかったのだ。


誰と過ごすか どう過ごすか

崩れた日常は、いつの間にか元に戻され、
忘れないようにとメモリアルにはイベントが催される。
私にも余裕が生まれたのだろうか、ふとあの想いが少しづつ蘇ってきた。

そして、その想いの中身を足して引いてと繰り返すうちに、少しづつ強くなってゆくワード。それが  “誰と過ごすか どう過ごすか” だった。


ひとりではないと感じた瞬間

テラあそハウスに移り住み、
相変わらず自分の中にある  “誰と過ごすか どう過ごすか” に向き合い、此処を訪れる人との交流を楽しんでいた。

そして、此処で何かしらの日課を作ろうと考えて思いついたのが“朝ハイク“。
朝日が登る前に友人と高さ1300m級の烏帽子岳に登り、下山後は朝のモーニングまでちゃんと済ませ、清々しい気持ちで帰路についている最中だった。

大変お世話になった大切な方
何も恩返しができず、最後を見届けることもできず、あの東日本大震災の時のような、
あっちとこっちで起こっている事の違いが大きすぎて、今いる世界が嘘か本当か分からない状態に陥ってしまった。

車を運転しないといけないが、涙で前が見えない。
ようやくテラあそに着いたら、メンバーは優雅にお庭でモーニング。
ひとまず気持ちを一旦自分の中に留めたつもりで車を降りてみたが、メンバーの顔を見た瞬間にはまた涙が止まらなくなっていた。

「近くにいるから、何かあれば。」


一日一日を大切に

そう、ひとりで生きなくてもいい
意固地にならなくてもいい
頼ってもいい
甘えてもいい

その分

一日一日を大切に過ごせた時の感謝を
周りの人に伝えてみようと

そう思いながら空を見上げれば
青く美しい世界が広がり
そう思いながら買い物に行くと
家族の会話が微笑ましく感じ
そう思いながら仕事をすると
「ありがとう」の言葉がとても心に響く

日常は些細な喜びで溢れている。

みんな本当にありがとう。



【ライター紹介】おしず ー 熊本県出身。東京に15年住み、熊本へUターン。南阿蘇村で苺農家として新規就農をめざすアラサー。最近ハマっていることは、テラあそハウスでする“🃏大富豪“。戦略も何も立てず、勢いだけでやるのが好き。


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