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東南アジアでの長距離バスとトイレ事情 〜僕は失敗のすえに解放感を手に入れた〜

世界一周中に、何度か長距離バスを利用して、陸路移動を試みた。国境越えをした時もあれば、同じ国の中で24時間近いバス移動をしたことも。


まあ長距離バスといっても本当にいろいろあるので、一概にはいえないが、ここでは僕の経験をもとに少しだけ注意して欲しいことを書く。トイレだ。


もはや名誉などどこかに捨てさってきたような僕だけれど、これだけは名誉のために言っておきたい。もらしてはいない。


注)ここから先、少しだけ汚い話がでてきます。かなりオブラートに包んだつもりですが、時と場合を考えてお読みくださいませ。



東南アジアの長距離バスに乗るにあたって、とにかく注意が必要なのはトイレだ。東南アジアの長距離バスはトイレがついていないことが結構ある。しかも、サービスエリアなんかにはほとんど停まらない。

何度か停まってくれる場合もあるが、日本みたいに気をきかせ何度も何度も停まってくれることはない。そもそも、日本のようにサービスエリアみたいなもんがある方がまれなのだ。


ちなみに言っておくと、トイレが付いている長距離バスに乗ったからといって安心している場合ではない。トイレが付いていると思って乗ったのに、なぜかトイレが使えないなんてこともある。僕はそれを2度ほど経験した。

「いや、トイレ付きや言うから上乗せして金払ったんやぞこっちは。」

なんてことは一切通用しない。

「だって壊れてるんだもん。仕方ないだろ?」で終わり。

誰も使えるトイレが付いているとは言っていない。単に付いているといっただけ。


それにしても不思議だ。バスの運転手は全然トイレに行かず、夜の道をぶっ飛ばすのだけど、この人たちは尿意や便意をもよおさないのだろうか?特殊なトイレトレーニングを受けているのだろうか?高山でのトイレトレーニングとか?いや、それは実際に僕もやったけど、効かなかった。



ここからは僕の失敗談をお話したい

僕は実際に長距離バスでの移動中に、どうしてもしたくてたまらなくなったことがあります。


もう、西野カナ状態。

もよおして、もよおして震えていたわけです。いや、事実震えていたんです。(西野カナさん、ファンのみなさん本当にごめんなさい。)


当然、真夜中なのでまだ目的地につく気配はない。乗客のほとんどが寝静まっている中。一人震える僕。妻は隣で爆睡。わざわざ起こしていうほどのことでもない。


だけど、もう我慢の限界だ。このままだと心が壊れちゃう。ちゃんと言おう。運転手に。「したいんだ」って。ちゃんと言おう。いや、実際には心は大丈夫だけど、肛門が壊れそう。


というわけで、さすがに我慢の限界を迎えた僕は、運転席に駆け寄り拙い英語でトイレに行きたいことを伝えてみた。


すると


「OK!OK!!」


サムズアップ付きの勇ましい返事。でかした、運転手。どんな要求を受けてもすぐに柔軟に対応する。このバスはリッツ・カールトンか!!そんなつっこみを入れたい衝動を必死におさえながら(実際はおしりの穴をおさえながら)、バスが停まるのを待つ。


ちなみに、手にはトイレットペーパー。東南アジアではトイレにトイレットペーパーが付いていないことはざらである。というか、ついていない。ついていたら、そこはもうリッツ・カールトンである。


そして、真夜中。皆が寝静まる頃バスはゆっくりと停車した。いよいよ念願が叶う時がきた。ある意味この瞬間は、アメリカでNBAを観たときよりも、マチュピチュ遺跡を目にしたときよりも嬉しかった。この時の私には長年の夢などただの儚い願望。とにかく今はトイレがしたいのだ。今を生きるとはこういうことだ。


暗くて周りの様子は見えない。おそらくこのバスを降りれば光り輝くトイレが目の前に姿を現すはずだ。


バスの扉が開き、外を見る。ようやく暗闇に目が慣れてきた。さぁトイレはどこだ?


おかしい。

光り輝くトイレはどこにもない。いや、光り輝くものが無いわけでなく、トイレ自体がどこにも見当たらない。目の前に広がるのは、大草原。運転手を振り返る。運転手はドヤ顔だ。「どうだ、リッツ・カールトンにも負けないこの柔軟な対応力は」と言わんばかりのどや顔だ。

しかし、目の前は大草原。ここは実写版ライオンキングのロケ地かな?と思うほど、見渡す限り何もない。


仕方がないので運転手に聞いてみることにしよう。

「トイレはどこですか?」


運転手はドヤ顔で答えた。


「どこでだって好きなようにすればいい。全てはお前の自由だ。」


僕は一瞬間あっけにとられた。



つまり、それは、この大草原がお前のトイレだということ?とうとう僕は手に入れたの?真の自由を?


人類はいつだって自由になりたがる。

かつて『社会契約論』で有名な思想家ルソーはこんなことを言っている。


自由なる人々よ、この言葉を忘れるな。我々は自由を得るかも知れない、しかし一度それが失われると取り戻す事はできぬ。


しかし、こんなことも言っている。

人間は生まれながらにして自由である。しかし、いたるところで鎖につながれている。自分こそが主人だと思っている人も、実は奴隷であることに変わりはない。


だから、なんなんだ?


トイレ放題とはこのこと。ただ、目の前に広がるのは東南アジアの田舎町にある大草原。とりあえず、暗い。どこに何があるかはまったく見えない。

もしかするとこの大草原のどこかに、落とし穴があるかもしれない。大草原を横切って、毎日通学するあいつを落とし穴にはめて楽しんでやるみたいな趣味の悪い輩がいる可能性はおおいにある。


いや、もしくは野犬がいるかもしれない。寝ている野犬を踏みつけてしまい、怒りをかい、そのままガブッといかれる可能性もおおいにある。野犬は怖い。狂犬病になる可能性だって秘めている。


というか、そんな風に提供された大草原にはすでに別の人間のものがあるかもしれない。大をしにいったはずなのに、別の人間の大を踏みつけるなんてもはや地獄だ。そんなことになったらバスには絶対に戻れない。

しかも、変な勘違いをうむかもしれない。「あいつ大草原を与えられたにも関わらず、結局間に合わずもらしやがった。」なんて思われた日には。


自由なる人々よ、この言葉を忘れるな。我々は自由を得るかも知れない、しかし一度それが失われると取り戻す事はできぬ。


取り戻すことはできぬのである、一度失った自由も尊厳も。


ただ、それでも意を決して行くしかない。運転手はさっきから無表情で僕を見ている。そして、肛門は今も確かに必死に食いしばっている。


意を決して、暗闇の中、大草原へと飛び出す。持っている武器はトイレットペーパーのみ。なんともこころもとない。


結局、寝ている野犬もいなければ、落とし穴もなかった。おかげさまで、誰の大も踏みつけることなく、無事に生還した。


ただ、最後に行っておきたい。僕は大草原を見た瞬間に、果てしない自由を手に入れたと感じたが、それは違ったといことを。本当の自由はもう一歩先にある。大草原で一仕事終えた時の解放感たるや。





最後に一つ心配なことがある。次に大草原に解き放たれた誰かが、踏みつけやしないだろうか。僕の解放感を。



終わり。



今回の失敗から学べること

①東南アジアで長距離バスに乗る際は、トイレ事情に注意が必要

②トイレがついていても、使えない長距離バスもある

③トイレットペーパは持参しておくべし

④人間はいたるところで鎖につながれている

⑤大草原で一仕事終えたあとの解放感は半端ない あれが本当の自由

⑥落とし穴は大草原にあまりない


それでは、良い旅を。





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