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#1890 人類学から「教育」を考える

今回は、奥野克巳氏の『ひっくり返す人類学』からの学びを整理する。


現代の学校教育は、未だかつてない「危機」に瀕している。

少子化時代にもかからわず、不登校児童・生徒の数が過去最大に達している。

教員志望数ものきなみ減少しており、「教育の質」の低下が問題視されている。

「学校」というシステムが、もうすでに機能不全を起こしているのである。

そんな危機的状況の際に、必要なのが「そもそも論」である。

「そもそも学校とは何なのか?」
「そもそも教育とは何なのか?」
「そもそも学ぶって何なのか?」

このような根源的な問いを立て、その存在意義や必要性を考える。

その際に活用できるのが、本書で紹介されている「人類学」である。

民族誌や現地でのフィールドワークから見える様々な事例から、「教育」における「そもそも論」を考え直すことができる。

この書籍で紹介されている事例をザっとまとめてみる。

・ヘアー・インディアンには「教える-教わる」という師弟関係が存在しない。それは「人間が人間に対して、指示・命令できるものではない」という前提が横たわっているからだ。物事は「誰かから教わる」のでなく、「自分で覚える」ものなのである。つまり、自分で観察し、やってみて、自分で修正することで覚えるのである。

・ヘアー・インディアンは、自分とモノ(材)との相互作用を通じて「学び」を進めていく。「他者の存在」は主観的には重要ではない。

・プナンにとって、知識や技能は特定の個人が所有するのではなく、共同体の中でゆるやかに共有されている。

・プナンやグアラニは、学校に来る多様な子どもたちを一様に「生徒」と見なして、校舎の中でしつけをしながら「知識」を教えることにより、一元化していく世界(学校)を毛嫌いしていた。

・ヘアー・インディアンやスコルト・サーミは、「知恵」を自ら「動くことで知る」という経験を通じて学び取ることの大切さを示してくれる。外側から与えられる「知識」だけを重視するのではなく、「内側から」物事を知ることで身に付く「知恵」も重視する必要があるのだ。

・人類学者のインゴルドは「知識は心を安定させ、不安を振り払ってくれる。知恵はぐらつかせ、不安にする。知識は武装し、統制する。知恵は武装解除し、降参する。」と述べる。「知恵」は「知識」を得て理論武装して凝り固まった頭を解きほぐし、自らの限界を悟って、物事を諦める勇気をくれる。「学ぶ」とは、「知識」を身に付けるだけでなく、「知恵」を重んじることであり、「知識」に「知恵」を調和させることなのである。

このように、人類学の事例を学ぶことで、「教育」「学校」「学び」についての存在意義や必要性を改めて考えることができる。

現代の学校教育は、「知識偏重」になりすぎている。

絶対的な「知識」を所有する「教師」が権力をふりかざし、「子ども」という「有用な人材」を育成するために、学校に通わせている。

「受験」という戦争をくぐり抜け、社会システムに適合する人材を輩出するために、「学校教育」というシステムが存在するのだ。

これにより、「競争」が激化し、それが正当化される。

私が以前の記事で紹介した「新自由主義」の思想が色濃く反映されているのである。

そして、今の時代、このような「知識偏重」のシステムが限界が迎えているのだ。

「学び」という本来の姿からかけ離れた「勉強」が、当たり前の構図となっている。

それにより、「不登校」「いじめ」「学級崩壊」などの問題も起こってしまう。

子どもたちは本来、「勉強」ではなく、「学びたい」だけなのである。

外側から「知識」を押し付けられるのではなく、内側から動くことで「知恵」を身に付けていきたいのだ。

ヘアー・インディアンがそうしているように、自分で観察し、やってみて、自分で修正することで覚えていきたいのである。

「教師」という存在からトップダウンで教わりたいのではなく、自分とモノ(材)との相互作用を通して、体験的に学びを進めたいのである。

だからこそ、上記の「新自由主義」の記事でも紹介したように、「地域」というフィールドに「参加」する学習が必要なのだ。

このような社会的・体験的な学習をすることで、子どもたちは「知恵」を身に付けていくことができるのである。

「生活科」「総合的な学習の時間」が重要と言われるのは、このためなのである。

私たち教育関係の大人は、もう一度、学校教育に関する「そもそも論」を考えなくてはならない。

「そもそも学校とは何なのか?」
「そもそも教育とは何なのか?」
「そもそも学ぶって何なのか?」
「そもそも学力って何なのか?」
「そもそも学力って必要なのか?」

今の学校システムが変わらない限り、この問いを考え直す必要性は「無」に等しいかもしれない。

「そんなこと言ったって、ペーパーテストの点数がとれないと意味ないでしょ?!」

このような返答が当たり前の時代では、上記の問題を問い直すだけ「時間の無駄」となるだろう。

しかし、私は、常にこのような問いを考えておきたいと思う。

目の前の「ハウツー」に思考停止状態で飛びつくことがないように。

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