釣りの残虐性~レイプと釣りの同一性とゲームフィッシング(キャッチ&リリース)の罪深さ~

1.初めに
『レイプと釣りの同一性』という文字を見て驚いている方は多いのではないだろうか。

しかし、実はレイプと釣りは同じ構造を持っている、という事実がある。

アングラー達にとっての“不都合な真実”を、ここに解き明かす。

以下は、幸運にも命だけは取り留めた、キャッチ&リリースを繰り返し受けた弱者の姿である。

2.釣りとレイプの構造の同一性

釣りがレイプと同じ構造で成り立っている理由はつまりこうだ。

レイプは、①生殖本能(性欲)を満たすために、②強者(多くは男性)が、③弱者(多くは女性)を、④蹂躙(強制的に抑えつけて男性器を膣に挿入)する。

釣りは、①狩猟本能(遊び欲)を満たすために、②強者(人間)が、③弱者(魚)を、④蹂躙(魚の口や頭に針を刺して呼吸ができない陸上に引っ張り出す)する。

いずれも「強者が弱者をモノ扱いして弄ぶ」「強者の一時の快楽のために、弱者を蹂躙する」という点で極めて似通っている、というか、むしろ同一であるのだ。

更に言えば、釣りは弱者(魚)が死亡する確率が高く、大きな傷害を負う確率は100%に近い。その点で、レイプ単独というよりも、レイプによる殺人(あるいは殺人未遂)と同一の構造を有すると言えよう。

3.人間も魚も尊重されるべき命
ここで、「人間と魚を一緒にするな」という批判も有ろう。

そのような価値観があることは認める。しかし、現代においては、多くの人間にとって、「生き物の命を不当に差別してはならない」「人間以外の命であっても弄んではならない」という価値観は共有されていると思われる。少なくともまともな情操教育を受けていればそう感じるだろう。

そのうえで、人間以外の命を弄ぶだけの理由が、上記①狩猟本能(遊び欲)を満たす、ということで正当化できるか、答えは否だろう。

「魚なんて下等生物だから顔面に針で穴開けてもがき苦しませても良い。死んでも良い。」というような感覚で命を弄んでるのであれば、相当な鬼畜である。

4.釣りの残虐性はレイプによる殺人と同等である
釣りのプロセスを以下のとおり分析する。
①罪もない魚達が暮らす場所に殺傷能力を付与した疑似餌を垂らし込む。
②判断能力が乏しい弱者(魚)が疑似餌が餌であると誤認する。
③魚が誤って口に針を入れる。
④強者(釣り人)が魚の口や顔面、眼球等に針を食い込ませて穴をあける。
⑤弱者は必死に抵抗するが、強者に引きずり回される。
⑥強者は弱り切った弱者を、弱者が呼吸ができない場所に引き上げる。
⑦フィッシュグリップや魚ばさみにより、弱者の顎がはずれ、内臓が破裂するか、体表に傷がつく。
⑧弱者は呼吸ができず、口や顔面、眼球等に穴が開き、もがき苦しむ。
⑨強者は弱者を、熱されたアスファルトという鉄板の上に置く。
⑩弱者は全身が焼かれ、苦しみが一層増す。
⑪強者がもがき苦しむ弱者の様子を見て遊び欲が満たされ、捕えた弱者の体長を測り、写真を取る。
⑫弱者は、顔面を引き裂かれ、身体中を火傷し、呼吸困難に陥る。
⑬弱者は、死亡する。または、死亡しなくても重度の後遺症を患い、衰弱死する。または、生き永らえても相当期間に亘って苦痛を味わう。

このようなシステムが釣りなのだが、一見して明らかに残虐である。また、死傷結果を伴わないケースのレイプとは異なり、100%弱者に死亡または傷害の結果を与える点で、殺傷を伴うレイプと残虐性が同等であると言える。

よく若いアングラーが、「魚と遊んでもらった~」等と言っているが、遊んでいる気になっているのはアングラーのみであり、レイプ殺人に類似する深刻な虐待行為であることを肝に銘じるべきである。

5.犯罪以外にも許されない行為がある
「犯罪じゃないから良いじゃないか」と主張する者もいるかもしれないが、その認識は全くの誤りなので小学生から義務教育をやり直すべきだろう。

犯罪は、社会問題化して国会が注目した反社会的な行為をピックアップして刑法に書き込んだものに過ぎず、犯罪に該当しない行為でも悪いものは悪いのだ。つまり、犯罪化していない行為について、誰もお墨付きは与えていない。

というか、犯罪じゃない、という点をもって残虐行為を正当化できると思えるなら、情操教育が全く上手くいっていない危険人物であると自覚した方が良い。いわば犯罪者予備軍である。

6.釣りを正当化させられる唯一無二の事由
もっとも、釣りが残虐非道な行為であることは明らかであるが、唯一無二の正当化事由がある。

それは、『人間が他の生き物を食べなければ生きていけない』という点だ。

そのため、食べるために(漁業として)釣りを行うことは、人間の命を維持するため魚の命を頂く、という点で唯一正当化できる要素である。

なお、「自分や他人の命を維持する」のに必要な範囲を超えて、弱者の命を弄ぶことは、やはり抑制しなければならない。

そのため、食べる目的で弱者を獲得した後は、弱者が苦しまぬよう速やかに死亡させるべきであるし、必要以上に苦痛を与えてはいけない点は論じるまでもないだろう。

また、遊び目的で行う釣りという残虐行為を、後付け的に正当化するために食べること、が許されるのかについては、更に検討を加えるべき問題と言えよう。

7.絶対悪であるゲームフィッシング~ゲームフィッシングのアングラーとレイプ犯の同一性〜
以上の通り、弱者を弄んで死傷結果を100%生じさせる以上、レイプによる殺人と同等に残虐性の高い釣り行為を正当化できる唯一無二の事由が「食べるために釣りを行うこと」である。

とすれば、純粋な遊び目的で、罪のない弱者の(1)口、顔面、眼球に針で穴をあけて、(2)呼吸困難に陥れ、(3)全身に火傷をさせて、(4)死傷の結果を与えることは、『絶対悪』ということになる。

ここで、ゲームフィッシングを、【食糧確保の目的の無い、単なるキャッチ&リリースである】と定義すると、ゲームフィッシングこそが、『絶対悪』なのだ。

東京湾などの食べれないシーバスやチヌを、純粋な遊び目的で釣り上げるような、ゲームフィッシングを趣向する者の価値意識は、レイプ犯と極めて似通っているか、それより凶悪性高いものである。

「つ抜けです!」「50匹釣りました!」「100匹釣りました!」等と、にやけ顔で自慢する行為は、自分によるレイプ被害者や殺害被害者の数を自慢し合っていることに等しい。

以下が、釣り人により無残にも堤防に捨てられて死亡したフグである。

8.最後に
この記事により、釣りはレイプによる殺人と同様に高い残虐性を孕む行為であり、それを正当化できるのは食糧確保目的や漁業目的で行う場合のみであること、更に、ゲームフィッシングを趣向することは、強者の一時の快楽のために弱者を蹂躙する点で、レイプ犯と価値意識が極めて似通っているということを述べた。そのため、ゲームフィッシングを行っている者は1秒でも早くその残虐な行為を辞めて猛省するべきである。

また、動物愛護を志向する方々の多くは、犬、猫、鳥、家畜等の陸上動物や、クジラやイルカ等の一部の水生生物への動物虐待を防止する活動をされているが、100%の死傷を伴うゲームフィッシングにも批判の目を向けて欲しい。

命を弄ばれない権利は、健常者男性から、女性、子供、黒人、障害者、愛護動物、へと順に拡張されていった。文明国家における人類は、弱者こそ積極的に救済すべき対象である、という真理に気が付いたのだ。今後は、人の管理下に無い魚類等にも、その権利の対象が拡張されていくことを切に願う。

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